【第二話】イカと幼女と俺とお前と
「ヨカトちゃんや、そろそろ休憩しんさったらよかよ。」
「おう!ありがとう婆ちゃん!」
今日も婆ちゃんの淹れるウレシノ=ティーが格別に美味い。畑の高菜も元気に育ち、清々しいばかりだ。
ヨシノガリ=コーエンでの一件以来、俺達はリコの祖母である婆ちゃんの家に厄介になっている。
「ちょっと、何馴染んでるのよ。王都に帰る方法、探してるの?」
この口煩い貧乳、もとい俺の許嫁スイ=トートは、二月前に化け物に呑まれたと聞いていた。土石竜ワラ=スーボ。王都を壊滅させたこの災厄に、俺も呑み込まれたはずなのだが。どういうことか。
もしかしたら、他にも化け物に呑まれた者が流れ着いているかもしれない。一縷の望みに期待を託し、俺は日課のワイドショー観賞と洒落混んだ。
「あっ、この人。最近話題のイケメン漁師さんですよ!」
俺が一目惚れした巨乳娘……吉野里子が、乳を揺らしながら興奮気味に話す。今日もバインバインにTシャツを膨らませ、ゆさゆさと揺れる乳から目が離せない。こんな美少女と一つ屋根の下で暮らせるなんて、ここに永住したいくらいだ。
ちなみに、Tシャツに書いてある文字は「吉野ヶ里遺跡」と読むらしい。あの辺境の集落だと思っていた土地の名称であり、有名な観光地なのだという。相変わらず郷土愛に溢れたいい子だ、結婚したい。
「ふん、何がイケメンよ。男は顔じゃないわ、ハートよ!ね、ヨカト様?」
やめろ、慈愛に満ちた顔で俺を見るな。まるで俺の顔がイケてないみたいじゃないか。
それにしても、人間風情がイケメンとは笑わせる。そういうのは、兄上のような方のことを言うのだ。
「わぁ、綺麗な金髪ですね!」
そう、エルフの美を体現したような麗しき金の長髪で。
「青い目も素敵です!」
そうそう、煌めく海のような碧眼で。
「三ツ又の槍もカッコイイです!」
お祖父様より継承されし伝説の槍、ランス=オブ=ポセイドンをお持ちで……あれ。
「ハーイ、佐賀の皆さん!呼子のイカ王子こと、キランでーす!」
「兄上ぇーー!!」
茶の間のテレビに映るのは、ランス=オブ=ポセイドンを片手に白い軟体動物を誇らしげに掲げる、兄の姿であった。
「ええっと、鳥栖から呼子までは、車で1時間半くらいですね。」
リコに呼子までの道のりを尋ねると、徒歩では行けない距離であることがわかった。
「そうか。しかし、クルマは持っていない。バスは出ていないのか?」
「そうですねぇ……あ、お姉ちゃんに頼んでみましょう!」
リコは平たい板に雷系の呪文を打ち込むと、モシモシといういつもの詠唱で遠隔地と交信を始めた。どうやら魔術の適性も悪くないらしい、益々魅力的だ。
ほどなくしてやって来た若い女は、控え目に言って最高だった。
「里子の従姉妹、吉野栞です……。よろしく、お願いします……。」
隣町の巨大書庫に勤めているというその女は、リコの親戚に相応しい立派な乳の持ち主であった。
明るく快活なリコとは違い、人見知りらしい。どこか憂いを帯びた表情がたまらない眼鏡美女だ。俺の後宮リストに加えておこう。
「ちょっとヨカト様。鼻の下伸びてないかしら?……また浮気?」
「ーーおっと!スイもいたのか。」
後ろから放たれる殺気に驚いて振り返ると、ふんと鼻を鳴らして仁王立ちしたスイが口を尖らせて言った。
「当然です!ヨカト様が他の女に手を出さないか、きっちり監視させて頂きますからねっ!」
かくして、巨乳二名と貧乳と童貞ーー未来の後宮御一行は、晴れ空の中ドライブを満喫中だ。
心なしか、車内は良い匂いに包まれている。ホームのような安心感と、そこはかとないアウェイの香り。なんとも言えない心地がするのは、男としての経験値が足りないからではない。断じて。
