異形
土曜日午前8時。今日はバイトも無いし、ゆっくり休める。
そういうわけで、今日一日ハユリさんの『仕事』の様子を観察することにした。
「恩人さん? 今日はお出かけしないんですか?」
「うん、今日は休みだから一日ダラダラしていようかと」
「そうですか……」
ハユリさんは忙しなく歩き回ったり、壁や天井を這い回りながらきょろきょろと辺りを見回している。ときどき目が合う気がするけど、まあ気のせいだろう。ベッドに俯せに転がり、無言でハユリさん観察を続ける。こうして見ていると本当にクモのようだ。
「……あの、恩人さん?」
不意にハユリさんが動きを止め、こちらに声をかけてきた。
「どうした?」
「その……見られているの、ちょっと恥ずかしいんですが……」
「お気になさらずー」
「そう言われましても…………」
まぁ、考えてもみれば仕事風景はあまり他人に見せるものでもないか。
「あの……恩人さんを怖がらせやしないかと……」
ハユリさんから少し予想外の言葉が飛び出てきた。たしかに生きた虫を捕食するシーンは、種によっては多少ショッキングだろうが、そこまで恐れるものでもないだろうし。
「心配し過ぎだって。そりゃ子供の姿でクモみたいな動きしてるのは新鮮だけど、怖いってほどのものじゃないよ」
「い、いえ、そういうことでは……」
反応が少し変だ。ハユリさんは『俺が怖がるかもしれない何か』をまだ隠してるってことか?
「……ハユリさんは、なんで俺を怖がらせるかもしれないと思うわけ?」
「えっ」
ハユリさんが一瞬硬直した。その後すぐに糸を伝って俺の傍まで下りてくる。今にも泣きそうな表情だ。思わず身体を起こす。
「あ、あのっ、恩人さん……わたし、恩人さんを怒らせてしまったでしょうか……?」
「いや怒ってはいないけど」
「でも、わた、わたし、恩人さんに隠し事してるし……」
「そのくらいは普通でしょうが」
ほとんど泣きながら話すハユリさんを慰める。俺だってハユリさんに見られたくないものの十や二十あるし、お互い様だ。
「そう……ですか……?」
「別に、何かあってもハユリさんのこと怖がったりしないし。けどせっかくなら教えられる範囲のことは知りたいと思ってさ」
主目的はただの好奇心なんだが。
「えっと……じゃぁ…………見ます、か……?」
ハユリさんがものすごく心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。頷いて聞き返した。
「何を見せてくれるんだ?」
「はい、では……」
ハユリさんが強く目を瞑る。前にクモになる時に見たのと同じジェスチャーだ。何が起きるのかとハユリさんの顔に注目していると、不意に背中をつつかれた。
「ん……?」
振り返った瞬間目に入ったのは、巨大な黒い棒状の物体だった。短い毛も生えている。途中で2か所ほど節があり、どうやら俺の前方から回り込むように伸びているらしい。
「うわっ」
ハユリさんの方に向き直ると、全貌が見えた。彼女の背中から生えた4本の棒状の物体――おそらく『蜘蛛脚』が、こちらに向けて伸びているのだ。
「これ……肢か?」
「はい……怖いですか……?」
ハユリさんから不安げに見つめられながら、蜘蛛脚の1つに手を置く。表面の短い毛は結構硬くて、撫でるたびにちくちくとした。正直いって少し鳥肌は立った。けど、まぁ。
「……怖いって程では、ないかなぁ」
そう口にした瞬間、ハユリさんに飛びつかれた。
「っ……本当ですか⁉ 恩人さんっ、わたしのこの姿、怖くないですか!」
「うん……そもそも俺、クモとか割と好きだし。多少びっくりはしたけど、怖いとは思わないよ」
「そうですか……! ありがとうございます……!」
感謝されるようなことをした覚えは無いが、ハユリさんが感謝しているようなので素直に受け入れる。
「あっ、それじゃあ、これも大丈夫ですか?」
「まだあるんだ?」
「はいっ」
またハユリさんが瞑目。今度は何が起こるのかと見ていると、ハユリさんが袖で顔を隠した。その手が離れると、彼女の顔の上半分を仮面のようなものが覆っていた。狭い範囲に目玉が8つ並んでいるのは、流石にちょっと不気味だ。
「……えっと……仮面?」
「いえ、甲殻の一部ですね」
そっかぁ……クモだもんなぁ……。
「……あっ、これクモの目か。8つあるし」
「はいっ。ちゃんと視覚もありますよ?」
「そっかぁ……すごいなぁ……」
それ以外のコメントは咄嗟には出てこなかったが、ハユリさんにはこれで十分だったようだ。
「えへへ……すごいですかね……? あの、お褒めいただきありがとうございます……ふへへ……」
口元に照れ笑いを浮かべていたハユリさんだったが、不意に表情が消えたかと思うと、蜘蛛脚の1本がベッドの下に潜り込んだ。一歩遅れてハユリさんもベッドの下に顔を突っ込み、しばらくばたついてからベッドの上に出てきた。何か口をもぐもぐさせている。
「……お仕事ご苦労様」
「んっ……むぐっ……」
「あぁ、飲み込んでからで良いよ」
ハユリさんが何を食べているのかできるだけ考えずに済むよう、俺は目を逸らした。




