アリシア、ニュースを見る
千堂の言葉通り、その後の会談は非常に順調に進んだ。アリシアのマッサージにいたく感動したアレキサンドロが積極的に間に入り、千堂に有利に話をまとめていったのである。決して数字には現れないかも知れないが、これもまたアリシアによるJAPAN-2社への貢献と言えるだろう。
とは言え彼女としてはただ、その場にいた人間達に喜んでもらいたかっただけである。それが結果として千堂の助けになるのなら、これ以上の喜びはない。
ただこの時、合間の休憩時間の際、そこに設置されていたテレビから流れていたニュースに、アリシアは大きなショックを受けていた。それは、ロボットにも人間と同様の権利をと訴えて活動していた女性が、何者かによって殺害されたという事件だった。その女性はロボットと結婚し、ロボットにも心があると主張していた女性でもあった。その女性の名前に、アリシアは聞き覚えがあった。
それは、今回の出張でニューヨハネスブルグに向けて出発した時の社用ジェットの中で親しくなったキャビンアテンダントのタラントゥリバヤ=マナロフの友人という女性と同じ名前であった。
それが同一人物であるかどうかは分からない。ただ、符合する点はあまりにも多い。もしこれがタラントゥリバヤの友人の女性だとしたら、彼女は今、どういう気持ちでいるのだろうかと思うと、メインフレームに大きな負荷がかかるのを彼女は感じていた。
「千堂様…、私は悲しいです。人間はどうしてこんなことに巻き込まれてしまうのでしょう…?。誰もが幸せになることを願っている筈なのに、どうしてこんなことになってしまうのでしょう…?」
アリシアのその問いに、千堂は答えることが出来なかった。それは彼自身がずっと持っていた疑問でもあった。人間は誰しも、自分や自分の身近な人の幸せを願っている筈だ。にも拘らず、僅かな意見や価値観の食い違い、感情の行き違いによって互いに傷付け合い、そしてそれが憎悪を生み、その憎悪がまた新たな憎悪を生んでしまう。千堂はそれを食い止めたくて、自分が憎悪を作る側になることを少しでも回避したくて、役員として従業員を見捨てるようなことをしないようにしてきたのだった。
だがそんな千堂も、武装勢力を相手にした際には、その命を奪うことを容赦なく命令もした。それが回避出来ないことだと分かっていたからこその判断だったし、法律上も千堂の行為は正当防衛、正当な自己防衛の為の判断だったとして罪に問われることもなかった。さすがに武装した何十人もの人間で一人を殺害する為に襲撃したのだから当然の判断ではある。だがそれでもなお、その戦闘で死んだ者達にも家族はいたことだろう。そういう者達が千堂を憎まずにいられないというのも、十分に考えられることだった。
そして今回の千堂の出張は、JAPAN-2社の利益の為だけのものではなかった。多くの企業と連携し、新しい事業を起こしたりそれに伴うインフラ整備等によって雇用を作り、貧困や職が無いことを理由にゲリラやテロに走る人間を減らしたいという願いもそこにはあったのだった。JAPAN-2現社長の星谷も千堂と同じ思いだった。ただそれが、企業はあくまで利益を追求し、富を生むことで結果として社会が潤うという考えの副社長派の人間の反発を招き、結果としてクーデターのきっかけになったこともまた、皮肉だが現実である。
しかし千堂も星谷も、だからと言って自らの信念を曲げたりはしない。自身のやり方に瑕疵があったのであれば改めることを躊躇ったりはしないが、かと言ってその為に自分の目的を捨てたりもしない。だからこそ千堂は力強く己の役目を果たそうとするのだ。アリシアは、そんな千堂の力になりたいと願うのだった。
