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翌朝

 翌朝、いつものように葉月は二度寝をしていた。

 毎朝のことだ。経緯はこんな風。


 まず七時に睦希がドアを叩いて起こしてゆく。

「兄ちゃん、朝だよー」

 これでひとまず目を開けるのだが、そのままで起ききれず、うとうとしていると、妹がもう一度階段を上って、今度はドアを開けて怒鳴る。それでようやく起きあがるというのが毎日の習慣だった。


 そろそろ睦希が上がってくる頃、ほら、階段を上る足音が……妙に重そうだな? ドアのノックが騒がしくないのも変だぞ。

「ハヅキさん、朝ですよ」

 え? シィカさん? なんで?


 と思ったら、柔らかな手が葉月の両肩にかかった。

「ハヅキさん、お母様が、起こしてくるようにっておっしゃって」

 葉月は慌てた。

 シィカが来るなんて思っても見なかったのだ。


 なのに、すでに彼女は部屋に入っていて、自分の両肩を掴んでいる。そう思う間に、やわやわと揺さぶられる。

 これはまずい。色々とまずい。

 急いで起きて、部屋を出て貰わないと。


 慌てて目を開けて、考える暇もなく思い切って体を起こした。

「ごめんわぷ!」

 葉月の目の前に黄色い何かが急接近し、直後に柔らかくて暖かくていい匂いのする何かに顔が埋まる。

「きゃあ、あ、ひゃん!」

 途端に彼女の悲鳴が上がり、さらに葉月の顔の上に暖かい重みがかかり、もう一度ベッドに倒されてしまった。

「わぷうう、むむうう」

「やん、ハヅキさん、駄目ですよお」


 どうやら彼が急に体を起こしたために、その上に体を乗り出していたシィカの胸に顔をぶつけたらしい。しかも彼女が驚いてベッドの方に倒れ込んだので、彼女に押しつぶされたのだ。


