反省
アパートに帰ってくると、部屋の奥の方からハユリさんの声が聞こえた。
「あっ恩人さんっ、本当に帰ってきた……! おかえりなさいっ、恩人さんっ」
出迎えに来ないなんて珍しいな……。そう思いながらも、手を洗ってから部屋に入る。部屋の中では、ハユリさんがベッドに俯せに転がっていた。その背中にユイさんが覆い被さり、ハユリさんの頭に顔を埋めている。
「仲良いなぁ」
「そんなこと言わずに助けてくださいぃ……」
「え、どしたの」
ユイさんは軽いし、ハユリさんなら振り落とせると思うんだが……。
「逃げられないんですよぅ」
「だってさー。ユイさん、退いてやったら?」
ユイさんの背中を軽くつつくと、ハユリさんの髪に顔を突っ込んだまま首を横に振った。
「んーんっ」
「にゃあぁぁぁぁっ」
ハユリさんが奇声を上げた。
「ハユリさんっ⁉」
「お、恩人さ、助けてくださいぃっ! ユイちゃんに食べられてるんですよぉっ」
「たべ……何?」
ユイさんの顔を少し上げさせると、なんと彼女はただハユリさんに顔を突っ込んでいただけではなく、髪の毛を口に突っ込んでもぐもぐとしていたのだ。
「あっこらユイさん。他人を食べちゃだめでしょうが」
ユイさんの目がこちらを向く。一瞬ハユリさんの後頭部に視線を移してから再びこちらに向き直り、ようやくハユリさんの髪から口を離してくれた。
「ユイさん、なんでこんなことしたの」
「…………おにーさんは、食べさせてくれるよ?」
きょとんとした表情で首を傾げて反論してくる。
「『俺は』ね? ハユリさんは許可してくれた?」
「……かまってくれるって」
「もっと健全な形の意味じゃねえかなぁ」
取り敢えずユイさんを抱き上げ、ハユリさんから引き離した。
「ひぃん……ありがとうございます恩人さん……」
「大丈夫だった?」
「はい……ユイちゃんが首を動かすたびに髪を引っ張られましたけど、そのくらいで……」
「そっかぁ。ユイさん、ハユリさんに痛がらせちゃ駄目だよ?」
ユイさんは小さく頷くと、脱力してするりと腕から抜け出し、クモの姿に変化して台所の方に向かってしまった。虫捕りに行ってくれたんだろうな。あれでいて、やるべきことはきちんとやってくれるから、ユイさんも悪い人じゃないんだよなぁ……いやヒトではないんだけど。
騒動のせいで背負いっぱなしだった鞄を片付けて、パソコンを開く。そのタイミングで、ハユリさんが背中にのしかかってきた。
「どうしたハユリさん?」
「……あ、あのっ。恩人さん?」
「何?」
「わたしやユイちゃんに食べられるの……嫌でしたか?」
「本当にどうした急に」
ハユリさんの声は少し震えている。
「わたし、今日ユイちゃんに食べられそうになって……その……」
「嫌だった?」
「嫌といいますか…………動けないし……髪引っ張られて困るし……わたしが恩人さんを食べるのも、迷惑だったのかな、って……」
反省できて偉い。が、俺自身は別に二人にどうこうされる分には気にならないし……いや、絵面的に良くないのは控えてほしいんだけど。
思案していると、背中が少し重くなった。ハユリさんが更に体重をかけてきたらしい。
「ごめんなさい……恩人さん…………恩人さんが嫌なら、その……わたし、もう止めますから……」
「気にしなくていいって、俺は別に迷惑だと思ってないし。ハユリさんもユイさんも善人だからなぁ、俺が協力できる範囲でなら、我儘は聞くよ?」
「うぅ…………ありがとうございます…………」
後頭部に柔らかい感触。ハユリさんが顔を埋めてきたらしい。
「…………おんじんさん」
「どうした?」
「かみ……おいしいです……」
「試してみたくなっちゃったかぁ…………」
ハユリさんに髪を食われながら、パソコンで大学の課題を進める。少し行き詰っていたところ、ハユリさんの口が後頭部から離れた。
「そういえば恩人さんっ、ユイちゃんすごいんですよ」
「ん? どうした?」
「ユイちゃん、恩人さんが帰ってくるタイミングが完璧に分かるんですよ。今日もぴったり言い当ててました」
「何それすごい。どんな超能力だ?」
クモってそんな耳良かったかな……。検索エンジンを開いて『クモ 聴覚』で調べようとしていた時だった。
「なんでも、とっても細い糸を空中に流して、振動を感じ取っているらしいです」
なるほど、巣に引っかかった獲物を感知する要領でか。
「……待って、部屋の外まで糸が延びてるって認識で合ってる?」
「はいっ、扉の隙間から流してるんですって」
……隙間? まぁ気密扉でもないし多少はあるんだろうけども、完全に閉じた扉の隙間から出せる糸って何だ……? 出入りの隙に外に出してるとかかな?
「ちなみに、ハユリさんはできるの?」
「できませんねぇ……ユイちゃんの糸、本当に細くて柔らかいんですよ」
「そっかぁ」
「……あ! で、でもっ! わたしの方が丈夫な糸出せます!」
「分かってる分かってる。張り合わなくて良いから」