「そうなんです!吉野ヶ里遺跡の発見があったからこそ、弥生時代のクニの在り方が解き明かされて行ったのです!」
「アンタって、本っ当に遺跡が好きねぇ。遺跡と結婚したら?」
「ーー遺跡と結婚!?素敵です!!」
助手席に座る俺の後ろでは、リコが息を弾ませて遺跡愛を熱弁している。適当に相づちを打つスイも、あまりに楽しそうなリコにつられて、時折小さく笑みをこぼした。俺の隣で運転する栞さんも、目を細めて微笑んでいる。
「ふふ……リコったら、楽しそう。」
栞さんは小さく笑った後、どこか沈んだ様子で呟いた。
「……あの子、本当に遺跡のことばかりだから。お友達が側にいてくれると、安心です。」
何か、あったのだろうか。俺が踏み込んで良い話題なのか迷っていると、栞さんはか細い声で言った。
「……あの子が、危ない事をしそうになったら。……止めてあげてね。お願い、します。」
「ーーはい。」
その言葉の意味もわからぬまま、俺は静かに頷いた。
呼子港に着くと、兄上はすぐに見つかった。ローカル番組に出演すると、瞬く間に有名人になるのだそうだ。地方あるあるです、と薄いピンク色の口紅が引かれた唇に指を当て、栞さんは微笑んだ。なんというか、大人の色気だ。正直たまらないです。
「おお、ヨカト!生きていたのか!」
ぬたぬたと暴れ回る軟体動物にまみれた兄上は、兄弟の再開に涙しながら、どこか充実した表情で得意気に言った。
「ーー知っていたか、弟よ。採れたてのイカは透き通っているのだ!」
知らんがな。
まるで絵画の天使のように美しい兄上の微笑みに、漁港中のおばちゃんのみならず、屈強なおっさん共まで虜になっている。どこに行っても愛される兄上は、俺の憧れであると同時に、目の上のたんこぶのような存在だった。
いや、はっきり言おう。俺は兄上が嫌いだ。ニコニコしているだけで女が寄って来るチート兄貴なんか、いなくなればいいのに。あー、兄弟の顔、入れ替わんねぇかなー。などとよく思ったものだ。
「呼子のイカは美味いぞ、ヨカト!ぜひ食べて行ってくれ!」
「……はあ。まあ、ちょうど昼時ですし。」
立ち話もなんだと、俺達は兄上が世話になっているという海鮮料理屋へ案内された。透明なイカの活き造りに舌鼓を打ちつつ、共に婆ちゃんの家へ帰るよう説得を試みると、兄上は長い睫毛を伏せて首を横に振った。
「……みぃちゃんを置いては行けない。」
「みぃちゃん?……猫かしら?」
うねうねと蠢く活き造りのゲソに眉をひそめながら、スイが尋ねる。すると、リコがぐっと拳を握りながら申し出た。
「猫なら、飼えると思います!お婆ちゃんに頼んでみますよ!」
「いや、違うんだ……猫じゃない。猫などよりずっと愛らしいんだ、みぃちゃんは。」
兄上は、王都でどんな美しい令嬢に縁談を持ちかけられた時よりも、うっとりとした顔で言った。
「みぃちゃんは……私の妻になる女性だ。」
ほーん。
心底どうでも良かった。イケメンの兄が異国で嫁を娶ろうと、俺には何の得もないからだ。その女性に可愛い妹がいるのなら、話は別だが。
しかし、俺の無関心は、みぃちゃんなる女の登場により一変する。
「あっ、みぃちゃん!!」
ガタッと椅子を揺らして立ち上がる兄上の、嬉しそうな目線の先にいた者。
ぴょこんと左右が跳ねた茶色のショートカットは耳のようで、首もとを飾る黒いリボンのチョーカーには鈴が付いている。まさに猫娘といった、マニア垂涎の風体をした女。
それは、どう見ても幼女であった。年端もいかぬ……下手をすれば、乳離れしたばかりかと思われる程の幼女が、もじもじと立っている。
「キラくん……そのひとたち、だぁれ?」
「これは私の弟だよ。さぁ、みぃちゃん。こっちへおいで?」
ハァハァと息を荒げながら両手を広げる兄の姿に、絶句する俺達。えっ、なにこれ。兄上って、ロリコンだったの?
