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曙までは露の世

 用意された空きの寝室で、彼はごろりと横になった。

 部屋の東側に備え付けられた小さな窓からは、相変わらずの暴風が雨の(つぶて)を撒き散らしているのが見えた。特に酷いときには、ごうごうと音まで聞こえていた。

 彼は大きなベッドにそのまま身を預け、暗い天井を眺めながらゆっくりと目を(つむ)る。

 今日は散々な目に遭った。

 偶々この屋敷を見つけて、招き入れていただき、食事や風呂まで頂いたからよかったものの、一つ間違えれば未だあの風雨の中で彷徨(さまよ)っていた。本当に運がよかった。彼はそう思った。

 屋敷の旦那も、幸いにいい人だった。少しばかり、旧家にありがちな固い空気も垣間見えたが、それはそれだ。元々他人であるし、家のことには口出ししまい。道に迷った私やあの博徒を受け入れてくれたのだ、少なくとも悪い人物ではあるまい。

 一瞬、令嬢八寿子の物憂げな顔が彼の脳裏に浮かんだが、その像はすぐに消えた。

 まあ、人の善悪などは複雑怪奇なもので、(さい)の目の半丁みたいにはっきりとは分からないものだ。

 (まぶた)の裏の景色を眺めて、彼はそんなふうなことをニヒルを気取って考えた。そこで、止め()ない思考の波を断ち切ることにした。


 あゝ。今日は、もう疲れた。

 今度こそ大人しく、眠りに就くとしよう。

 そして明日には、…………。

 明日には、いや、明日の昼か、それとも、明後日の朝には? 私は、私は、ええと……。


 最後に彼の頭を苛んだ疑念は、暴雨の中を歩き続けた疲れからか、深い微睡(まどろ)みの波に()されて霧散した。



 その音は、外からくぐもって聞こえる雨音に()き消されて、初めのうちは彼の耳に届かなかった。

 音の主が(しばら)く待って、また二度、三度と同じ音が連続したところで、また雨足が遠のき出したのも手伝って、やっとのこと彼は目を覚ました。

 続けざまに聞こえた音を、起きてすぐの寝呆けた頭で精査してみると、すぐにそれがドアを敲く音であるのが分かった。

 それの意味するところを考えて、彼は自分が寝間着を着ていない、屋敷に来たときと同じ格好のまま眠っていたのをきちんと確認してから音の源へ向かう。

「はい」

 返事をしてから、鍵を掛けなかったドアを外に開いた。

 そこに立っていたのは、

「やあ、遅くに悪いね。起こしちゃったかい」

 ──曇りない笑顔を見せる、あの博徒であった。

 彼は一(たび)、期待を裏切られたような気持ちになって、そのまま無碍(むげ)にドアを閉めてやりたい衝動にも駆られた。が、いやそれはあまりに無礼だと思い直して、結果、苦い顔で会話に応じることにした。

「ああ、まあね。こんな夜中に何の用だい?」

「いやなに、用というほどのことはないんだけどね」

 ぽりぽりと指の腹で(ほお)を掻きつつ、脂田はなんとも煮え切らない様子で答えた。

「実は、今朝晴れ上がっていたら、すぐにでも屋敷から出て行く約束でね。それまでに君の話を、もっと聞いておきたくて」

 彼は脂田の身勝手な言葉に、今度こそ明確に苛立ちを感じた。恐らくは眠りを阻害された憤慨も手伝っていたに違いないが、それを差し引いても、脂田の非常識極まる行動を彼は手放しに肯定することができなかった。

 彼は眉間に現れそうになったしわを取り払って、

「それなら、悪いけど今晩のところは帰ってくれませんか。大丈夫、この調子なら朝まで雨は続きますよ。なにぶん私も疲れてますんで、そっとしといてやってください」

「そうかい、それは悪かった。そうすることにするよ」

 彼の言葉に、脂田は存外あっさりと引き下がった。

「それじゃあ、また明日……いや、今朝かな」

 脂田は大して悪びれることもなく、そんな軽口を叩いて彼の部屋を後にした。

 彼は、脂田が去ってから頃合いを見計らって再びドアを開け、長い廊下を覗いた。彼に()てがわれた部屋から離れたところに脂田の背中がまだ見えていた。彼は、脂田に充てがわれた部屋がどこかは知らなかったが、まあもう声は届かないだろうと鷹を括っていた。

