症状
自室で大学の期末レポートを進めていると、ハユリさんが近付いてきた。俺の隣に膝をつき、パソコンの画面と俺の方を交互に見ている様子。
「どうしたハユリさん」
「あ、あのっ、恩人さんっ」
今日はどんな我儘を聞かせてもらえるのか。文字を打つ手を一旦止めて彼女に向き直る。
「あのですね、恩人さん。わたし、恩人さんのお膝に座っても、いいですか?」
「膝に? それまた唐突になんで……まぁ良いけども」
テーブルから少し離れて、ハユリさんに手招きする。ハユリさんは遠慮がちに、俺の胡坐の内側にすっぽり収まった。
「でもなんでいきなり?」
「えっ……と、ですね……、わたしっ、その、あのっ」
ハユリさんがこうやって口ごもる時は、大抵我欲に憑りつかれている時だ。まぁ構わないけども。ハユリさんの頭頂部を眺めながら、言葉の続きを待つ。
「……じっ、実験を、したいんですっ。」
「実験? まぁ良いけど、どんな?」
ハユリさんは口で答える代わりに両手を軽く持ち上げる。次の瞬間には、腹の辺りが軽く締め付けられる感触があった。多分、蜘蛛糸だな。そういえば、前にもこんな風に蜘蛛糸でハユリさんと括られたことがあったな……。
「こ、こうやってですね? 恩人さんに背中を向けて結わえつけておけば、恩人さんを食べたいの、我慢できるんじゃないかって」
「我慢しなくても良いのに……」
「こっ、これは自分への挑戦、なんですっ」
ハユリさんの表情は背中を向けられているせいで分からないけども、声の雰囲気はなんとなく前向きだったので、彼女の判断に任せることにした。ハユリさんがやりたいことはやらせてやろう。何事も経験ってやつだ。
そのままの姿勢で課題を進めていると、いつの間にか外がだんだん暗くなってきていた。まだ5時前だってのに、冬前は本当にすぐ暗くなるからなぁ……。
「ハユリさん、大丈夫?」
「……ぁぇっ、うぁっ、だ、だいじょーぶれすっ」
「大丈夫じゃなさそうだなぁ」
ハユリさんはぷるぷる震えながらも、糸で身動きが取れなくなってるからかギリギリ陽が沈み切っていないからか、まだ理性を保っていた。
課題もひと段落ついたことだし、パソコンを閉じて部屋の明かりを点けに立ち上がる。ハユリさが腹の辺りに括られたままだったので、抱きかかえて歩かなきゃいけないのは少し面倒だったが。
「ぁっ、あかるーぃ……」
「だいぶ知能が落ちてるなー?」
「ぅぁ、おんじんさん…………」
「本当に大丈夫?」
ハユリさんは手足をばたつかせていたが、急に脱力したかと思うと、今度は頭を抱えて震え出した。
「ハユリさん、本当に大丈夫? 無理せず糸解いても良いんだぞ?」
テーブル前に座り、ハユリさんを身体の前で抱え直すと、彼女は仰け反るように頭を上げ、こちらを見つめてきた。彼女の瞳はやはり真っ赤に染まっている。
「おっ、お、恩人さんっ、これ、これっ、すごいですっ」
「何がー?」
「あっ、ぁ、あたま、がっ、パチパチしてっ……くるしい、のとっ、きもちいいのが、まざって……!」
「なーんかヤバそうな雰囲気してんな?」
ハユリさんの口に指を突っ込む。すると彼女の表情が消え、指を咀嚼しながら大人しくなった。
「……これで良し」
「ごめんなひゃぃ……まひゃか、こんにゃっ」
「呂律回ってねえぞ?」
「はぇ……」
新発見だ。ハユリさんは欲望に素直にならないとヤバくなる。絵面的にも何か危ないし、何よりかなりキツそうで見ていられない。組み着かれて多少動きにくくなるだけで済む方が心身ともに楽なんだよな。
「……というわけでハユリさん」
「んぁっ、何でしょうか恩人さん」
「我慢は当分の間禁止します。夜になったら我慢せずに食いついてくるか、いっそのことクモモードになること」
ハユリさんはショックを受けたような顔をして頭を押し付けてきた。
「そ、そんなっ! わたし、我慢できますっ」
「多分あれは『我慢できてた』って言わねえのよ」
問答無用でハユリさんの口に指を突っ込むと、彼女は無抵抗で吸い付いてきた。
「むぅ……ごめんにゃひゃい……」
「反省したなら良し」
今度、ハユリさん用に虫かごでも用意してやろうかな。せっかく人型とクモ型の両方に慣れるんだから、クモモードでも使える遊び場もあった方が楽しいんじゃないだろうか。ハユリさんが使わなくてもユイさんだっているし、二人が使わないなら適当にバッタかダンゴムシでも飼おう。




