千堂京一、テスト結果を告げる
『愛しているよ』
その言葉を耳にして、アリシアは腰が抜けそうになっていた。いや、実際に腰が抜けてその場にへたりこんでしまった。さすがに九十キロを超えるアリシアの重量を生身の千堂では支えきれず、彼女を抱き締めたまま一緒にその場に膝をついた。
「大丈夫か?」
問い掛ける千堂の顔を、アリシアは茫然と見詰めていた。意識が飛んでしまったかのように見詰めるしか出来ないでいた。
「アリシア?、しっかりしろ」
改めて千堂に声を掛けられてようやく、彼女はハッという顔をした。意識が戻ったようだ。そしてその瞬間、両手で自分の顔を覆って、泣き出してしてしまったのだった。
もちろん涙は流していない。だがそれは紛れもなく泣いている仕草だった。感極まって抑えきれずに泣いてしまった少女の姿だった。そんな彼女を千堂はただ抱き締めた。何か不具合が生じたとかそういうのでないことが分かっただけで十分だった。
彼女は、嬉しかったのだ。嬉しすぎてそれが一瞬キャパシティーを超えてしまって、意識が飛んだ状態になってしまったのである。
『愛してる』
この言葉をどれほど待ち望んだことだろう。どれほど焦がれたことだろう。ロボットである自分がその言葉を貰える筈はないと諦めつつも、それでもと欲した一言だった。それがこんな形で貰えるなんて、夢を見ることのない彼女にとってもまるで夢のようだった。
だから泣いた。涙は出ないがとにかく泣いた。メインフレームが激しく揺さぶられて、それ以外出来なかった。その状態から回復するまで、数分を要してしまったのだった。
ようやく顔を上げて自分を見たアリシアに、千堂は柔らかく微笑みかけた。
「落ち着いたか…?」
その笑顔に向かって、彼女は幼い子供のように黙ってこくんと頷いた。そう、この時の彼女の姿はやはり子供のそれだった。無理もない。彼女はまだ、心を持ってほんの数か月しか経っていない子供なのだから。彼女自身は女性として千堂を愛しているつもりかもしれないが、その実態はやはり親に愛されたい子供のそれだった。
その姿を見て、千堂はある確信を得た。そしてテスト最終日を前に、合否の結論を出したのだった。
翌日。テストの最終日も、アリシアは問題なく全ての作業をこなした。夕食の後で自分の隣に座る彼女に、千堂は静かに語りかけた。
「アリシア。お前は本当に良く頑張った。これでテストは終了だ。合否については明日改めて伝えるが、お前の努力については私は大きく評価している。素晴らしい働きだった。私はお前を誇りに思うよ」
その言葉に、アリシアは何かを感じ取ったようだった。満足そうな笑みを浮かべて、
「ありがとうございます」
と頷いた。
そしてさらに翌日、長期休暇を終えた千堂が仕事を終え帰宅し、アリシアとアリシア2305-HHSを前にして、彼はテストの結果を発表した。
「それでは、アリシア2234-LMN-UNIQUE000とアリシア2305-HHSの高度同時運用試験の結果を伝える。開発部及び役員会での検討の結果、今回は<不合格>となった。以上だ」
そのあっさりとした発表に、アリシアは表情を変えなかった。彼女はもう、分かっていたのだ。しかしその発表に異を唱える者がいた。アリシア2305-HHSであった。
「千堂様。私にはその結論が合理的なものとは認識出来ません。アリシア2234-LMN-UNIQUE000の働きは確かにボーダーラインぎりぎりのものでしたが、これは私がアリシア2234-LMN-UNIQUE000を危険なロボットとして認識するかどうかを見るテストだった筈です。その点において一時期、異常を窺わせる状態だったことはありましたが、結果として私はアリシア2234-LMN-UNIQUE000を危険なロボットであるという結論を出すことはありませんでした。千堂様のおっしゃる結論は、この事実に反するものだと私は理解します」
