「学校の授業に歴史はいらない!」「古典を消せ!」だと!? 俺にも言わせろ! 「英語をなくせ!!」
ランキングや新着を覗いていると、「○○(教科)は意味がない!」ってエッセイが載ることがあります。ランキングに入ってくるところを見ると、一定の支持を集めていらっしゃるようです。
書かれた内容から、投稿者は学生さんが多いようですが、「大人が書いたのかな?」と思われる作品もありました。
そこで、それなりに大人である私も語ってみます。
中学校・高校の授業で一番なくすべき教科は英語です!
「英語は国際言語。使えなければ困ります。国際化のためにもたくさん学ばなければなりません!」
……と、10年前、いや、5年前までだったら言ってました。
今やどうです? スマホさんが1台あれば、相当マイナーな言語ですら翻訳してくださるようになりました。
専門家を目指す人が専門的に学ぶとか、将来英語圏で生活しなければならないならともかく、わざわざ他教科以上の時間を割いて学習する必要がありますか? いっそのことやめちゃえばいいじゃないですかって話です。
以前に聞いた講演で、金田一秀穂先生も同じようなことをおっしゃってました。
ですから、英語なんてやめて、科学の発展のために、もっと理数系の学習を増やしましょうよ!
それに、理数系と言えば、ノーベル物理学賞を取った益川敏英先生は「I can't speak English.」のスピーチでも知られています。先生は、本当に英語が嫌いで、論文は友人に英訳してもらっていたなんて話もあります。
つまり、英語ができなくてもノーベル賞を取れるような学者になれるんです。
あと、最近『言語活動の充実』とか言うでしょう。日本語だって充実させなきゃいけないのに、何が悲しゅうて外国語を優先で学ばにゃならんのですか? 私ら日本人ですよ、日本人!
そういうことですから、英語の授業を無くしましょう。
さて、こう言われてどう思いました?
納得できましたか?
「○○(教科)は意味がない!」「○○(教科)なんて無くせ!」って、学生さんたちが考える気持ちは、とても良くわかるんです。だって筆者も学生時代、苦手教科に対して同じことを思っていましたから。
それに、学生時代に学んだことが、実生活で役立っているかというと、そんなことはほとんどありません。だからこそ余計に、「何でやらなきゃいけないの!?」「いらないじゃん!」って言いたくなる気持ちがわかるんです。
例えば、私は高校まで理系でしたから、それなりに化学や物理の知識があります。
でも、それを「日常生活のどこで活かしているの?」って問われると甚だ疑問です。
更に言えば、私は、とある専門職のサラリーマンですが、高校時代に学んだことで、現在、「確実に役立ってる!」って言い切れるのは『漢字』ぐらいです。
それだって、手書きの機会はめっきり減りましたから、文章を打つときに正しいものを選択できるレベルで役に立っている程度です。
中学時代までに学んだことならともかく、高校まで行って学んだことが、今、全て活かせてる人って、いったいどれぐらいいるんでしょうか?
それを考えれば、冒頭の英語の例のように、どの教科だって「無くなったって問題ない!」と強弁できそうに思いませんか?
