雑餉の卓で
こんにちはこんばんは。
桜雫あもる です。
お久しぶりです……。
もっと早く更新する予定だったのに、公私ともに忙しく、遅い次話投稿になってしまいました。
今月末が〆切の「文学フリマ短編小説大賞」に応募しようと思っていたんですが、この調子だとそれも叶わなさそうな雰囲気です。
七月の半ばを越えたら、また『優しい殺し屋の不順な事情 Ⅱ』と『ほうき星エプリ』も今まで通り書いていきたいと思っています。
いえ、書きます!
あと、頑張って大賞にも間に合うようシュババッとマノワール書き終えます!
がんばるぞー。
ほぼ徹夜明けの変なテンションでこれを書いてるので、誤字脱字あったらご容赦くださいませ。
それでは、引き続き本編をお楽しみください。
「それで、沙潟の方はどうでしたか」
彼が遅い夜食を馳走になっているときのことだった。
森の奥にひっそりと佇む古びた屋敷の一室、その広い食卓の一席に座って、彼は執事の運んできた四品の贅沢な料理を口に運んでいた。
その向かいから、恰幅と身なりのよい中年の男が話しかけた。
「とてもよかったです。城下の港町と、獲れ立ての魚介料理に心を奪われました」
「それはそれは」
食事のもてなしを受けながら、夜更けに屋敷の門を敲いた彼はそう答えた。
旦那は満足そうに頷くと、脇にいた執事に言い付けて、卓上に寝酒の葡萄酒を持って来させた。
「しかし、こんな時間に何方が訪ねてきたのかと思えば、まさか貴公があの黒賀伯爵の甥御だったとは。いやはや、驚きました」
「そんな、畏まらないでください子爵。今は家を離れて、呉碁にできた鉄道駅で職員をやっているだけです」
ほう、駅の職員を、と旦那。
実は沙潟への旅行券も、上司に頼み込んだんです、と彼は付け足した。
そこへ、
「旦那さま。こちらを」
執事が如何にも高級そうな、鈍い銀色の酒盃を二口持ってきた。一口を彼の前に、そしてもう一口を旦那の前に置いて、それぞれにボトルから葡萄酒を注いだ。
旦那は酒盃を目の前に掲げ、満足げに何度か揺ってから、
「乾杯」
彼に向けてそう言って、銀の酒盃に口を付けて中の葡萄酒を大きく口に含んだ。
彼も酒盃を手に取り、旦那へ一言礼を言って葡萄酒を喉に通した。
「ん。これは……、なんというか、旨いですね」
「ええ、そうでしょうそうでしょう。この辺では手に入らない、特上の品ですからね」
褒められて、旦那は得意げな顔になった。
「毎晩床に就くまえに、これを?」
「いやあ、ハハ。いつも同じというわけでは、ありませんけどね」
旦那は得意顔のまま、酒盃を傾けてあっという間に空にした。
彼がゆっくりと酒盃の中身を胃の中に通したところで、食堂に一つの影が入ってきた。
それに気づいた執事が、その者の入室を断ろうとして、
「まあまあ、いいじゃないですか。泊まりの客が見えてるんでしょう? だったら僕とおんなじだ、挨拶させてくださいよ」
そんなふうに言い切られて、執事は渋々後ろに下がった。
男は見るからに着回しの軽装で、少なくとも普段からこの屋敷に住まわう者には見えなかった。体格はひょろりと長い痩せ型、丸い眼鏡を高い鼻に引っ掛けているのが特徴的だ。口元には、どこか楽しげな笑みが見て取れた。
そうして大様に近づいてきた男を見て、旦那も芳しい顔を見せなかった。男は旦那の顔色など気にも留めず、そのまま真っすぐ彼の脇までやってきて、丁寧に会釈をした。
「どうも」
「どうも。……失礼ですが、あなたはこの屋敷の方で?」
彼が尋ねると、
「いいえ、私は旅の博徒というやつです。行商のついでに、旦那のご厚意で三晩ほどお世話になってます。名前はまあ、色々ありますが、脂田猶釘とでも呼んでください」
「そうでしたか」
彼は椅子から立ち上がって、脂田と握手を交わした。
「初めまして脂田さん。私は……」
彼がそう言いかけたところで、もう一つ、二つ影が食堂に見えた。
その姿を見つけて、元々意地汚そうな顔立ちだった旦那の目が一層険しくなった。
現れたのは、二人の女性であった。
一人は、菖蒲色のガウンを着た、見目麗しい若い女。花の模様をあしらった、裾まである優美なガウンに相応しいような令嬢が、ゆっくりと食堂のドアを開けて入ってきた。
普段は結っているのか、多少癖のついた、しかし真っすぐの緑の黒髪が背中まで垂れている。ガス灯のオレンジ色が、色白の肌によく映えた。
もう一人は、これもまた若い女中であった。令嬢の歳の頃が成人前とすると、こちらは成人して間もないくらい。顔立ちは幼く、顔が丸っこいのと相俟って、それらしい歳よりも若く見える。躑躅色を散らしたような袴が、令嬢の後ろを音を立てないよう付いて行った。
「やあ、夕食ぶり。こんなに遅くまで起きてらっしゃったんですか?」
脂田が、令嬢に笑顔を向けて話しかけた。令嬢は、
「今夜は、風も雨も強いでしょう」
柔和で上品な笑みを見せ、透き通った鈴のような声でこう答えた。
「だから寝つけなくて」
「僕もおんなじです」
脂田はいたずらっ子のように笑ってみせた。
それから、思い出したように彼のほうへ振り向いて、