そう一気にまくしたてるアリシア2305-HHSを、アリシアは呆気にとられた表情で見ていた。まさか彼女がこんな形で千堂に意見するとは思ってもみなかったからだ。だが、これも、アリシアシリーズの特徴の一つだった。人間には逆らわない。不平も不満も言わない。だが、人間が理不尽なことを言っている場合には意見を申し述べる程度のことは出来るのだ。もっともそれは、あくまで意見具申であって要望でもなければ進言ですらないのだが。しかしそれが、アリシアが『千堂を筆頭とした人間の命を守る為なら命令をも無視する』行動の根幹になっている可能性はあった。
自分を真っ直ぐ見詰めるアリシア2305-HHSに対し、千堂はあくまでも穏やかな表情を崩さなかった。そして静かに言った。
「アリシア2305-HHS。お前の意見ももっともだ。だが、私達はお前一体の認識だけで判断する訳にはいかないんだよ。お前の認識も大事な判断材料だが、他の機種、他社のロボットがどう認識するかということも検討しなければならない。今回得られたデータをシミュレーションに掛けた結果、残念ながら一部の他社製メイトギア及びレイバーギアで不可判定が出てしまったんだ。その事実がある以上、合格を出すことは出来ない。それが結論なんだ」
千堂の説明に、アリシア2305-HHSももう意見を申し述べることはなかった。
「理解いたしました。出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
と応えて、それ以上何も言わなかった。
だが、アリシアは嬉しかった。何度も迷惑をかけてしまったアリシア2305-HHSが自分のことで千堂に意見を具申してくれるなんて、感謝しかなかった。
『ありがとうございます、先輩…』
彼女は心の中で深く頭を下げていた。そんなアリシアに向き直り、千堂が言う。
「アリシア。今回は残念だった。だが実は、シミュレーションについてはかなり厳しい条件で行ったことも事実なんだ。他社製メイトギア及びレイバーギアで不可判定が出たのも、それぞれ一機種だけだった。しかも現在は殆ど市場に出回っていない、古い基準に則ったものだ。よって、このまま再試験を行う。再度三週間にわたってデータを収集し、問題がなければ改めてシミュレーションにかけて、その結果を見ることになる。頑張れるか?」
その言葉に彼女は大きく「はい!」と頷いた。
なお、千堂の言った『かなり厳しい条件』とは、彼自身が設定したものであった。アリシアの例の現象についてそれ自体を暴走状態と仮定したのだ。開発部からは『厳しすぎる』『実情に合ってない』という意見もあったが、万が一にも事故が起こって困るのはアリシア自身なのだから、敢えて厳しく臨んだのだった。
それでも、実際には人間に危害を加えるような行動の出来る状態ではなかった彼女のそれを、シミュレーション上ではあるが殆どのロボットは『暴走ではない』と結論を出し、『危険ではない』と最終判断してくれたのである。ただ、他の都市で開発された古い基準のロボットには、『暴走状態』と既定されてしまうとそれを覆す判断が出来ない為に不可判定が出てしまうものがあるというのが本当のところだった。だから千堂が暴走状態としてしまった時点で不合格になるのは決まっていたのである。
とは言え、千堂自身、あれを暴走状態だとは思っていない。しかし論理的にあれを暴走状態ではないと断定出来る根拠が乏しいことから、逆に、あれと同じ状態が再び起こらないことを確認するか、もしくはもし同じことが起こるならさらに詳細なデータを取って解析することで暴走状態ではないことを証明しようと考えたのだ。
だがもう、あれと同じことは起こらなかった。次の三週間、千堂が仕事で屋敷に居なくてもアリシアとアリシア2305-HHSは何もトラブルを起こすことなく、それぞれの仕事をきっちりとこなしたのであった。
そして再試験の後、アリシアは晴れて合格することが出来たのである。
「おめでとう、アリシア」
千堂の祝福に、彼女は花が咲くような笑顔で、
「ありがとうございます」
と応えたのだった。