「まったく……人騒がせな人だ」

 誰にも聞こえぬよう、彼がぼそりと呟くと、

「あら。(わたくし)のことかしら?」

 思わぬところから返答があった。

 彼は驚いて、自分で外に開いたドアの裏側を慌てて見遣った。

 そこにいたのは、透き通ったような声の持ち主と同じ、紛うことなく令嬢の八寿子であった。召し物は食堂で会ったときと変わっていない。

 彼はまたたいそう驚いて、

「八寿子さん。あなたもまだ起きてらしたんですか。……もしかして、あなたも脂田くんに?」

「? いいえ」

 対して、八寿子は首を横に振った。

「私はまた、どうしても寝つけなくって屋敷の中を散歩していただけです。脂田さんが、どうかなさったの?」

「ああ……いえ、なんでもありませんよ」

 彼はちらりと肩越しに背後を見遣ったが、幸い廊下には脂田の姿はもう見えなかった。

 彼の胸中に、安堵と、僥倖(ぎょうこう)に似た微かな多幸感が湧いて出た。

「その……」

 言いにくそうに、八寿子が口を開いた。

「なんです?」

「いえ、その……。脂田さんとは、その、どういった………」

「脂田くん? 自分と脂田くんの関係ですか?」

 彼が尋ねると、

「あ……ええと………」

 鈴のような声を漏らしながら、八寿子は口籠った。

 彼はその様子を少しばかり不思議に思ったが、

「自分と彼には、なんの関係もありませんよ。今晩初めて、このお屋敷で偶然に知り合いました。それだけです」

 そう正直に答えた。

 八寿子は居心地悪そうに、目は暫く下方を泳いでいたが、やがてそうですか、と呟くと、

「……ねえ、雨宿りさん」

「は、はい」

 強い語気に、思わず彼の声が上擦った。

 顔を上げた八寿子の潤んだような瞳が、彼の目を真っ直ぐに見据える。干上がって、彼の喉がごくりと鳴った。

「あなたは、ご存知かしら」

「………何をです?」

「噂を」

 短く返されて、しかし思い当たる節のない彼はまた素直に首を横に振った。すると八寿子は悩ましい微笑をその整った顔立ちに(たた)えて、

「この浅黒い屋敷には、性質(たち)の悪い妖魔が住まうという噂があるんですよ」



 目が覚めたとき、彼の目に真っ先に飛び込んできたのは、明るい朝日だった。

 東側の小窓から差し込む、まだぼんやりとした光が彼に起床を促していた。彼は(そその)されたようにむくりと起き上がると、小さく伸びをして、小さく欠伸を漏らした。

 頭が冴えるに連れ、そうだ、ここは森の中の古びた屋敷の一室なんだとか、朝日が出たということは脂田くんはもう帰らねばならないのかとか、そんなようなことが彼の頭の中を駆け巡った。

 一先ず、身嗜みを整えて昨晩の食堂にでも向かえばいいか。

 そう思い、シーツから腰を持ち上げたときだった。

「おい! いるか、起きているか」

 だんだんだん、というドアを叩く轟音と共に、博徒の怒鳴り声が響いた。

 彼がなにか反応する間もなく、ドアが開いていることを悟った脂田は勢いよく部屋に闖入(ちんにゅう)してきた。

「脂田くん? いったいなにを………」

 一度ならず二度までも、時間や人の都合も考えずにけたたましく訪れた脂田に、今度こそ文句を言ってやろうと、彼は口をへの字に開きかけた。が、よほど慌てているのか()き込む脂田は彼の言葉を汗ばんだ手で遮って、声を張り上げた。

「大変だよく聞け。──旦那が、死んだ」

 雨上がりの朝の静けさが、彼に(ひびら)く耳鳴りを残した。

 こんにちはこんばんは。

 桜雫あもる です。


 急ピッチで書き進めている『浅黒いマノワール』、第三話です!

 実はこれ、〆切が今日の23時59分までなんですよね。非常にヤバい。まだ半分しか進んでいない。


 これからバイトで、更に明日提出の課題(これも半分くらいしか進んでいない)があるんですが……どうしましょう。

 とりあえず、明日の課題は今日の〆切が終わってから、同じく急ピッチで進めることにしましょう。うん、そうしよう。


 ということで、まだまだ続きますマノワール・ラッシュ。

 〆切までに書き終わるぞ、おー。

 皆さんの清き一票を、是非自分の筆に! それではまた数時間後にお会いしましょう。

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