そして森の奥へ
こんにちは、桜雫あもる です。
今回は「文学フリマ短編小説賞」に応募するための〝文学〟作品です。
私生活のほうが忙しく、最近細々としか活動できていませんが、久し振りの投稿です。まだまだ忙しいままですが、頑張りました。
今回はもう〆切が一ヶ月を切っているので、早急に仕上げていきます。
今回は、自分の好きな「古さ」と「静けさ」をテーマにしたサスペンスです。
うまく書けるかは分かりませんが、自分が〝文学〟だと思うような、納得のいくものが書ければな、と思っております。
以後、遅々とした更新になるとは思いますが、積んだままの連載中小説も書き進めていくつもりです。
心待ちにしてくださっている方は、申し訳ありませんが気長にお待ちいただけると嬉しいです。
それでは、目眩く図書の世界をご堪能あれ。
小雨のそぼ降る深夜だった。
深い森の中で迷った私は、草葉の滴を撒き散らしながら闇雲に進む。
どうしてこうなった。
そんな風に悪態を吐いても、私の心に現れた焦慮を取り払う人家の影はどこにも見えない。
こんな時は下手に動かないほうが正しいのだろうが、夜闇と雨音が私の焦燥を一際煽って離さないのだ。仕方なしに、私は当てもなく、風雨の中を手探りで進む。
いつ獣に遭ってもおかしくない──、そんな道とも呼べぬような山道だった。
心なしか、先刻より風が強くなってきた。
頬を叩く雨粒も次第に大きくなって、私の足の進むのを阻んでいく。辺りの暗さも相俟って視界も非常に悪い。ほんのすぐそこにある木の枝さえも、ぶつかってみるまで気が付かないといった有り様だ。
この分では一晩中、風雨に晒されたまま過ごすことになるかもしれない。
全く、最悪の夜だ。
今の私には、夜更けにこんな森で迷う羽目になった原因も、或いは自分が一丁羅を濡らしていることも、最早どうでもよかった。
鼈甲を使った黒縁の眼鏡に、葉や蔓の類いが叩きつけられる。梅雨の時季も開けたはずなのに、どうしてこうも降るのか。吐き出しようのない鬱憤が、雨脚と暗闇に溶けて私を蝕む。
どこまで行っても安堵の得られない暗い森の中を、時間の感覚も失って彷徨うびしょ濡れの不快感、苛立ちで、私の頭はいっぱいだった。懐中時計を見る余裕もなく、不定な時間が経つに連れ、一層の焦りを覚えて道なき道を掻き分けて進むが、未だ人家の灯りは見えない。
* * * * *
「畜生」
知らぬ間に、口から悪態が跳び出していた。
普段なら決して漏らさぬ心の内の罵詈が漏れたのを遅れて自覚して、私ははっと冷静になった。
何気なしに空を仰ぐと、相変わらずの曇天からは絶え間なく雨が降り注いでいた。今夜は小望であるはずの月影は勿論どこにも見えず、初夏の閑雅な夜の趣きなどあってないようなものだった。
こんな様子では、自分がどこから森に入ったのか、それからどの方向に進んで、この先どちらへ向かえば森を出られるのか見当もつかない。私は改めて嘆息した。
やはり、大人しくここで座って晴れ間と夜明けを待ったほうがいいだろうか。
そんなことを考えつつも、疲労のせいか頭の中がひどくぼんやりしてしまって、考えが纏まらない。
懐から金鍍金の懐中時計を取り出して雨に汚れる文字盤を睨むと、ちょうど亥の刻の終わるころだった。
それからまた暫く歩いたところで唐突に、私は天祐を得たような気分になった。
降り頻る雨に全身叩かれながら、いやもう少しだけ進んでみようと勇んで歩いていったのが功を奏した。
体に触れる感触から、幾許か枝葉が減ってきたかと思った矢先、不意に私の足に纏わりつく長い下草がふっと消えたのだ。
急に足裏が軽くなり、弾みがついて反対の足でもう一歩踏み出すとその足も又、やはり長い下草から解放された。
私が呆然と、今自分の立っている地面から伝わる不思議な感触を吟味していると、ややあって自分が森を抜けたのだと理解することができた。
そして、私はそれを見つけた。
風雨の止まない山中に、その小高く開けたところにぽつんと厳かに佇む、古めかしいそれを。
* * * * *
「ごめんください」
私はずぶ濡れのまま、それでも最低限の身なりを整えたつもりでそれの前に立ち、真鍮製のドアノックを四度扉に叩きつけた。
豪雨の音で家人に聞こえないのでは、と思い至って再びドアノックを手に取ろうとした矢先、軋んだ音を響かせて、扉は私のほうに大きく開いた。
一歩、二歩と後退って、私は出迎えてくれた執事らしき男に先ず、会釈と拝謝をした。
「如何なさいましたか」
丁寧な口調で、彼は私に尋ねた。私は正直に、
「お恥ずかしい話ですが、森の中で迷ってしまいました。おまけにこの風雨でどうすることもできず、困っています。どうか今晩だけ、ここに泊めていただくことはできませんでしょうか」
そう答えると、執事は白い口髭を蓄えた口元を上品そうに緩めて、
「そうでしたか。では、どうぞお入りください」
二つ返事で私を中に招き入れてくれた。
足の力の抜けてしまった私に、彼は慌てて肩を貸した。
「さぞお疲れでしょう。さあ、どうぞ中へ。旦那さまもきっと喜ばれます」
そう言う彼に連れられて、私は一歩を踏み入れた。
森の奥深くで佇む、隠微な屋敷の浅黒い胎の中へ。




