幕間 ロバート
季節が巡り、窓の外の景色は様変わりしている。
だが、この部屋に流れる空気だけは、澱んだままだ。
ウィルフレッド様がレーベンシュタイン家を去ってから、既に数ヶ月が経過している。
屋敷は平静を取り戻し、以前と変わらぬ規律正しい毎日が過ぎている。
「……ふぅ……」
私は主のいない学習室で、重いため息をついた。
ウィルフレッド様が去り、私は新たにノエル様の教育を任されることになった。
だが、次期当主のための授業準備をしていても、ふとした瞬間に手が止まってしまう。
ウィルフレッド・レーベンシュタイン。
彼は、私が長年見てきた生徒の中でも、特異な輝きを持つ子供だった。
同年代の子供たちが、チャンバラごっこや英雄譚に目を輝かせる中、あの子だけは静かに、貪るように本を読んでいた。
知識への渇望と、物事の本質を捉える鋭い知性。
幼いながらも、その言葉の端々には、ハッとさせられるような哲学が宿っていた。
時に、大人の私でさえ答えに窮するような、核心を突いた問いを投げかけてくることもあった。
優秀だった。間違いなく、傑物と言える素質を持っていた。
もし彼が当主になれば、その知恵でレーベンシュタイン家を、いやこの国全体を豊かに導いただろう。
だからこそ――現実は無慈悲だ。
「……魔力、か」
吐き捨てる言葉は、誰に届くわけでもなく虚空に消える。
あの子には、魔力がなかった。
たったそれだけのことで、その稀有な才覚は全て否定された。
レーベンシュタイン家は武門の家柄。
魔力を持ち、戦場で力を示すことが、当主としての絶対条件。
どれほど賢くても、どれほど優れた統治の才があっても、魔力がなければ認められない。
ふと、私は引き出しの奥から、一冊のノートを取り出した。
あの子が屋敷を去る際、置いていかれた書き損じの束だ。
パラパラとページをめくる。
そこにあるのは、私が教えた授業のメモと、彼なりの考察。
整った文字で、びっしりと書き込まれた知識の羅列。
彼は、自分が将来当主になることを信じて、これを書いていたのだ。
立派な侯爵になろうと、誰よりも真摯に、懸命な努力を重ねていたのだ。
だが、その努力は全て無駄になった。
彼が積み上げた時間は、何も実を結ばなかった。
「……私は、なんと無力なのだろうか」
彼に知識を授けることはできた。
その才を愛し、伸ばすことはできた。
だが、彼を守ることはできなかった。
この世界で生きるために最も重要な『魔力』を、私は何一つ与えてやれなかった。
ノートを閉じ、机の上に戻す。
表紙に触れる指先が冷たかった。
あの子は今、どこでどうしているのだろうか。
まだ年端もいかない子供が、たった一人で放り出されて。
この過酷な世界で、生きていくことなどできているのだろうか。
「……申し訳ございません、ウィルフレッド様……」
誰もいない部屋に、老教師の懺悔の声だけが、重く沈んでいった。




