お寺と商店街と、そして
切符は当然ながら葉月が買った。
シィはそのすぐそばについて、興味深げに観察していた。葉月は彼女の分の切符を渡して、先に立って進む。
シィカは自動改札では小さく悲鳴を上げ、出てきた切符を二度取り損ね、背後からのブーイングに頭を下げて謝っていた。
ラッシュの時間を過ぎていたから、電車内は充分に空いていた。隣り合った席に腰を下ろすと、彼女は体を大きく捻り、窓の外の景色に目を奪われていた。
興味を感じて聞いてみた。
「こういう乗り物は君のところにはないんだ?」
「ええ、もっと違うもので。ただ、あまり話してはいけないことになっているんです」
「そうなの? ごめん」
「いいえ、申し訳ないのはこちらです」
確かに彼女の表情は申し訳なさそうだった。
電車が目的の駅に着くと、再び葉月が前に立って進む。
駅の前には賑やかな商店街があるが、まずはまっすぐに進んでいくと、目の前に大きな門が見えてきた。
「あれですね?」
シィカが嬉しそうな声になっている。
表情にもわくわく感が溢れている。まるで遠足に向かう小学生のようにも見える。
門の両側には仁王様の像があり、この寺の観光ポイントの一つだ。観光客が入れ替わり立ち替わり、その前で写真を撮っている。
シィカは写真を撮る様子もなく、ただ近づいて熱心にそれを見つめていた。ときおり立ち位置を変え、いろんな角度から眺めては、感心しているようだ。
それから、また葉月に目を戻した。
「これも、アニメキャラなのですか?」
その質問に葉月がずっこける。どうも昨夜のフィギュアからの連想らしい。
「いや、これは違うよ、仏像だから」
「ぶつぞう? それはどういうものですか?」
そう言われて葉月は首を捻った。彼女は当然仏教を知らないだろうから、どう説明すればいいんだろう?
それに、彼自身も仏教のことをよく知っている訳じゃない。
「神様の像みたいな感じ? 宗教というか信仰というか……」
「なるほど、これは神様なのですね」
彼女はひとまず納得したようだが、それからもう一度不思議そうな顔をした。
「でも、ではどうしてこんなに怒ってらっしゃるんでしょうか?」
「うーん。よく知らないんだけど、ここは入り口だから、見張りをしてるんじゃないのかなあ。悪い奴が入らないように、とか」
「へえ……」
彼女は何となく納得したようで、それ以上は尋ねてこず、他の観光客に混じって像をずっと眺めていた。
それから二人はお寺の中を見て回った。
本堂で大きな仏像を見たり、沢山の人が手を合わせたり拝んでいるのに混じって、一緒に手を合わせたり、賽銭を投げ込んだり。
あるいは壁一面に描かれた絵を眺めて回り、売店でおみやげ物を手に取ったり。
シィカはそんなあれこれについて、何度も質問を投げてよこした。
葉月は出来るだけ答えはしたが、元々詳しい知識があるわけではなく、すぐに分からなくなる。だが、彼女の方もそんな知識を求めるのが目的ではないようで、彼が答えに窮すると、それ以上に問い質すことはなかった。
それに庭園を見て回りもした。
ちょうど沢山のツツジが咲いていて、それもこの寺の名物だった。シィカもそんな花の間を歩いては、とても嬉しそうだった。
葉月はそんなシィカの様子をそっと盗み見ては陶然となっていた。何しろ花に囲まれてうっとりと笑みを零す彼女は、更にあでやかな大輪の花のようだった。
お昼前にはお寺の中を一通り見終わっていた。
再び大きな門を通り、町に向かう。駅前のハンバーガーショップで昼食を取った。シィカは興味深そうにあちこち見回し、ハンバーガーをしっかりと食べた。
その後で今度はショッピングモールを見て回った。
様々な店を眺めては、彼女は喚声を上げていた。
彼女は何でも目に付くものには興味を持った。
もちろん洋服などは一目見れば用途が分かるが、見ても分からないものについては葉月に聞いてくる。
葉月も答えられるものは答えるが、女性用の小物など、女性に関する経験の少ない身では、よく分からないものも多かった。だから曖昧な答になることもあったが、シィカはやはり気にしないようだった。
家電店も彼女の興味を引いたようだった。
掃除機などを試しに動かしてみては、小さな悲鳴を上げたり、感嘆の声を上げたりしていた。ただ、様々な異なる用途のものがひとまとめに並んでいるのが不思議だったようだ。
「この店、一体何の店なんですか?」
「何って、電気製品って言うか……ああ、そうか、ここのものは、全部電気で動くものなんだよ」
「これ、全部電気で動かすんですか。大したものですね」
「それって、シィカさんのところでは……あ、聞いちゃいけなかったんだ」
「ごめんなさい」
