第一話『ドキドキ学園生活の始まり』
「そうなの! お父さんのおかげで特別編入生枠で入学できることになったの!」
大興奮して親友のミカに報告をする。通話をつなげた先の大親友は笑いながら、落ち着けと諭してくる。
何を隠そう春休みの終わりを待って、私はダークファンタジー好き女子なら誰もが羨む吸血鬼伝説で有名なあの『月影ノ宮学園』に入学するのだ。
山間の霧の中にそびえる名門寄宿学校。
元は華族の娘さんたちが通う女学院だったが、近年男女共学化された。
ただし、女子のほうが多く、伝統も独特すぎて男子生徒は未だに少数派らしい。
学園には“ 血の儀式”と呼ばれる古い伝統があり、入学者は皆、自らの血を薔薇に捧げそれを魔法陣に落とすことで「寮」が決定される。
これは“運命の導き”とされ、代々伝統的に生徒会執行部が立ち会う――
学園案内の簡易的なパンフレットを読み返して私はうっとりとため息をもらした。
まさか、こんなチャンスが来るなんて夢にも思わなかった。基本的にあの学校は卒業生の親族、または紹介者のみを受け入れている、一般学生の入学枠が非常に少ない狭き門。
それが、たまたま父が助けたその人が学園の関係者で、年頃の娘さんがいるのなら良ければ、と誘ってくれたのだそう。本当になんてラッキーなの!
入学のなんだか難しそうな手続きなんかはすべて父に任せて、なにかと心配して入学を反対してくる母の説得までしてくれたのだ。こんなにお膳立てをしてくれた父には足を向けては寝られない。
「うん、だからしばらくは通話は難しいかも、寮生活になっちゃうんだ。あー! でも、楽しみ過ぎる!!」
学園でのこれからを妄想し、暴走し、遅くまで話し込んだ。ミカは「わー、羨ましい! 入学したら絶対に色々話を聞かせてよね、謎に包まれた学園の事」と私の入学を心から喜んでくれていた。もちろん、逐一報告すると約束して、その日は眠りについた。
それから入学までの日々はジェットコースターのようだった。
学業に必要なものを買いそろえ、各種手続きにあっちへこっちへ走り回る。全部父に丸投げしていた私は、名前を書いて印鑑を押すだけだったけれど、それでもとっても大変だった。
特別編入生として入学するのは私だけというわけではないみたいで、そこはちょっぴり安心要素だ。原則、入学者本人しか学園内に立ち入ることを許されない全寮制の学校。そんな学校への入学はたしかに母にとっては不安だろうし、最後まで心配していたのも無理はない。
でも、どうしてもこの学校に通いたかった。だって、何度も何度も読み返した小説『深紅の薔薇の乙女』のモデルになった学校なんだもの。
そう、私の一番の目的はこの月影ノ宮学園で聖地巡礼をすること。
その学園の正門は、まるで異世界への門だった。
月が満ちた夜、学園の門が開く。それが“月影ノ宮学園”の新学期の合図だった。鋳鉄の装飾に絡まる薔薇の蔓。月光を反射する黒曜石の門柱。
「や、やば……最高っ……!」
入学初日。
夢にまで見た“月影ノ宮学園”の校舎を前に、私は思わず声を漏らした。
この門も、廊下も、絵画も、ステンドグラスも、中庭も! 全部全部、『深紅の薔薇の乙女』に出てきた場所だ! すごい、すごい!
それに、今私がきているこの制服……主人公のクロエが着ていたのときっと一緒のデザイン。
ブレザーの襟口を指でなぞると、胸元の銀の薔薇の刺繍が月光に反射した。ふわりと揺れるプリーツのスカートのシルエットもすっごく可愛い。
入学生たちの列に並んで、案内役の先生の説明を右から左に聞き流して私は浮かれていた。
「ね、緊張するね」
不意に、隣の女の子が声を掛けてきた。
その子は、背中まで届く長さの黒髪を丁寧に編み上げていて、編み目の間には深紅のリボンが一緒に絡められている。
まるで薔薇の蔓が髪の中を這っているみたいで、とても上品で可愛らしい。
やっぱり、この学園にくるような子はみんな綺麗で可愛いんだ。
きょろり、と周りを盗み見る。途端に、自分の髪や襟元が気になって軽く整えた。
「う、うん、校舎も大きくてビックリしちゃった……」
「私、月城るな、よろしくね。るなって呼んで」
そう言って微笑む彼女のふわりと揺れる髪の先端が、月光にほんのり光っているように見えた。
「私は黒羽燐よろしく。私のこともりんって呼んでね」
こほん、と咳払いの音がして、ふと前を見ると先導していた女の先生の厳しい視線がこちらに向けられている。襟元まできっちりととめられた銀のボタンが、きらりと反射する。
「私語は慎むように、真っ直ぐ列を乱さず後ろを着いてきなさい」
凛とした低い声が響く。
「は、はい……!」
私は声を震わせながら返事をした。自然と背筋が伸びる。
隣を見ると、るながごめんねっとジェスチャーで謝っていた。
私も、同じように身振り手振りで大丈夫だよ、と返事を返す。
学園に馴染めるか心配だったけど、こうして気さくに話してくれる子もいるみたいでなんだか、安心した。
「少し時間が押しています、皆さん急ぎますよ。さぁさ、急いでこちらに」
先生はずんずん先を進んでいく。
通路を右に左、階段降りて登って渡り廊下を進んで。今自分がどこにいるのか、どこから来たのか、全くわからない。
文化系の私にはハード過ぎる!