「紹介しますよ。こちら、旦那のご令嬢の八寿子さん」
「えっ。ああ、どうも、初めまして」
唐突に紹介をされて、彼は慌てて会釈した。
令嬢──八寿子は笑みを絶やさぬまま、初めまして、と返した。
彼は毅然とした態度を保ちながらも、ちらちらと八寿子の顔を覗くだけで、正面からまともに見ることができなかった。八寿子の顔は、微笑を崩さなかった。
続いて脂田は、後ろで控えていたもう一人の女を手で差した。
「それからね、後ろにいるのが女中の川久保さん。朝の掃除から賄いまで、家の事殆どを彼女がやってるんだよ。君がいま食べた料理も、川久保さんが作ったんだ」
「そうでしたか。どうも、おいしく頂いております」
言いつつ、彼は丁寧に頭を下げた。
女中の川久保は恭しく、
「とんでもないことで御座います」
腰を折って、一言それだけ返した。
緊張でもしているのか、女中はどことなく無愛想だった。
彼が少し困ったような顔をして、それを知った脂田は、二人の女に趣味について尋ね始めた。
奥の席で独り座っている旦那は、その光景を不快そうに眺めていた。ドアの前で立っていた執事が、何も言わずにちらりと掛け時計を気にした。執事だけが、旦那の不機嫌そうな横顔を盗み見ていた。
「そうだ、こないだ沙潟の記事を目にしましてね。なんでも、英吉利のお偉いさんが何泊か泊まってって、えらく感激されたんだとか」
「それならこないだ聞きましたよ。丁度沙潟に行ったとき、ついこの間までマカートニ長官が同じ旅館に泊まってらっしゃったと」
「そう、マカートニだ」
「まあ。沙潟へ行ってらしたの? お仕事で?」
「ああいえ、単なるひとり旅です。以前から沙潟の記念館に興味があったものですから、上司に頼み込みまして」
「そうでしたの」
「全く、素晴らしいところでしたよ、沙潟は。こんな季節だというのに、観光客も存外多くて……」
それから暫く、彼と脂田と、八寿子は懇話を楽しんでいた。
脂田は二人の間で、集会所の有線放送のように次々と話題を作っては、長々と捲し立てた。
やがて、旦那が豪奢な椅子から音を立てて立ち上がった。
「八寿子、もう部屋に戻りなさい」
気がつけば、掛け時計の短針は二の字を越していた。
彼や、脂田がそちらを振り返ると、力強い語気とは裏腹に、旦那の顔色はどこか悪いように見えた。その額には、薄っすらと脂汗のようなものも滲んで見える。
執事が気を使って、
「お嬢様。そろそろお部屋に戻りませんと、お体に障ります」
そう言って、壁際へ行って食堂のドアを開いておいた。
それまで談笑していた八寿子はそうね、とだけ返事をして、
「それでは、失礼いたします。お話、とても楽しませていただきました」
二人の男に丁寧にお辞儀をしてから、後ろを向いて執事の待つドアのほうへと戻っていった。
その後ろを、また頭を下げた女中がそそくさと付いていった。八寿子は去り際、
「明日の朝も早いの?」
「はい。お琴と西洋絵画、それに立ち居振る舞いのご指導が」
「……そう」
執事と短く言葉を交わして、八寿子は食堂を後にした。
続いた女中が、尚ドアを保ってくれていた執事へ一礼して、執事も軽くそれに応じた。
旦那はその様子を見て、またどかっと椅子に座り直し、彼も脂田もそれに注目しようとはしなかった。
二人の後ろ姿を見届けてから執事はドアを閉め、旦那の側に戻ろうとした。そこへ、
「あら……」
閉じたドアが軋み、もう一度ぎいっと開いて、殷盛を過ぎた女性の声が滑り込んできた。
「なんだか賑やかだと思ったら、またお客さまがいらしたの?」
その穏やかな声を聞いて、入り口から離れかけた執事は慌てて踵を返して、開き出したドアを迎えに行った。
「あら、ありがとう」
女性は穏やかな口調で礼を言って、食堂に足を踏み入れた。
この女性は三十そこそこといった容貌で、少なくとも旦那よりは目に見えて若々しかった。寝間着の上に藤色のストールを纏い、いっそ青白くすら見える肌を上品に温めていた。
彼女の左手の薬指には大粒の宝石の付いた指輪が光っており、髪に隠れた耳朶には耳飾りの跡があった。もう夜更けだというのに薄く化粧をした顔が、柔らかい笑みを溢して旦那に向かった。
「お起こししてしまったようで、申し訳ありません。奥方様」
後方で畏まる執事に、
「気にしないで。丁度お水が飲みたかったの」
奥方は宥めるような声色で返答した。執事はすぐにお持ちいたします、と言って食堂を早々に出て行った。
食堂に残ったのは、奥の席で新しく自分で注いだワインを飲む旦那と、その対面で立ったままの彼と脂田、そして歩み寄る奥方だけになった。
執事が一杯のコップに水を容れて戻ったとき、部屋にいたのは旦那と彼だけだった。
二人は初めと同じように、向かい合って座っていた。
執事が奥方と、脂田という男はどうしたのかと尋ねると、
「奥方様は、お部屋にお戻りになりました。脂田くんも、その後に部屋に戻ると言って、出て行きましたよ」
振り返った彼が、簡潔に説明をした。
そうですか、と呟いた執事の手の内では、用のなくなったコップが行き場を失くして戸惑っていた。