「兄、上……?」
「おお、マイエンジェル!あぁーみぃちゃんは今日も最高に可愛いなぁ……。恥ずかしがらずに、さぁおいで?」
いや待て。そんなはずはない。強くて優しくて、美しくて博識で。結婚したいエルフNo.1とうたわれる兄上に限って、ロリコンなわけがない。
「お前……いくつだ?」
ぴょこぴょこと覚束ない足取りでこちらへやって来た暫定幼女に、年齢を問う。
もしかするとこの娘、妖精族か何かで、見た目に反して高齢なのかもしれない。そうに違いない。そうであってくれ、お願い!
「みぃ、ごしゃい。」
俺のかすかな期待を無慈悲に裏切る、紅葉のように愛らしい掌。その指は確かに、この子が5才の幼子であることを示していた。
「あっ、ああっ、兄上……。」
「ちょっとキランさん!正気ですか!?犯罪ですよっ!!」
崩れ落ちる俺を支えながら、スイがギャンギャンと喚き散らす。リコは真っ赤になって頬を手で覆い、栞さんはすっと一冊の本を差し出した。
『痴人の愛』
ああ。おっさんが少女に手ぇ出して、破滅する話ね。知ってる知ってる。この間テレビで見たわ。
「ーー私は本気だ!!」
兄上は、ドラゴン討伐作戦の出陣前夜のような鋭い眼差しで、みぃちゃんを高い高いしながら言った。
「……イザベラもマリアンヌも、私の権力や財産に目の眩んだ毒婦だった。しかし、みぃちゃんは違う!」
兄上は言った。みぃちゃんは天使であると。
三ヶ月前、俺やスイのように化け物に呑まれた兄上は、どういうわけかこの港へ流れ着いた。そこで己を拾ったのが、この5才の幼女、みぃちゃんであったのだという。
「汚泥にまみれ、みすぼらしい姿をした私に、みぃちゃんは言ったのだ。おにいちゃん、大丈夫?……と!!」
演劇のクライマックスのような大袈裟な身振りで、髪を振り乱しながら叫ぶ兄の姿を直視できない。
かつては自慢の兄だった面影は、遥か彼方へ。ちょっと見ないうちに、オープンなロリコンへと変貌してしまっていた。
兄上との思い出が、走馬灯のように流れては消えて行く。あれ、おかしいな。目から水が。
「その時私は誓った!これより先の人生、全てをみぃちゃんに捧げて生きていくとっ!!」
兄上は神に祈りを捧げるように跪き、天を仰いで咆哮する。いつの間にか集まっていた聴衆からは、嗚咽混じりの泣き声が上がった。俺も泣いた。
リコと栞さんは場の雰囲気に流されたのか、切ない表情で感傷に浸っている。スイは虫けらを見るような目で、ゲソの天ぷらを咀嚼していた。嗚呼。ゲソですら、活き造りの一部から締めの天ぷらへと正しく変われるというのに、兄上ときたら。
「うう……あぁ……。」
最早言葉にならない。赤子のように喃語を漏らしながら、なんとか現状を受け入れようと悶絶する。そんな俺のもとへ、みぃちゃんが心配そうな顔で歩み寄り、更なる爆弾を投下した。
「おにいちゃん、元気だして?……おとこは顔じゃない、テクニックだよ?」
仔猫のように潤んだあどけない瞳が、労るように俺を見詰める。もう心が追い付かないが、ちょっと待て。俺が落ち込んでいる原因は、兄の豹変ぶりであって、顔じゃない。それに、何度でも言うが俺の顔は決して残念ではない。エルフの中では中の下くらいだが、何百という種族の中では美しい方なんだ。勘違いしてもらっては困る。それにしても。
「みぃちゃん、よく聞け。男は顔でもテクニックでもない。ハートだ!心の豊かさだ!優しさなんだ!」
「やさしさ……?」
みぃちゃんは、チョーカーの鈴をちりんと鳴らして、きょとんと首を傾げた。
そうだ、優しさだ。5才の幼女が異性に求めるものなんて、優しさ以外に有り得ない。愚兄のことなど忘れて、清く正しく、健やかに育ってくれ。
そもそも誰だ、いたいけな幼女にテクニックなんて吹き込んだ奴は。二十年早いわ。……まさか、兄上じゃないだろうな。
「でも……女はやさしさだけじゃ満たされないって、おかあさん言ってたよ?」
いつの間にか膝に乗っていたみぃちゃんは、猫のように体をすり寄せ、俺の耳元で囁いた。
「みぃ、頼れるひとが好き。……ねぇ、おにいちゃんは、オトナのおとこのひと?……ケイケンホウフなの?」
ああ、みぃちゃん。何なんだい、君は。呼子の火薬庫、ロリコン半島なのかい?残念ながらお兄ちゃんは、経験豊富どころか未経験……いやいや、落ち着け!