階段を上がりながら、私はそっと制服のポケットに手を入れた。
母が入学祝いにくれた小さなブローチ。銀色の薔薇を模したそれは、たまたま通りかかった露店で私が一目惚れしたものだ。
制服に勝手に着けて没収されては困るとポケットに忍ばせていたお守り代わりのそれの手触りを確かめようとしたその瞬間、指先が滑った。
「あっ」
ブローチはするりとポケットから抜け落ち、階段の下へと転がっていく。
銀の薔薇が、月光を受けて一瞬だけきらりと光った。
「ごめん、すぐ戻るから!」
るなにそう声を掛けると、彼女は驚いた顔をしながらも、小さくうなずいた。
けれど、階段を駆け下りてブローチを拾い上げ、顔を上げたときには、列はもう見えなかった。
「え……うそ……?」
たった一瞬で目の前の廊下には、もう誰の姿もない。
学園の中は、昼間なのにどこか薄暗く、古い絵画とステンドグラスの影が床に伸びていた。
心臓がどきん、と鳴る。
「ま、待ってよ……!」
私は慌てて駆け出した。
だけど、曲がり角をいくつも曲がっても、同じような廊下が続くだけ。
あんなにいた特別入学の生徒たちの群は忽然と姿を消してしまっていたと。
「うそでしょ!? どこ行ったのみんなぁあああ!」
大理石の廊下に響く自分の声。
月の光を受けたステンドグラスの光が、まるで血のように赤く床を染めていた。
誰もいない。
どうしよう、でも、どこかで足音が聞こえる気がする。
「あの……すみません! 誰かいませんかー!?」
音を頼りに廊下を走り出す。曲がり角の向こう、蝋燭の光の中で誰かが立っていた。
黒いローブをまとい、黒い手袋をした長身の男の子。
「――騒がしいと思えば、君か」
低く落ち着いた声。
炎に照らされた横顔は、まるで絵画から抜け出したように整っていた。
漆黒の髪は肩にかかるくらいでさらりと揺れ、月明かりを受けた瞳は深い紅色をしていた。まるで、ワインを閉じ込めたような色をしている。
黒い手袋をはめた手が、ゆっくりと胸元にかかる銀の紋章を押さえた。その仕草ひとつひとつが、妙に優雅で、目が離せなかった。
「……っ」
私は息を呑んだ。
目の前にいるのは、まるで乙女ゲームに出てくる攻略対象そのもの。
けれど、それを口にする余裕などなく、目の前の彼は静かにこちらを見つめていた。
「あ、あの……」
「新入生だな。……列からはぐれた?」
「は、はいっ、えっと……」
「ふむ」
彼はわずかに息をつくと、手にしていた蝋燭台を持ち上げ、炎の光で私を照らすように一歩近づいてきた。
「血の儀式前のようだな、悪いことは言わない。君は今すぐにこの学園を立ち去れ」
「えっ、そんな……」
列からはぐれただけでこの学園に相応しくないと思われたってこと?
もしかして、はぐれずに会場まで着いて行くことがこの学園に入るための試験だったってことなの、そうなの!?
まさかの――
「ハンター試験ってこと」
「君は何を言っているんだ」
当たり前のように否定されてしまった。
呆れた様子でこちらを見てくる男子生徒を見つめ、次の言葉を待つ。
それにしても造形が良い。長いまつ毛は頬に影を落とし、僅かに細められた紅色の瞳は吸い込まれるように美しく、完成され過ぎている。
その不躾な視線をどう思ったのかはわからないが、彼は肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。
「やれやれ……新入生は毎年ひとりは迷うものだな」
彼は片手で髪を払うようにして、わずかに口角を上げた。
「好奇心が命取りになる場所だ。君に、その覚悟があるのなら……ついてこい」
「はい……!」
男子生徒の後ろ姿を慌てて追いかける。
今度は、絶対にはぐれるわけにはいかないのだ。
お父さん、お母さん、そして大親友のミカ。なんとか私の学園生活が始まりそうです。
けれどこのときの私はまだ知らなかった……。
ここで出会う人たちが、私の世界をまるごと変えてしまうことを。