でも、無くなりませんよね。
なんで無くならないかというと、小・中学校で学習することは『一般教養』だからです。そして、高校で学ぶことだって、ほぼ全て『基礎』です。これは大学で専門的な学問を始めればわかります。
つまり、普通科の高校で学習するような内容は、大学等で専門知識を身に付けるにあたって、知らないと困る可能性があるから、学んでおくものなんです(※資格や免許が取れるような実学系は、話が違ってきます)。
でも、「理科系の専攻に文科系の教科は必要ないんじゃないか?」(※またはその逆)
こう思われる方もいらっしゃることと思います。
これには、私の経験を交えて回答いたします。
私の中学時代の得意教科は、理科・社会・数学でした。そのため、高校は理科系の学科に進学したのですが、大学受験で選択したのは、人文科学系の学部です。
高校で理科系について重点的に学習するうちに、自分の適性に合わないことに気付き、文科系への転向を決断したのです。
ただ、これができたのは、少ないながらも文科系教科の授業があったおかげです(※それでも相当苦しかったです。「普通科に進学しておけば良かった~!」と何度思ったことか!)。
文科系の授業が実施されていなければ、適性が少なく、興味も薄れた、理科系の学部を、無理矢理にでも目指さなければならず、その後の人生に、悪影響があった可能性は大です。
そもそも『一般教養』レベルしか学んでいない、15かそこいらの子どもに、将来に繋がる重大な選択をさせ、しかも、完全に退路を断ってしまうというのは、高校進学率がほぼ100%になった現代の社会においては、少々酷なことではないでしょうか。
私のように高校で学ぶレベルの『基礎』を学習してみて、初めて、不向きを悟るような子もいるはずです。または、高校時代に嫌々『基礎』を学んでいたことで、『専門教養』において力を発揮できる子もいるかもしれません。
ですから、将来の芽を摘まないようにするためにも、ある程度幅広く学んでおくことは重要ではないか。と、私は思うのです。
これは、自分の受験に必要がない、あまり興味をもてないなどの理由があったとしてもです。
少なくとも、「将来に役立つかわからないから、必要ない!」と断じるのは、いささか早計なのでは? と、思っています。
追記です。ここからは結構毒を吐いていきますので、ブラウザザバック推奨です。ここまでで既に不快に感じている方は、読まない方が良いと思います。
本当に読むんですか? 覚悟はよろしいですね。
「学習しなくてもいい!」って言われてる教科は、実学系の自然科学系や社会科学系に比べると、歴史・文芸・言語などの人文科学系が多いように思います。
「千年前のことなんて勉強して何の役に立つのさ!」
「小難しい戦前の小説なんか読ませないで、もっと最近の話を読ませろよ!」
「もう使わない言葉なんか覚えたって意味ないじゃん!」
こう言いたくなる気持ちは、わからないでもありません。
これが他国の歴史であったり、文学であったり、言語であったりするならば、わざわざ一般教養や基礎として学習する必要はない。と、私も思います。
でも、あなたが日本人であるならば、日本の歴史・文学・古語は、ある程度学んでおく必要があります。
仮に、将来役に立たなそうに見えても、です。
なぜ?
理由はたくさんありますが、あえて1つ、意外っぽいところを挙げましょう。
『国際化の推進のため』です。
疑問に思った人。国際化、国際化って言いますが、国際化のためにまず必要なことってなんだかわかりますか?
外国語の学習?
とんでもない! 自国文化の理解ですよ!
外国語がしゃべれても、自国のことを何にも知らない人は、ただの『外国かぶれ』で、『国際人』じゃないんです。ウソだと思った方は、ネットでも何でもいいので調べてみてください。こんな話はそこいら中に転がっています。
だから、今、役に立っていないように見えても、日本人として日本史や日本文学、古典は学習しなければいけないんです。
もし、仮に、「学習しなくてもいい」と断言できる人がいるとしたら、それは、その分野を専門的に研究している方です。
研究した結果、価値が認められなかった。だから、一般教養から外そう。
こういう流れで結論が出たのなら、まだ納得できるかもしれません。
でも、専門家でもない者が、「学習しなくてもいい」なんて言っても、なんの説得力もありません。
せいぜい「あなたが嫌いだから、勉強したくないだけじゃないですか?」って思われるだけじゃないですかね。
これが、時々見かける「教科不要論」を読んで、私が感じていることです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。感想欄は開けてありますが、200字を超える長文の反論を書かれるのでしたら、ぜひ反論エッセイを投稿してください!(※擁護エッセイでも可w) 絶対そっちの方が盛り上がりますから!!
エッセイの感想欄に何か意見を書いたって、私を含め、数人しか読みません。あなたの素晴らしい考えを、ぜひ多くの人に知ってもらおうではありませんか。
反論エッセイお待ちしています!