母の前で
とりあえず、舞台は家の中、居間に持ち込まれた。
もちろん母には何度も本当の事を言えと責められ、一体何があったのかと問いつめられた。
部屋の外からは睦月が覗いているはずだ。その顔は見えないが、呆れ返った顔だろうことは想像に難くない。
葉月はしどろもどろなままに、母の追求にはそれに話を合わせ、あるいは小さな作り話をしたりと、次第に細部の設定を作っているうちに、こんな話になっていた。
彼女は外国から来たらしいのだけれど、どこから来たかなどは一切わからない。
それは、記憶喪失だからだ。そうなった原因も、これまた不明。とにかく、気がつくとこの町にいて、困ってうろうろしていて、疲れてあの公園に座っていた。
その時に、そこで葉月に拾われた。
いや、正確には彼が『どうしたのか』と声をかけたら、そういう話を聞かされて、仕方がないので家に連れてきた。
そんな話になると、次第に母もあらわな警戒を示さなくはなり、同情する様子さえ見える。
「それは大変だったのねえ。荷物なんかは?」
「いえ、それは全く」
母は彼女をしげしげと見て、しばらく首をかしげてから、ようやく言ってくれた。
「わかったわ。いつまででもこの家にいていいから」
葉月はほっと力を抜いた。隣ではシィが嬉しそうに顔をほころばせる。
「お母様、ありがとうございます」
それから横を向いてもう一度頭を下げた。
「ハヅキさんも、本当にありがとうございます」
「いや、あの、その、それはね、その」
美少女に頭を下げて礼を言われるというだけで、葉月はあわてふためいてしまう。
その様子を母はあきれ気味に見ていたが、彼の動揺が多少収まったところで、再び口を開く。
「ただ、やっぱりご家族は探しているでしょうから、何とかしなければいけないわ」
「何とかって?」
葉月の疑問に母が答える。
「記憶喪失なら医者に診せた方がいいし、行方不明なんだろうから警察にも知らせないと。そうでしょ?」
「それは、そうかも……でも、どうする?」
「医者は困ります。怖いです」
シィカが震えだしそうな様子で言う。
母はそれをどう取ったのか知らないが、なにやら頷いている。葉月は、細かく調べられて異界人であることがばれることを恐れているのかも、と考えた。だが、そうすると、異界人はこの世界の人間とどこか違っていることになり、しかもそれは医者に見せないと分からないところ。それってどこなんだろう、などとくだらない想像が広がってしまう。
ただ、母もそこは無理強いするつもりはないらしい。
「まあそうかもね。でも、警察には連絡しておかないと」
母の言葉に、シィカは小さく頷いた。
「いいの?」
小声で聞いてみると、小声で返してくれた。
「どうせ誰も探していませんから」
幸いに母はこちらを見ていなかった。
「それじゃあ睦希、夕食準備しておいてくれる? 母さんはこの子連れて買い物に行くから」
「あの、それはどうして?」
慌てて葉月は立ち上がる。彼女を警察にでも連れて行くのかと思ったのだ。しかし母は笑って言った。
「着替えがいるでしょ? うちのものを使って貰えばいいんだけど、合わないのもありそうだからね」
「着替え……」
葉月はシィカを見て、それから母と妹を見た。妹は背が低いし、何よりまだまだ発展途上の体格だから論外。
母は背が高く、プロポーションもいいのが自慢で、実際に二児の母とはとても思えない。身長はシィとさほど変わらないほどあるし、太ってもいない。が、胸はシィカの方がずっと大きく、ちょうどハンドボールとバレーボールくらいの差があった。
「ああ、そういう……」
何となく納得して頷く葉月を、母が睨みつける。
「葉月。目つきがいやらしい」
すると、隣のシィカが体を丸めるようにする。
「すみません、そんな、申し訳なくて……」
さらに後ろから瑞樹が怖い声を出す。
「兄ちゃんのエッチ! ヘンタイ!」
「そんな、ごめんなさい、その、ただ、ほら、ね?」
真っ赤になって両手を当てもなくばたばたさせる葉月をそのままに、母が立ち上がる。
「さあ、馬鹿は放っておきましょう。シィカさん、こっちに来て」
そう言うと、母はさっさと居間を出る。シィカは慌てて立ち上がる。
「すみません。ハヅキさん、行ってきます」
そう言って彼女が出てしまうと、家の中には葉月と睦月の兄妹だけになる。
妹は兄をしげしげと眺め、冷めた声で言った。
「兄ちゃん、珍しく女の子と知り合いになったからって、浮かれるとドジるから、気をつけなね」
「なな何を言ってるんだ」
急所を突かれた葉月は、その焦りが言葉に丸出しになっている。妹の方はさして気に留める様子もなく席を立った。台所に向かったから、夕食の準備なのだろう。
「それとね」
だが、台所に入る前に振り返って、もう一度言ったのだ。
「オタクの本性は出さないようにね。絶対に引かれるから」
グサッ!
言葉のナイフがものの見事に心臓を貫く音が葉月にははっきりと聞こえた。彼は刺された胸を両手で押さえて、その場に突っ伏した。