 訳がわかったのはいいが、いまだにシィカが体の上に乗っかったままだ。慌てているせいか、うまく立ち上がれないらしい。

 しかも葉月の方は顔の上には大変なものが乗っかって、息も出来ない有様だ。


「やはん、ハヅキさん、あんまり動かないで、そこ、だめ」

「う、えうう、ううう」

 返事をしようにも、声が出せない上、それがまた彼女に響くらしい。

「ひゃあん、ハヅキさん、駄目ですぅ、動かないでぇ!」

 その度に、彼女がくねくねと体を捻り、それに合わせて葉月の顔を押さえるものがふにふにと動くのは、あまりに魅惑的すぎて怖い。

 しかもその間ずっと息が出来ない。

 これは直接に生命が危険だ。


 しかし押しのけるには彼女の身体に触れなければならず、それも考えただけで恐ろしい。しかしシィカはなかなか起きあがってくれない。


 そんな膠着状態を破ったのは睦希だった。

 どうやらどたばたやっている葉月達を引きずり下ろすべく、母からの使命を帯びてきたらしい。

「兄ちゃん達、何をして……る、え、何?」


 彼女は目の前の光景に一瞬困惑に陥り、それからとある判断を下したらしい。

「兄ちゃんの馬鹿! 変態! 色魔! シィカさんに何してるの!」

 そんな風に喚き立てながら、彼女の体を抱き寄せるようにして立たせた。そして、ベッドの上に残った兄の身体に容赦なく拳を振り下ろし始めたのだ。


「わぷ! 違う、違うって、僕は、ぎゃあ、違うって」

「何が違うの! 起こしてくれたシィカさんをベッドに引きずり込むなんて! 最低!」

「ああ、違います、違うんです! ハヅキさんは悪くないんです」

 睦希の暴行を呆然と見ていたシィカがようやく気がついて、睦月を後ろから抱えるようにして止め、取りなしてくれた。


 それで葉月は何とか危機を脱することが出来た。

 ただし睦月の小さいが固い拳の感触のお陰で、それまで味わっていたはずの天国のような柔らかさの記憶が大方吹っ飛んでしまった。葉月にとっては、それだけは残念だった。


 朝食が終わって準備がすむと、睦希がまず家を出て、続いて葉月が出る。母が家を出るのは少し後だ。

「じゃあ、行ってくるから」

「はい」

 シィカがにっこりとほほえんで、玄関で見送ってくれた。後で会うことは内緒にして貰ってある。理由は『恥ずかしいから』にした。

 彼女は今ひとつ納得しない様子ながらも頷いてくれた。


 そのまま登校路を辿るが、学校に行く気はない。途中で道を逸れると、駅に向かった。

 人混みをかき分けながら、駅舎の隅に移動、コインロッカーに鞄と制服を押し込み、カラーのシャツとズボンの姿になる。これなら一目で高校生とばれる危険も少ないだろう。友人のさぼり方を聞いたことがあったので、それを応用したものだ。


 それから駅のトイレに潜り込んだ。

 すぐに出ては、同級生にぶつかるかも知れないからだ。大して仲のいいものはいないが、見られるのは楽しいことじゃないし、何が起こるかもわからない。


 しばらく個室に籠もって、それからそっとトイレを出た。

 通勤ラッシュはピークを越えたようで、人混みはやや少なくなっている。

 周りを気にしながら、そろそろと駅を出る。


 何しろ、こんなに本格的に学校をさぼるのは初めてだ。

 どこかから誰かが見ている気がする。不意に呼び止められそうで、びくびくしながら歩いて、それでも例の裏路地に入った頃にはようやく不安をさほど感じなくなった。


 公園に着いた時、彼女はまだ来ていなかった。

 昨日座ったベンチに腰を下ろして、あちこち見回していると、シィカがやってきた。彼女も左右に目を向けながら歩いていて、葉月を見つけると、嬉しそうに小走りでやって来た。


「お待たせしましたー」

 そんな彼女の綺麗な、でも弾んでいて、しかもどこか間延びした声に、葉月はどきっとする。慌てて立ち上がり、彼女を迎える。

「いや、俺も今来たとこだから」


 そう答えながら、顔が赤くなるのがわかった。

(これって、まるでデートの待ち合わせみたいだ)

 でも、彼女はそれには気づかなかったようだ。ニコニコと笑顔を浮かべて、彼の目を覗き込むようにする。


「それで、今日はどこを案内してくれるんですか?」

「ああ、それはね」

 それについては、すでに考えてある。

 電車で三〇分ばかり行ったところに、大きなお寺があるのだ。有名な観光地だし、外国人観光客や修学旅行生なども来るところだから、葉月やシィカが昼間にいても目立たないはずだ。

 それに、周辺にはショッピングモールもあるから、見て回る場所もたくさんある。葉月の説明に、シィカは目を輝かせる。


「ただね、申し訳ないんだけど」

 葉月が頭を掻きながら説明を追加する。

 つまり、経済的な問題だ。

 葉月の手持ちをかき集めては来たが、二人分の交通費をそこから引くと、恐らくは昼食を何とか取れる程度だ。

「だから、不自由させるんだけど」


 ところが、それを聞いたシィカはさらに笑みを深くした。

「ああ、それなら問題ありません」

 彼女は腰のところに小さなバッグをつけてあったが、それを開けると、中から紙幣を取り出した。

「調査費は用意してあるんです。使い方は分からないから、ハヅキさんにお任せします」


 そう言って渡されたのは、数枚の一万円札だった。

 彼は思わず取り落としそうになり、それから慌ててポケットの財布を取り出した。

 そこに収めようとしたが、そこで踏みとどまった。

「わかった。必要になったら使わせて貰うよ。今はこれだけでいいから」

 彼はそれを一枚だけ受け取り、財布に収めた。今日一日なら、それで充分のはずだ。


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