よく分からないけれど、少なくとも電気というものを知っているのと、それがこれほどは使われていないのは確からしかった。
その次にシィカが喜んだのは、おもちゃ屋だった。
子供のための玩具というのは一目で分かったらしい。乳幼児向けのたわいもないおもちゃから、大きい子供向けの凝ったものまで、あらゆるものが興味を引いたようだった。
もっとも、売り場のかなりの部分を占めるゲームソフトには、さほどの関心を見せなかった。デモンストレーションの画像も見ていたから意味が分からなかったのではないはずだ。
多分、アニメより現実のものを、と言っていたから、それと同じような判断があるのだろう。
そして人形の棚に来た時のこと。彼女が大きな声をあげたのだ。
「ハヅキさん、これ、ハヅキさんのお好きなフィギュアっていうのですよね?」
この声に、平日の昼間だから多くないとは言え、周囲にいたお客、主におばさん達がぎょっとした目を向けた。
葉月は慌てて唇に指を当てて、頭を振る。それで一応は分かってくれたらしく、シィカは声を落とした。
「すみません、迷惑だったのですね。でもこれ、ハヅキさんのお好きな……」
「だから、それは違うんだ」
葉月は女の子のお人形遊びやままごとについて少しだけ説明した。それはシィカの世界でも通じるらしく、すぐに納得してくれた。
「それじゃ、ハズキさんのお好きな方の人形は、どこに売っているのでしょう?」
「それは、その、また別の、と言うか、特別な店にあってね」
葉月としては説明に困るシチュエーションだ。だが、シィカは興味津々。
「それでは、ここでなくても、こんなに沢山のお店があるのですから、どこかにはあるのでしょうね?」
「いやあ、そ、それはどうかなあ。あは、あは」
彼は力無く笑った。
ここは表通りの商店街だ。アニメ関連はどちらかと言えばこんな真正面から表通りなところにはないような気がする。何しろサブカルと言うくらいで、ちょっと後ろ暗いイメージがある。
それに彼自身、その手の店を彼女に見せたくない、との思いがある。香月はごくまっとうなもの、むしろ貧弱なものしか持っていないが、店であれば我が家にある以上に派手なもの、ややいかがわしい傾向のものもあるに違いない。それを彼女に見られくなかった。
それに、そんな店があれば葉月としても入りたくなるし、入れば夢中になってしまうだろう。その姿を見られるのはきっとまずい。そんな思いもあった。
だから今日はその手の店は見たくないと思ったし、また多分ないだろうとも思った。見たところ、あまりに真っ当な商店街であり、サブカルの匂いは似合わない通りに見えたから。
しかし驚いたことに、あったのだ。
二人はおもちゃ屋を後に、さらに店巡りを続けたのだが、ショッピングモールの奥に、まがう事なきアニメショップの大手が店を構えていたのだ。それも彼の町にあるのより格段に大きい。
葉月は金縛りにあったように立ちすくんだ。
「あら、これ、もしかしてハズキさんのお好みの?」
彼女にもそれはすぐにわかったようだ。
それはそうだろう。ショーウィンドウにはフィギュアやお宝グッズが並んでいて、ポスター張りまくり、モニターにはアニメそのものが動いているのだから。
そのディスプレイに見つけた彼女は、しばらくそれを見つめていた。
そこには最近終了したばかりの魔女っ子アニメ、髪を両側に結んだ女の子がバトンを手にくるりと回ると、全身に光が溢れ、服が消えてというシーンが流れていた。
「これが……アニメなんですね? 絵が動いて……」
「そ、そうなんだ」
「この女の子の本、ハヅキさんのお部屋にもありましたね。ハヅキさん、このアニメお好きなんですか?」
「あ、その、まあね」
図らずも、昨日彼が見せようとしたものを彼女に見せることが出来たわけだ。それはまあ、いいことだ。
とはいえここは彼にとっては禁断の店だ。
何しろ、町のショップを覗きたくないために裏通りに回って、そこでシィカに出会ったくらいなのだ。この店にも見てはいけないもの、見れば絶対に欲しくなるものが山ほどあるはずだ。
しかしそんな彼の気持ちは他人にわかるはずもないし、それが異界人ならなおさらだ。シィカはむしろ彼が喜ぶと思っているようだ。
「ハヅキさん、入りましょう! 是非とも解説してくださいな」
彼女がそう言いながら彼の腕を抱きしめると、彼はもはや抵抗出来なかった。二の腕にむにゅんとつぶれる柔らかな何かの感触が、もともと貧弱な彼の思考回路を一瞬でショートさせてしまった。
彼の意識は一度焼け切れ、次に気がついた時、彼は一階フロアの真ん中にいた。傍ではシィカが目を輝かせている。
「これは……本当にハズキさんの部屋の……そのまま何百倍も詰め込んだみたいです!」
