八十二話
リフレの言葉を聞いたエリージュは、さっと立ち上がると、棚のある方に向かって行って中から何かを取り出す。
戻ってきた際、手に銀盆を持っていて、上に便箋のようなものとペンと墨の入った瓶が置かれている。
紙とペンをリフレに差し出し、先ほど言ったことを書いてくれと渡した。
「契約書、という訳か」
「ええ。二枚、書いていただけますか?」
「分かった」
魔術師は約束したことは反故にしない。
この世の全ての言葉には言霊という呪いが掛かっている。自らの発した言葉は、その通りの結果を現すと言われ、反するような行為を取れば、それは災いとして降りかかって来る。
だが、それは魔術師の常識であり、普通の人にとって言葉は軽い物とされていた。
リフレはその辺の魔術師ではない者達の事情も理解しているので、紙面に自分の言葉を書き写す。
「これでいいか?」
「ありがとうございます」
書類は屋敷の主たる人物の前に差し出される。
エリージュがどうするのか聞くまでもなく、クレメンテは書類に署名を書き込んでいた。
「そうか、そんなに欲しかったのか。私の子を、二人も」
誤解を招くような言葉であったが、口では勝てないので睨み付けるだけにしておくクレメンテ。その反応を見たリフレは愉快だとばかりに笑い出す。
エリージュは二枚あるうちの一枚をリフレへと手渡した。
受け取った書類を物珍しそうに眺めてから、懐の内ポケットの中へとしまう。
「では、この件はそちらに預けるぞ」
「お任せください」
「リンゼイ、お前も助けてやれ」
「分かっている」
「ウィオレケも」
「言われなくても」
リフレは集めた情報を紙面に書き写し、クレメンテに託す。
用事が済めば立ち上がって無礼を詫びるリフレ。
問題が解決するまで街の宿屋に滞在をすると言ってそのまま出て行った。
ひょっこりとウィオレケの頭巾から顔を覗かせるリリット。安全を確認してから出てくる。怪植物も額の汗を拭うような仕草をしていた。
『リンゼイのお母さん、なんだか、あっさり帰って行ったけど』
『野放シニシテ、大丈夫~?』
「多分大丈夫じゃないけど、母を監視及び管理出来る人なんて父しか居ないような……」
呼んだら呼んだでリンゼイやウィオレケにとって面倒な人物が増えるだけであった。
そっとしておいて、なにも問題を起こさないように祈っておくしか出来ないと、申し訳ないような気持ちになる。
『ま、まあ、何はともあれ、全員無事だったということで』
『良カッタ、良カッタ~!』
リフレ・アイスコレッタ。
嵐のような人だと、その場に居た誰もが思った。
◇◇◇
リフレの人形は本人が撤去をしたのか、忽然と姿を消していた。対峙した者達に精神的外傷だけを残す形となった。
あれは一体どのような仕組みで動いていたのか、恐怖を覚えるリンゼイとウィオレケ。
爪痕はそれだけではない。
不遜な態度を見せていた母の無礼について、姉弟はエリージュとクレメンテに平謝りをすることにもなる。
「謝らないで下さい。ご両親にきちんと挨拶をして、許しを得てから結婚をするのが道理をいうものです。それを怠った状態で、今のような暮らしをしていたので、リンゼイさんのお母様がお怒りになるものおかしくありません」
「いや、うちの親は放任主義だったし」
「ですが、やはり、初めに許しを請うべきでした」
リンゼイの父は石のように頭が硬い人間である。他国の人間との結婚を許すはずがなかった。その辺については黙っておく。
リリットはウィオレケの膝に座り、怪植物は葉を柔らかい状態にしてから足元にしがみ付いていた。リフレの話を聞いて恐怖が蘇っていたようだ。彼らが一番の被害者だと思い、リンゼイは深くお詫びをする。
また、クッキーと蜂蜜水を作るからとウィオレケが言えば、すぐに元気になった。
単純で良かったと安堵の息を吐く姉弟である。
とりあえず、目下の目標は対水蛇の為の武器や防具の素材集めから、盗賊団の迷宮探索へと変わることになった。
「同行する人員は、どうしましょうか?」
「う~ん。あんまり大人数でぞろぞろ行くのも良くないかもね」
「ですよねえ」
「私は誰が何を言おうと、行く」
『わたしも!』
リリットとウィオレケは同行する意を示した。
後から怪植物も同行したいと、葉っぱをピンと立ててからやる気を示す。ウィオレケが大丈夫なのかと聞けば、葉を拳のように突き出して、頼りになる存在であることを主張していた。
途中、イルの名も挙がったが、今回は残って貰うことにした。
彼の毒を塗った矢を使う攻撃手段はどれも殺傷能力が高すぎる。
