ベイビー・アイ・ラブ・ユー・グッバイSummer セミ・ファイナル
諸君はメラビアンの法則をご存じだろうか。
コミュニケーションに於いて、人は視覚情報から55%、聴覚情報から38%、言語情報からはたったの7%しか、影響を受けないのである。
俺は醜男である。
第一印象の55%は捨てた。これは合理的判断だ。だがしかし、異性との交流まで捨てた気は無い。
恋だ。恋がしたい。
つまり。
「ウェーーーーーーーーイ!!!!!!!!ウェイ、ウェーーーーイ!!!!!!!
ねェーーーーお姉さん暇ァ?
ねえ!
ねえ。
…
…◯んこ。
◯んこ◯んこ◯んこ◯んこ◯んこ、
◯んこーーーーーーーォ!!!!!!!
俺と交尾しませんか!?!?!?ねえ!?
交尾したいよぉ…!!!!!
交尾…したいよぉう。
ねぇェ…交尾ぃィ…」
俺はあらん限りの気力を込めて叫んだ。メスに姿を見られる前の、今この瞬間に全力を注ぐ。それしかないのだ。文句はこの際何だっていい。所詮内容なんて7%。流れを止めないことのほうが重要だ。
猛烈に震わせ続けた4枚の羽根が痺れて、張り巡らされた脈が焼き切れそうに熱い。
暑い。猛暑だ。発狂しそうだ。というか俺は正に発狂しているのかもしれない。暑さと、交尾したさで。
38℃。於 東京都。
返事はない。
俺は六つ足と腹を晒して仰向けに倒れた。
長いこと洗ってない犬みたいな煤けた茶色の羽根が熱されたアスファルトで灼ける。
「…アンタ馬鹿ァ?
てか、もう少し色々上手にできないわけ?キモすぎ。普通に引いたわ。
やる気ある?死ぬ?ていうか既に死んでそうなポーズね紛らわしい。人間が無駄に驚くやつじゃない。迷惑ね」
「うるせぇ寿命いっぱいまで生きるわ。お早うミン子」
「アッやだ非モテが空気感染しそうだから呼吸しないで?」
ミン子は玉虫色に輝く大きな羽をこれ見よがしに靡かせて颯爽と木に留まると、俺の2メートル上から悪態をついた。
…こいつ黙っていればまぁ美人に見えなくもないのに。
「ハイハイどうせ俺は白金の黒松だか吉祥寺の檜で羽化したお前のイケイケ彼氏とは違いますよっと…」
「ハァ?彼氏じゃないわよあんな奴!
ていうか付き合った覚えもないわよ。
大体あんな出身マウント嘘に決まってるじゃない。わざわざ遥々こんな田舎まで来てオンナ探す理由がないもん」
確かにそれはそうだ。
「でもまぁ…ふふっ
アンタの羽化、南多摩の地上30㌢だもんねぇ ププ」
「おっお前だって俺と同じ木で羽化したくせに!」
「残念でした〜あたしはアンタより2メートル上な分上等ですゥ〜プップ〜〜」
「こいつ…!」
こいつ黙っていれば美人に見えなくもないのに!本当になんというか残念な奴だ。
ミン子とは同じ土で生まれ育ってかれこれ7年の付き合いだが、ずっとこの調子である。
本当はもっと幼馴染みがいたが、未だに結婚もせず地元でだらだらプラついているのはもう俺たち二匹だけだった。
近所の小学生に捕まって羞恥の公開羽化を果たしたセミ助(昔からドン臭い奴だった)はストレスが祟り羽化して3日で死んだ。
セミ夫は桐の木の天辺で羽化したと吹いて回って、水に溢れたガソリンみたいなド派手な色の羽のオンナとスピード婚した。よくよく考えたら、あのオンナだってこの辺りの出身のはずなのに、よくもまぁあんな嘘に騙されたもんだと思う。南多摩に桐なんて上等な木ねぇよ。杉産まれめ。案外オンナの方が騙されてあげていたのかもしれない。顔は良かったからな、セミ夫。
「…なぁミン子ォ」
「何よ」
「お前口は悪いけどさ、なんだかんだ言っても俺の側にいてくれてるよな。受け容れてくれてるっていうか」
「何よ急にキモい!ただの腐れ縁よ腐れ縁」
「だとしても、さぁ
なぁ〜いっそ付き合ってくれよぉ〜いいだろ〜ミン子ぉ〜〜」
(『死んでもお断りよ!!』って来るんだろうなぁ)
実際こんな軽口に付き合ってくれるのはミン子くらいのものだ。正直ありがたい。
「………
死んでも、お断りよ。」
想定通りのセリフではあった。しかしミン子は絶対零度の無表情で、俺を見下ろしていた。
「受け容れてくれてる気がするから、付き合ってって何?
肯定してくれるなら、誰でもいいの?
俺を肯定してくれて、一途に愛し続けてくれる、メスなら?
それってすっごく、都合がいいし馬鹿にしてると思う。
大体、毎日毎日雑に叫んで、出会いのために頑張ってるつもりで、結局それってポーズなのよ。そうやって誰にも届かない安全なとこで叫んでさえいればあわよくば誰かに刺さるかもってワンチャン狙って、たった一人に刺すつもりなんか結局更々なくて、自信がないのも誰でもいいのも丸分かりで、そういうところに萎えるのよ。臆病者。意気地なし。
誰か、誰か、誰か。
誰かって何?
アンタの好意の中には「私」がいないの。
大体相手の身にもなってみなさいよ。
誰でもいいって言ってる奴のこと、ずっと好きでい続けるなんて不毛よ。
そんなのって、寂しすぎる」
ぎょっとした。
ミン子は泣いていた。
2メートル上から大粒の雫が続けざまにぼたぼたと落ちて、乾いた土にじゅわりとシミを作った。
「ミン子、」
「あーーーーもう!尿!これは尿よ!アンタが馬鹿すぎるせいでおしっこ出ちゃったのよ!!ほら!私セミだもん!!」
…流石にその言い訳は苦しいしどうかと思う。
「セミ助じゃないけど、私達だってそろそろ時間切れよ。わかってる?
ここ数日鳴いてるの、ひぐらしよ。
アンタさ、もう嘘でいいから、たった一回、一回でいいから、眼の前にいるお前が好きだって、鳴いてみなさいよ。
誰かじゃなくて。
……今、ここにいる、たった一匹をブッ刺しにいきなさいよ。
そんなことも怖いんなら、蝉のオスなんかさっさとやめて、死んじゃえばいいのよ。」
斜陽。冗談みたいなオレンジ色が、葉も枝も染め上げている。飛び去っていくミン子の羽がオレンジを反射して、なんだか燃えているみたいだと思った。
ミン子が燃えている。
アスファルトは未だもうもうと日中溜め込んだ熱を吐き散らしているのに、りぃりぃと無数の鈴虫がうるさくて、
(ア、秋だ)
胸が縮む。怖気づくように羽の付け根が震えた。
上手くいく保証は無い。
ただ明日、俺は生まれて初めて、ただ一匹の為に鳴く。