七十九話
薬草茶喫茶は相変わらず人が居ない。
店の主人も奥に引っ込んでいるので、完全に二人だけの空間となっている。
今日は水蛇対策を話し合う為に来ていたが、予定を変更せざるを得なくなった。
リンゼイの母親がやって来る。
主に被害が及ぶのはクレメンテだと予想していた。
目の前で呑気に香草茶を啜る青年が、彼女の母親と太刀打ち出来るとは到底思えない。
何か対策が浮かべばいいがと、固唾を呑む。
何と説明すればいいのか。
口の悪い二番目の兄は母親のことを『理不尽という文字の擬人化』と呼んでいた。
リンゼイ自身も母は苦手な存在である。
それを、どう言葉で説明しようか迷ってしまった。
「リンゼイさん、どうかしましたか?」
「え!?」
「眉間に皺が」
「……ああ、そう」
リンゼイは指先で眉間を揉み解し、ため息を吐く。
ふと、クレメンテが飲んでいたメリッサの薬草茶が目に入った。
効果は鎮静効果があった。心を落ち着かせようと思い、一口貰えないかと聞いてみる。
クレメンテは笑顔でどうぞとポットを差し出した。
しかしながら、リンゼイのカップにはまだコルツフットの薬草茶が半分ほど入っていた。
「あ、カップを、もう一個準備して貰いましょうか?」
「いや、一口だけ貰えたらって思っていたんだけど」
「あ、カップの薬草茶を、という意味だったのですね」
リンゼイの返答を聞いて眉を下げるクレメンテ。
困った顔を見せていた。
「嫌だったらはっきり言って」
「いえ、嫌と言う訳ではなくて、その、一度口を付けてしまったので、悪いなと」
「私は別に気にならないんだけど、よく考えたら、非常識なお願いだった気がする」
「!」
クレメンテはそんなことはないと首を横にぶんぶんと振った。
すぐにカップとソーサーをリンゼイの前に差し出す。
「いいの?」
「はい! こんなもので良かったら!」
「……」
受け取った後で、また我儘を言ってしまったと反省する。
どうしてか、クレメンテには何を言っても怒られないので、いろいろ好き勝手に言ってしまうのだ。
まずは心を落ち着かせようと、薬草茶を一口貰うことにした。
薄い黄色のお茶は、爽やかな柑橘系の香りがする。他の薬草茶に比べて苦味や癖もなく、ほんのり甘い。ホッと出来るような味であった。
「美味しい」
「よ、良かったです」
リンゼイはカップとソーサーを返しながら、我儘を言ってすまなかったと謝る。
「とんでもないことです! リンゼイさんのお願いは、何でも叶えたいです!」
「ありがとう。でも、無理しないでね」
「いえ、無理なんて、今までに一度もしていません。そういうことを言って頂けると、その、物凄く嬉しいです」
「だったら、次はあなたの我儘を聞くから」
「!?」
クレメンテは目を瞬かせる。
なんとか「考えておきます」と震える声で返事をした。
そして、本題に移る。
「突然なんだけど――」
「はい?」
言いかけた瞬間に店の窓がガタガタと揺れ出す。
振動は強くなり、遂には店全体まで大きく揺れ出した。
クレメンテはすぐにリンゼイの腕を掴んで椅子から立たせて、机の下へと導く。
揺れが激しくなって、机の上に置いていたポットが落下をする。クレメンテはリンゼイの身を引き寄せた。
パリン、というポットが割れた音がする。
「――あ!」
「大丈夫ですか」
「それはこっちの台詞!」
クレメンテはポットが落ちた方向に背中を向けて、身を呈してリンゼイを守ったのだ。
背中に薬草茶を被る事態となったが、そこまで熱くないので大丈夫だと言う。
店内の揺れがさらに酷くなる。
一瞬、周囲を大きな影が覆った。
その後、揺れはすぐに収まった。
周囲が静かになれば、クレメンテは机の下から出て、リンゼイに手を差し伸べる。
「ね、ねえ、平気なの!?」
「はい」
背中を見たら、シャツの色が黄色く染まっていた。ガラスは突き刺さっていないようで安堵する。
「先ほどの揺れは、一体?」
「――あっ!」
「?」
リンゼイは帰らなきゃと叫ぶ。
震える指先で道具箱を探って中から飛行板を探すが、なかなか見当たらない。
「リンゼイさん、落ち着いて」
「!」
肩を掴まれて、ハッと我に返る。
どうしたのかと聞かれ、顔面を蒼白にしながら答えた。