盗賊団はなるべく生け捕りしるようにと言われており、迷宮内も狭く、薄暗い場所なので、弓師の必要はあまりないだろうと判断をした。
話し合いが終われば、各々の準備に取り掛かる。
リンゼイは念の為に道具箱の中には多くの薬を用意する。小腹が空いた時の食料も忘れずに入れた。
『ねえ、リンゼイ、これも持って行っていい?』
リリットは休憩用の敷物も持って来た。
「ピクニックに行くんじゃないんだから」
『まあでも、ずっと探索する訳じゃないでしょう?』
「そうだけど」
その後もリリットはお菓子や果実汁の瓶など、周到な用意をしていた。
完全に行楽気分であった。
ウィオレケは必要最低限の品を鞄に詰めていく。
道具が無限に出し入れ出来る便利な魔道具を使うリンゼイとは違い、彼は鞄を持ち歩く堅実派であった。
魔道具を私生活に取り込むのは甘えだと、ウィオレケは個人的には思っている。
鞄の中身は携帯食料に、水が入った革袋、魔力補給薬、幻獣札が二十枚、魔石が五つに縄と短剣が入っていた。肩から掛けたらずっしりと重い。
鞄には魔物避けの護符を付けていた。
ついでに装備品も用意しておく。
まずは去年の夏休みの課題で作った、魔術効果上昇の祝福が掛かってある腕輪。祖父から譲り受けた竜の骨で作った品である。素材が良かったからか、校内のコンテストで一位を取ったものでもあった。アイスコレッタ家を出入りしていた商人が、手揉みをしながら高値で買い取らせてくれと交渉をしに来たが、すぐに断りを入れた。竜の骨は世界的に希少な素材である。
それから、指には白竜の鱗をはめ込んだ指輪を装着する。これは刃物に襲われても体が傷つかないという奇跡の力が込められた品であった。
他にも、手持ちの品で何か装備品が作れないかと、所持品の入った箱を探ることになる。
足手まといになりたくなかったので、準備は慎重に、念入りに行っていた。
◇◇◇
クレメンテの私室にノルとスメラルドがやって来る。
「あれ、どうかしましたか?」
『タシイセンカ、ノモタイデンノタ』
『お守りが完成したようです~』
「本当ですか!」
ノルとスメラルドに椅子に座るように勧めて、自身も腰掛ける。
包まれた布の中から出て来たのは、中心に国宝の宝石がはめ込まれ、白く輝くブランキシマ鋼で作られた台座が美しい胸飾りであった。
『お守りを旦那様の鎧に着けたいそうです』
「はい、持ってきます」
普段、鎧は人型の置物に早着されて寝室に置かれている。薄暗い中で佇む様子が、使用人たちに不気味だと評判の設置方法であった。
クレメンテは寝室から抱えて持って戻って来た。
ノルが作業をしやすいように鎧を地面に寝せて置く。
『ナダイロヨ、イロボ!!』
『え~っと』
言いにくい言葉なので、スメラルドはどのように訳そうか首を傾げる。
「大丈夫です。表情を見ればなんとなく言っていることは分かります」
早口で言ったので、言葉は拾えなかったが、呆れたような表情から内容は推測出来る。
クレメンテの鎧は全体的にくたびれていた。
『金具は全部新しい物に変えて、劣化している部分は張り替えた方がいいと』
「あ、はい。ですよね」
長年使っていた鎧は日々、こまめに手入れをして甲冑師に修繕を依頼していたが、それでも形ある物なので、年を追うごとによって性能が落ちてしまう。
「残念ながら、こういう鎧を作る職人がもういなくて」
愛用していた鎧は国の宝物保管庫にあった何世紀も前の骨董品である。
現在、全身鎧を作る職人は居なくなり、失われた技術品とも言われていた。
『ロセカマ、ラタッダ!』
「本当ですか!?」
胸を拳で打ちながら言うので、「任せろ!」的な意味合いだと勝手に推測をする。
早とちりの可能性もあったので、スメラルドに合っているか聞いておくのも忘れない。
ノルはクレメンテの鎧の修繕を引き受けてくれた。
『ですが、修繕と強化作業はすぐには出来ないそうです。長い間預かることになりますが、大丈夫でしょうか?』
「あ、そうですね。はい、問題ありません」
全身鎧は対水蛇戦に備えるようにして、盗賊団の迷宮調査には違う鎧を買って行こうかと考えていた。
報酬はなにがいいかと聞けば、何も要らないと首を横に振る。
代わりに、道中でミノル族が居る場所を発見したら教えてくれと言っていた。
地下の工房まで鎧を運んでから、ノルにお願いしますと頭を下げる。
このまま街に行って防具を揃えようかと考えていた。
「義兄上、今から出掛けるのか?」
「ええ」
「どこに?」
「防具を買おうと思いまして」
ウィオレケも一緒に行きたいというので、共に出掛けることにした。
アイテム図鑑
毒封じのお守り
ミノル族特製のお守り。
竜族の毒をも防ぐ、特別な品。