でも、こういう辛いことがあった時には、つい千堂を頼ってしまう。悲しいニュースを見て苦しくなって、千堂に助けてもらわずにはいられなくなる。彼女はそんな自分を恥ずかしいと思った。だけど、どうしても悲しくなってしまうのだ。人間が苦しみ傷付くことを辛いと思ってしまうのだった。
千堂はそんなアリシアをただ抱き締めた。涙を流すことも出来ずに悲しむ彼女を抱き締め続けた。彼女が自ら自身の気持ちと折り合いをつけられるようになるまで。
また千堂も、このニュースを痛ましい想いで見ていた。彼にとっても慙愧に堪えない事件だった。しかも、事件が起こったのは、今、彼らがいる場所から十キロと離れていない場所だった。この事件が、単なる強盗や通り魔的なものかどうかも現時点では判明していないという。しかし、被害者はある意味では有名人であり、また彼女の活動を快く思っていない人間が存在したこともまた事実であることも、千堂にとっては懸念材料になっていた。
『単なる思い過ごしであればいいが…』
そう思いつつ、彼は次のスケジュールを思い浮かべていたのだった。
「よし、それではそろそろ出発しようか」
アレキサンドロがそう声を発し、その場にいた人間が立ち上がろうとしたその瞬間、アリシアのセンサーが緊急事態を告げていた。それとほぼ同時に、アレキサンドロのフローリアM9も反応していた。休憩の為に立ち寄ったホテルのロビーに入ってきた二人組の男達が、銃を構えたのである。その銃のセーフティーが外される音を、アリシア達は聞き取ったのだ。そしてその銃口は、明らかにアレキサンドロと千堂に向けられていた。
その事実を確認した瞬間、アリシアとフローリアM9の戦闘モードが起動した。
アリシアとフローリアM9はそれぞれ近くにあったテーブルを持ち上げ、射線上に構える。
「伏せて!」
アリシアがそう叫ぶよりも早く、千堂とアレキサンドロは反応し、身を伏せていた。それ以外の人間も、彼女の声に反応し身を伏せた。男達が放った弾丸はテーブルによって阻まれた。そしてそれがまだ空中にあるうちに、アリシアとフローリアM9は男達に向かって奔っていた。手のひらで銃撃を受け止めながらもう片方の手で銃を握り潰す。さらに直後に男達の腕を取り関節を極め、その場に捻じ伏せた。
それは、時間にして一秒程度の出来事だった。少なくとも二秒とかかっていない、一瞬のことだった。アリシアとフローリアM9が放り投げたテーブルが床に落ちた時には、全てが終わっていた。だが、アリシアとフローリアM9の戦闘モードはまだ解除されていない。
「全周囲警戒中!、皆さん動かないで!!」
男達を押さえ込んだまま、二体のロボットはセンサーを総動員して他にも仲間がいないか、次の行動を起こす者がいないかを確認した。見渡すと、アリシアとフローリアM9以外にも、戦闘モードに入ったと思しきメイトギアが数体いた。更に人間のSPやボディガードと思しき者も銃を構え周囲を警戒していた。さすがに政界、財界の人間がよく使うホテルだけあって、要人警護仕様のメイトギアの数も多い。それらのロボットとも情報交換しつつ、他に怪しい動きをする者がない、攻撃の意志を向けてくる者がいないことを確認し、アリシアはスカートに設けられたポケットから結索バンドを取り出して男を武装解除し、拘束し始めた。フローリアM9にも結索バンドを渡し、もう一人の男を拘束してもらった。
すると男が、狂気じみた視線をアリシアに向けつつ、呪いの言葉を吐き出した。
「ロボットのクセに人間に歯向かうのか!?。この悪魔!!」
しかし、戦闘モードが起動中のアリシアはそんな男をただ冷たく見下ろすだけだった。
そこへようやくホテルのガードマンが駆け付け、警戒を引き継いだ。さらに十分ほど経って警察も到着し、現場を取り仕切った。そうしてやっと、アリシアの戦闘モードは解除された。
「ありがとう、アリシア。また助けられてしまったな」
そう言って抱き締めてくれる千堂の胸に、彼女は顔をうずめたのだった。