啓蟄
ハユリさんとユイさんはクモだからか、寒さにはかなり弱い様子だった。暖房をつけていないと姿を見せないし、場合によっては暖房をつけても姿を見せないこともある。多分どこかで冬眠的なことをしてるんだろう。
一応、暖房は好きにつけて良いと言ってエアコンのリモコンの使い方も教えたけど、外出から戻った後にエアコンがついていたことは、この冬の間一度も無かった。
まぁ、生物学的な問題に口を出すのはあんまりにもあんまりだし、二人に任せている害虫駆除も冬の寒い時期にはほぼ不要だしで、あまり気にはしていなかった。しかし、2月の間に一度も二人の姿を見ることが無かったのは、少し寂しかったかもしれない。あの二人がいると、部屋の中も意外と賑やかになって楽しいんだが……まぁ春になれば出てくるだろうし、気にすることでも無いか。
3月5日。大学生的には春休み真っ只中。カレンダーによると、今日は『啓蟄』らしい。たしか、冬眠していた虫が動き出す時期、みたいな意味だったと記憶している。
「……そういえば、うちにもいるよなぁ…………『冬眠していた虫』」
二人の遊び場として用意していた虫かごを何となく覗いてみると、落ち葉の下からダンゴムシが這い出てきた。
「おぉ……まだ生き残ってたのか」
たしか、結構な数がユイさんのオヤツになってしまっていたはずだが、意外と生きてるもんだな。よく見ると、土の見えているところからは緑色の小さな芽が見える。この虫かごも意外と『生きてる』って感じがするなぁ……野生のタフさを感じる。
取り敢えず朝食にしようと台所に向かうと、久しく見ていなかった姿が天井から細糸にぶら下がっていた。
「…………おはよう、ハユリさん」
「お、おはようございます、恩人さん……ずっと寝ていてしまってごめんなさい」
「別に冬眠を咎めたりはしないけど。でも久しぶり」
「はい、何だか頭もしゃっきりしてるので、これからはまた恩人さんにご恩を返していこうと思います!」
「うん、よろしく。あ、ユイさんは?」
「もう起きてるはずですが……」
ハユリさんが俺の背後を覗いているのに気付いたところで、背中に何か軽いものがのしかかった。
「……ユイさんもおはよう」
「おはよぉ……」
「元気そうだね」
「うん。ずっと眠かったけど、もう元気だからたくさんかまってもらう」
「はいはい。じゃあ、これまで通り二人とも頑張ってね」
「うん」
「はい、お任せください!」
ユイさんは背中から下り、ハユリさんも糸を伝って天井に貼り付いた。
「……啓蟄、だなぁ…………」
「けーち……? 何です、それ?」
天井のハユリさんが聞きつけた。
「んー、暦の中で冬眠していた虫たちが土の中から出てくる時期らしいよ」
「はぇ……わたしたちも今日起きましたからねぇ」
「そうだなぁ」
起きて早々、随分と賑やかになったもんだ。二人と一緒にいた時間はそこまで長くないはずだけど、これが『いつもの風景』になってしまっている気がする。すごい影響力だな……。
「……ハユリさん」
「はいっ、何でしょうか恩人さんっ」
手招きすると、ハユリさんは糸を垂らして俺の顔の高さまで下りてきた。
「改めて、これからもよろしく」
「はいっ、よろしくお願いしますっ!」
何となくハユリさんの顎を撫でていると、後ろからユイさんに服の裾を引かれた。
「おにーさん、ユイも」
「あーうん、ユイさんもこれからよろしくなぁ」
「よろしくー」
ユイさんにも同じことをすると、目を細めて逃げるように部屋の方へ行ってしまった。
「ユイちゃん喜んでましたね」
「そうなの? 逃げちゃったけど」
「満足したんじゃないですか?」
「そっかぁ」
何はともあれ、これからどんどん暖かくなるし、また二人のいる生活が始まるんだろう。賑やかで、温かくて、何だか安心感のあるあの日常に心躍り……はしないか。そういうのでは無い。
まぁでも、楽しみではある。ひとまずは冬の間二人に構えなかった分、思いっきり構い倒してやろうか。
本作で書きたいことは大体書いてしまったので、本編はこれ以上書かない予定です。
続きは鋭意制作中。




