幕間 ノエル
水晶に手をかざすと、部屋中が目を開けていられないほどの光に包まれた。
七彩の奔流。
圧倒的な魔力の光だ。
「……こ、これは……ッ」
神官の声が裏返る。
父上と母上は、ただ静かに水晶を見つめている。
測定の結果は、『規格外』。
レーベンシュタイン家の歴史においても、いや王国の歴史においてさえ稀に見るほどの、絶大な魔力量と属性適性。
神童。天才。麒麟児。
そんな周囲の喧噪が、耳に入ってくる。
10歳にして、俺の将来は確定した。
次期侯爵。
この国でも有数の力を持つ家の当主となる資格を、俺は生まれながらにして持っているのだ。
だというのに。
(……くだらない)
俺の胸に去来したのは、歓喜でも優越でもなく、冷え切った虚無感だけだった。
こんな綺麗に光る石ころが、なんだと言うんだ。
こんなものが、人の価値を決めると言うのか。
父上も、母上も、微動だにせず水晶を見つめている。
そこに歓喜や安堵の色はない。
ただ測定結果を確認し、『合格』という事実を淡々と受け止めただけだ。
まるで、精密機械の検品作業でも見ているかのような冷徹な瞳。
ふざけるな。
あんたたちが欲しているのは、息子じゃない。
『当主に相応しい力を持った存在』だろう。
かつて、能力不足だった兄を切り捨てた時と同じ目で、今度は俺を『使える道具』として品定めしている。
その徹底した合理が、今更ながらに鼻につく。
兄が屋敷を去ってから、5年が過ぎている。
あの日、俺は何が起きたのか理解できていなかった。
ただ、兄がいなくなったという事実だけがあった。
世間の噂は残酷だった。
侯爵家は、兄を廃嫡した理由を『魔力ゼロであったため』と公表した。
だが、世間はその事実を受け入れなかった。
『侯爵家の人間が、魔力ゼロなどありえない』
『あれは、本人の怠慢を隠すための対外的な嘘だろう』
『実際は、修行をサボって遊び呆けていた怠け者だったらしい』
そうして、理解不能な『真実』よりも、納得しやすい『嘘』が選ばれ、兄を『ただの劣等生』へと貶めていった。
だが、この家の人間は誰一人として、その噂を否定しなかった。
父上も、母上も、そして兄の努力を間近で見ていたはずの使用人たちも。
沈黙したまま、誤った評価が広まるのを放置した。
『結果』がすべて。魔力がないという『結果』が出た以上、過程など語るに値しないということか。
世間の噂を訂正したところで、兄が魔力ゼロである事実は変わらない。
ならば、誤解を解くことにリソースを割くのは合理的ではない。
そういうことなのだろう。
兄がいなくなってから、俺の生活は一変した。
次期当主としての教育。
剣術、魔術、歴史、帝王学、領地経営学。
遊ぶ時間など一切なく、兄を失った喪失感を感じる余裕すらない。朝から晩まで、詰め込まれる知識と技術。
だが、皮肉なことに、学べば学ぶほど、俺はかつての兄の凄さを理解していった。
兄の部屋に残された、使い込まれた教科書。
その余白には、びっしりと書き込みがされている。
俺が今、必死になって覚えている難解な理論を、兄は文句ひとつ言わず修めていた。
涼しい顔の裏で、どれほどの研鑽を積み重ねていたのか。
『ノエル、見事だったよ』
そう言って俺の頭を撫でてくれた手の平には、剣の修練によるものだろう、分厚く硬い皮膚の感触があった。
次期当主という重圧をたった一人で背負いながら、俺の前では決して苦しい顔を見せなかった。
かつて、彼は誰よりも期待されていた。
父上からも、使用人たちからも、次期当主として認められていた。
そして、文句ひとつ言わず、実直に責務を果たしていたのだ。
なのに。
父上と母上は、そんな兄を排除した。
能力主義。実力至上主義。
役に立たない者は要らない。
家族であっても、情け容赦なく切り捨てる。
それが、この家の『正しさ』だと言うなら。
(……上等だ)
俺は拳を強く握りしめた。
俺は、絶対にあんたたちのようにはならない。
能力だけで人を測り、弱い者を切り捨てるような、冷血な人間には死んでもならない。
兄がなるはずだった当主の座に、俺が就いてやる。
そして、俺が当主になった暁には、この家の腐った根性を叩き直してやるんだ。
「……ノエル様? いかがなさいましたか?」
神官が、黙り込んでいる俺を不審そうに覗き込んでくる。
俺は表情を作り、ニッコリと笑ってみせた。
子供らしい、無邪気な笑みを張り付けて。
「ううん、なんでもない。すごすぎて、びっくりしちゃった」
大人たちは、満足そうに頷き合っている。
俺は窓の外へ目を向けた。
どこまでも広がる空の向こう。
兄は今、どこにいるのだろうか。
魔力ゼロの身で、一人で生きていくのがどれほど過酷か、今の俺には想像もつかない。
それでも、俺は信じている。
兄は、このまま終わるような人間ではないことを。
(生きていてくれ、兄上)
いつか、俺が強くなって、この家のすべてを変えるその時まで。
どうか、無事で。