いかんいかん、危うく精神を持っていかれるところだった。なんだこの娘は、夢魔か何かか!
ーーともかく、戦犯は見つかった。この子の母上はとんでもない。どんな複雑な家庭か知らんが、日頃から教育上よろしくない事ばかり吹き込んでいるに違いない。一言もの申さねば、気が済まん。
「あらあら、すみませぇん。」
「おかーさん!」
どこからか女性の声が聞こえると、みぃちゃんはぱっと顔を輝かせ、声のする方へと駆けて行く。来たな、諸悪の根源め。あれが母上か、あれが……。
「ウフフ、娘と遊んでくださって、ありがとうございます。」
見たところ30代前半の、メランコリックな色香に満ちた人妻がそこにいた。
何なのだろう、この人妻特有の気怠げなフェロモンは。伏し目がちな目元と、口元の黒子がまたいい具合に魅惑的だ。
それでいて、胸の張りや腰のくびれは、とても経産婦とは思えない黄金比で構成されている。何かもう、全てを委ねてバブバブしてしまいたくなるような、そんな女性だった。
「とんでもない……可愛い娘さんですね!」
キリッとイケ顔を作り、爽やかに応対する俺。ああ、何かいい匂いがする。もう文句の一つも出てこない。
「ええ、本当に……。夫を亡くした年には、半年間何も喋らなかったあの子が。あんなに元気に。ぐすっ。」
なんということだ。衝撃的な事実に、俺は雷に打たれたかのように立ち尽くした。……完敗、だ。
このスタイルで、壮絶な色気を放ちながら、その上未亡人だなんて。童貞の俺には、到底対処のできない案件だった。俺は大人しく撤退を決め、ついでに兄を差し出した。
「えっと……お母さん。兄を、よろしくお願いします。」
「やだ、お母さんなんて。……さより、って呼んで?ね、ヨカトくん。」
可愛らしく首をかしげて、おねだりするように甘い声で囁きながら、上目遣いに手を握られる。洗練された一連の動作は、さながら熟練の騎士の鮮やかな連撃のようだ。無駄なく、確実に殺しに来ている。
なんかもう、お手上げだった。俺の砦では防ぎ切れない。勝てるわけがないんだ。まだ初陣を飾ったこともない訓練兵の俺が、どうして百戦錬磨の武将に勝てると言うのか。
俺はもの申すどころか、完全に動きを封じられてしまった。最早、にやにやと腑抜けた顔で照れ笑いを浮かべる他ない。遠くから、スナイパーのレーザーポインタのように当たり続けている、スイの視線が痛いなぁ。
「……まあ、いっか。」
半ば諦めた俺は、兄上の腕の中できゃっきゃとはしゃぐ幼女をぼんやりと眺める。みぃちゃんは、母親から受け継ぎし魔性の片鱗を見せながらも、無邪気に宣言した。
「みぃ、おっきくなったらキラくんとけっこんするー!」
「みぃちゃぁああああん!!」
沸き上がる観衆、咽び泣く兄上。なんだか馬鹿馬鹿しくなった俺達は、たらふくイカを食って呼子の地を後にした。
~続く~
【おまけ】
各キャラクターのイメージイラストです。
【あとがき】
透明なイカ、美味しいですよね。県外から引っ越して来て、初めて見た時は感動しました。締めは天ぷらか塩焼きですが、作者は天ぷら派です。
次回のヨカト達は、リコの学校に交換留学生として潜入します。そこでヨカトが見た不条理とは!乞うご期待です。
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