詳しくは知らないはずの彼女だが、それでも一目瞭然なのだろう。ずらりと並んだ本棚、棚には普通の本やら特に薄い本やら、DVDやらブルーレイやら、抱き枕にフィギュアに、その他諸々。壁の隙間という隙間にはポスターや宣伝ビラ。
それは確かに彼の部屋と同じような意匠だ。
ただし密度が何千倍も濃厚で、面積たるや彼の家全部より広い。多分、そのブツを全部かき集めると、彼の家を完全に空き家にしても、収まらないだろう。
本当は見えるもの全部、自分のものにしたい。もちろん、そんなことを現実的には望まない。空間的にも経済的にも、どだい無理な話だ。だからこそ、少数精鋭で、少しずつ集めてきたのだ。
そしてそんな彼にとって、喉から手が出るほどに欲しいものがあちこちに見て取れる。でもそれを手に入れるすべがない葉月は、見えること自体が拷問だ。だから目をそらして見ないようにするのがせいぜいの抵抗だ。
しかし傍にいる好奇心に満ちた異世界人にとっては、それらは全て、興味深い異世界の文物なのだ。だから素朴な質問を投げてくる。
「あの、細長くて脹らんだものは、何なのでしょう? 女性の全身の絵が入ってますけれど?」
「あ、あれは、その、あー、抱き枕って言ってね。使い方は、その、よく知らないよ」
「では、あちらの衣装が並んでいるのは?」
「ああ、あれはコスプレって言って」
彼女は興味が尽きないとばかりに質問を繰り出し、彼はそれに出来るだけ答え、答えにくいものは誤魔化す。彼女の方は、やはり一通りのことがわかればいいらしく、それ以上追求しようとはしなかったので、その点はありがたかった。
そんな風に店内を見て回る彼女について移動しながら、彼はとある一角を見ないようにしていた。見れば次に起きることは明白だったからだ。しかし、彼女はその方向に近づき始めている。
だから、彼はわずかに残った自制心を絞り出し、最後の抵抗を試みる。
「ねえ、シィカさん、もうそろそろここを出て、次の……」
しかし残念なことに、それはワンタイミング遅かったのだ。
その言葉を言い終わるより前に、彼女は顔を上げ、その一角を見つけてしまった。
「ハヅキさん、あれ、あれ、ハズキさんの大好きなフィギュアですよね?」
そう、彼女は彼が見ないようにしていた一角、フィギュアの展示ブースを見つけてしまったのだ。
何しろ彼女には彼の大好きなもの、という意識しかない。いそいそと彼の腕を引っ張り、移動し始めたのだ。
もはや彼は抵抗出来ない。
というか、それで我慢出来るくらいなら店の前を回避したりはしない。全くの根性無しなのである。彼女の足が進むのに合わせて引き寄せられた。
そして見てしまった。
それで終わりだった。
彼の目はそこに釘付けになった。もはや周囲のものも見えず、音も聞こえない。彼の頭の中は、そこに居並ぶ数多のフィギュアに占領され尽くした。
品揃えはとても良かった。いや、良すぎた。
彼が窓越しに吸い寄せられたあのピンクの髪をした魔法少女は、同じシリーズのポーズ違いが全部揃って見得を切っていた。もちろん同じアニメの他のキャラもしっかり揃っている。
しかし何よりの驚きは、神とも言われる造形家による三分の一スケールの『マジか』が、その中央にドン、とあったこと。非売品かと思ったが、よく見ると値札が付いている。だがその額たるや――
「誰が買うんだよ、こんなの」
思わず零してしまった。
だが彼の目はそのフィギュアから離れない。
見れば見るほど、それはすばらしい出来だった。その表情には生々しい気迫が感じられる。
彼女はその手に布団叩きをファンシーに飾り立てたような独特のバトンを持ち、それを高々と振りかざしている。この後「イタームル・タピラカース!」の呪文と共に振り下ろせば、一帯に重力攻撃が加えられ、あらゆる物体が叩き伏せられるのだ。
それは、彼女が自身の真の力に目覚めた瞬間。
耳を澄ますと『全ての魔女をこの瞬間に押し潰してやりたい!』というそのシーンの名台詞が聞こえてくる気がする。
葉月は少しずつ位置を変え、そのフィギュアを様々な角度から見つめた。そうしていれば、頭の中に3D映像が出来るというように、角度を変えてはその姿を頭に焼き付ける。
そしてふと、すぐ側のフィギュアに気が付いた。
それは件のそれを一回り小さくしたもので、要するに通常販売用の廉価版なのである。もちろん迫力ではかなりの差があるが、作りそのものは十分にいい。
もっともその廉価版とて彼の手には届かない。
見るのが辛くて遠回りしたあのフィギュアより、一回り高い値が付いているのだ。
だが、ふと思いついた。
『金ならあるじゃないか。シィたんのくれた札があるんだから』
確かに、あれを投入すればこれを購入しても家に帰るくらいの金は十分残る。いや、彼女はまだ札を持ってはいなかったか?