「あの揺れは竜が街の上を通過した時のもの。多分、母上の、竜が……」
「え?」
「は、母が、竜に乗ってやって来たの!」
「リンゼイさんの、お母様、ですか?」
コクリと頷く。
奥から店主が出て来た。
クレメンテは割れたポットを弁償すると言ったが、店主は不要だと首を横に振る。
薬草茶の代金だけを払って店を出ることになった。
◇◇◇
馬車を使い、大急ぎで家に帰った。
門にシグナルが待っており、大変なお客様が竜に乗っていらっしゃったと報告をする。
庭に行けば、大きな黒竜が鎮座していた。
「あれは……」
「母上の竜。で、メレンゲのお母さんなんだけど」
「は、はあ、左様で」
メレンゲとプラタは所在なさげな顔で端に固まっていた。また、嫁を狙いに来たのかと疑っているプラタは長い尻尾をメレンゲの体に巻きつけて、自分のものだと主張していた。
リンゼイはシグナルに母親の様子を聞く。
「それが、客間に案内をしようとしたのですが、途中でウィオレケ坊ちゃんと会ってしまいまして……」
思いがけない人物と邂逅することになったウィレケは回れ右をして逃げ出し、母は息子の後を全力疾走で追いかけた。
「という訳で、その後、追跡に失敗をしてしまい――」
「……」
「……」
リンゼイは他人の家でも慎みというものを知らない母親が恥ずかしくなる。
自分も人のことを言えないので、口に出すことはなかったが。
事情を聞いた後は走って屋敷に戻る。
玄関を抜けてから、すれ違った使用人にウィオレケとその後を猛追する中年女性の所在を聞いたが、分からないと言われてしまった。
立ち止まって魔力を辿ろうと杖を取り出す。
その前にクレメンテに母親について説明をしなければと思った。
「あの、クレメンテ」
「はい?」
「は、母上のことなんだけど」
彼女の母親はちょっと、否、かなり変わっていると言おうと口を開いたその時、遠くから名前を呼ばれる。
同時に振り返る二人。
目の前にはずんずんと迫って来る美女の姿があった。
切れ長の目は爛々と輝き、緩やかに波打った濃い紫色の髪を靡かせながら大股でやって来る。魔術師の外套に身を包み、雰囲気は妖艶の一言。リンゼイにそっくりの女性であった。
「は、母上!?」
「久しぶりだな。わが娘よ」
「……」
何の事情もなかったら、親子の感動的な再会になったかもしれない。
礼儀正しく客間で待っていれば、数年ぶりの母親の姿に涙していたかもしれなかった。
だが、現状、リンゼイの母の状態は普通ではなかった。
手元に注目が集まる。
リンゼイの母はとんでもないものを手中に収めていた。
『リ、リンゼイ、ごめん』
「……」
『アアアアア、助ケテエエエ!!』
「……」
腕には鳥かごが掛けられてあった。中に申し訳なさそうな顔で座るリリットの姿がある。
手には怪植物が握られていた。ワタワタと足をバタつかせながらささやかな抵抗をしている。
「母上、それは、一体……」
「捕まえた」
高位妖精に、捕獲が難しい怪植物を捕獲して満足げな顔でいる。
もう片方の手には矢が握られていた。
「母上、その矢は?」
「ああ、猫妖精が居たから捕獲をしようとすれば、傍にいた男に矢を射られた」
「!」
「……」
スメラルドはイルが守ってくれたようだった。
「あの弓師、迷うことなく私の心臓を射ってきた」
「……」
「二度目は眉間に。ふふ、良い人材だ」
一度目は避けて、二度目は手で掴んだという。
その二撃を受けてスメラルドのことは諦めらたしい。
とりあえず、リンゼイはリリットと怪植物はこの屋敷の住人なので返してくれと言う。
「やっぱりそうだったか」
「人の家を勝手に荒らさないで」
「それはすまなかったな」
リリットと怪植物は素直に返してくれた。
籠の中から出されたリリットは即座にリンゼイの背中に隠れ、怪植物はクレメンテの足元まで走って行って、ヒシっと脛の部分に抱き付いた。
「さて、私が来た理由は分かっているだろうか?」
「……」
リンゼイはじりじりと母親の前から後退していく。
だが、すぐに距離を詰められ、腕を取られてしまった。
「家に帰るぞ。リンゼイ」
「!」
母親の言葉に、目を見張った。
アイテム図鑑
リンゼイの我儘
クレメンテは笑顔でなんでも聞いてしまう。
愛と言う名の奴隷なのである。




