検索
大学から帰ってくると、ハユリさんはいつも通り室内の壁や天井を這い回りながらきょろきょろと害虫探しをしていた。
「あっ! おかえりなさい、恩人さんっ!」
「ただいま。先を越されたな……」
「何のことです?」
「いや、先に『ただいま』を言ってやろうと思ってただけ」
「あっ、それはごめんなさい」
「いや気にしないで」
リュックサックから出したノートパソコンをテーブルに置き、充電コードを繋ぎ直す。電源を入れ、検索エンジンを開いた。
「ねぇハユリさん」
「はいっ、何でしょうか!」
糸を伝って、ハユリさんが俺の目の前に下りてきた。
「ちょっとクモになってくれる?」
「はい……? わかりました……」
ハユリさんが瞑目した直後、彼女は小さなクモの姿になってテーブルに落ちた。
「ちょっとじっとしててな……」
動かずにいてもらい、クモ形態のハユリさんに定規を当てる。
「5ミリくらいかな? ありがと、ハユリさん」
「はいっ。……お役に立てましたか?」
「うん、ありがとう」
「えへへっ、光栄です!」
ハユリさんはまた人型に戻り、糸を伝って天井に戻っていった。
「……さて」
検索バーに『家に出るクモ』と入力し、エンターキーを押す。検索結果の一番上に出てきた、何種類かのクモについてまとめたサイトを開き、内容を確認する。
「あー……やっぱりな……」
「恩人さん? どうかしましたか?」
ハユリさんが俺の独り言に反応して下りてきた。背後に着地して、肩越しにパソコンの画面を覗き込んでくる。
「恩人さん、何見てるんです?」
「んー、ハユリさんが何てクモなのか調べてたの。見た感じ何となく察してはいたけど、ハエトリグモ系の何かなんだな」
「はぇ……」
ハユリさんはよく分かっていなさそうな表情だ。
「ハエを捕るからハエトリグモ」
「わっ、わたしっ、ハエ以外も捕れます!」
ハユリさんが背中にのしかかってきた。
「焦る必要ないから」
「うぅ、すみません……」
画面から目を離し、ハユリさんに向き直る。
「ハユリさんはよく頑張ってると思うよ?」
「……本当ですか?」
「うん。ハユリさんと一緒にいるようになってから、コバエとか変な虫見る機会減ったし。すごく助かってる。ありがとう」
ハユリさんはほっぺたを真っ赤に染めて、両手で押さえて縮こまってしまった。
「……ふ、ふへ、えへへ、そんな……恩人さん……ありがとうございます…………」
どうしたのかと少し心配になったが、ただ照れていただけみたいだ。
幸せそうに笑っているハユリさんのことは一旦放置して、検索エンジンのホームページに戻る。
「……『クモ』に……『コーヒー』……っと」
物のついでにもう一つ調べもの。この間ハユリさんにカフェオレを飲ませた時の異常な反応、クモの生態と何か関係してたりしないだろうか。
「……んー…………?」
検索結果一覧を眺めていると、気になる文言が目に入った。まとめサイトの一つを開き、熟読する。内容を反芻し、理解し――
「は、ハユリさんっ⁉」
反射的に彼女を呼んだ声は、かなり上ずっていた。
「はっ、はいっ⁉」
ハユリさんも慌てて俺の傍に来る。
「もしかしてこの間カフェオレ飲ませた時、酔っぱらってた⁉」
「よ、よっ……あの、何か、たぶん……? ……酔っぱらうって、どんな感じでしょうか?」
「えっと、酒を飲んだ時みたいな……いや何ていえば良いんだ……」
検索バーに『酩酊 状態』と入力し、出てきた症状を読み上げていく。
「とまぁ、こんな感じ」
「えっと、大体そんな感じだったような……? 何かがビリッてきて、頭がチカチカぽわぽわして、目が回って、身体が熱くなって……」
「うわぁ……マジかぁ……」
クモはカフェインで酔っぱらう。つまり実質、幼女に酒飲ませたようなものじゃねえか。割と最低だぞ。ハユリさんがただの人間の幼女だったら、俺は捕まってた。
「……本当、申し訳ありませんでした……」
土下座にて誠心誠意の謝罪。
「わぁっ⁉ お、恩人さん、頭を上げてくださいっ!」
「いや……絶対やっちゃいけないことをやった……ごめん……二度とやらないから……」
「わっ、わたしっ、だ、大丈夫ですからっ! だから、頭を上げてくださいよぅ……」
ハユリさんが泣きそうな声で肩に手を置いてきた。取り敢えず言われた通りに頭を上げ、ハユリさんと向かい合う。
「ハユリさん、本当に悪かった。これからはちゃんと気を付けるから」
「はい……わたし、本当に大丈夫ですから元気出してください。わたし、あの後も元気に悪い虫やっつけてるでしょう?」
「……そうだなぁ……ハユリさんは本当にすごいよなぁ…………」
この後一日中、ずっと罪悪感で元気が出なかった。ハユリさんにも心配かけちゃうし、ちゃんと切り替えよう。