しかしそこで彼は気が付いた。
『何を馬鹿なことを考えているんだ! フィギュアを買うのに彼女の金を使うなんて、最低じゃないか!』
彼には家の金を使い込んで思い切り叱られた痛い記憶があった。母に怒られたのも辛かったが、自分がどんな卑しいことをしたのかを思い知らされた、それが何と言っても情けなく、悲しかった。
あんな思いは二度としたくない。にもかかわらず、そんな金の使い方を考えてしまう自分の浅ましさが腹立たしい。
なのに、彼はやはりフィギュアから目が離せなかった。
今は方法の正否を無視すれば、それは手が届くのだ。なのに我慢するなんて、そんなことが出来るはずが……いや、駄目だ、駄目だ!
「あの、ハヅキさん?」
とにかく彼女の金のことは考えるな。一万円札二枚でお釣りが来る。そう、お釣りだってある、だけど駄目だ。
「ねえ、ハヅキさん? そのフィギュア、欲しいのでしょう?」
そうだ、欲しい。
盗んで逃げたいぐらいに欲しい。だけどお金がない。いや、あるにはあるが、手を出せない金だ。いや、出せば出せるが、出してはいけない。絶対いけない。でも……
「そのフィギュア、買いましょうか?」
「え?」
彼女の一言は、一気に脳に飛び込んできた。
そして葉月はようやく、彼女がさっきから側にいて、何か話しかけていたのだと気付いた。
「あ、ああ、ごめん、シィた……シィカさん。何かな?」
「葉月さんは、そのフィギュアが欲しいのでは? 私のお金を使えば、買えないですか?」
彼女の笑みは、慈愛に満ちている。
それを見ると考えていたことの後ろめたさに冷や汗がでる。
「いや、それはね、その、それはそう、なんだよ、だけど、それは駄目で、だからいいんだ」
彼は焦りながら、しどろもどろに答えを口にする。
本当は『いらない』と言えばいいのだ。
それは分かっている。だが、そう言いたいのに、口が断言しようとしてくれない。内なる欲求は駄々漏れだ。
だが、それを聞いたシィカは頬を緩めた。
「まあ、それでは私のお金で買えるんですね。なら、買って下さいな。ハヅキさんには案内して頂いてるんですから、お礼するのは当たり前ですもの」
彼女の一言は、まるで魔法の言葉だった。
葉月の頭の中に渦巻いた思考や疑問が、あっという間に綺麗な流れを作ってしまったのだ。
「ああ。ああ。ああ。お礼。お礼ね。そんなの別にいいんだけど。でも、そう言ってくれるなら、それは嬉しいし。断るのも失礼だし、じゃあ、買っていい? いいんだね。ありがとう、本当にありがとう!」
その後何がどうなったかは覚えていない。
気が付くと、彼は件のフィギュアを入れた買い物袋をぶら下げて、店の前に立っていた。すぐ側でシィカが荒い息をついている。
「ハヅキさん、そんなに急がなくても、まだ二階は見てませんし」
どうやら買い物を済ませると、そのまま駆け足で店を出たようだ。
そこから思い出して、それはわずかに残った善なる心の成せる技であることを知った。
つまり、まだシィカは金を持っている、葉月が欲しいものはいくらでもある。とすれば、店にいる時間が長くなると、なし崩しに色々買ってしまう。
だから慌てて店を跳び出したのだ。
「うん、でも、ここはもういいよ」
彼は息を静めながらそう言った。
辺りを見回すと、午後もずいぶん時間が過ぎている。葉月はフィギュアの前で一時間ほども粘っていたようだ。
「そろそろ帰らないと。あとは帰りながら回ろうよ」
「分かりました」
シィカはそう言うと、葉月の横に並んで歩き出した。
二人はそれからも商店街を眺めながら歩き、夕方に家に帰った。途中、葉月は駅で荷物を回収したが、シィカにはその意味は分からないようだった。