七十三話
夜。
風呂の準備が出来たと言う使用人の知らせを受けて、リンゼイはやっと髪の毛が洗えると嬉しくなった。
髪を長くしているのは魔術の為である。
魔力は体のあらゆる場所に貯蔵される。
特に、髪という日々目に見えて大きく成長する物については、特別な魔力が溜まっていくという研究結果も出ていた。故に、リンゼイの国では男性でも髪を伸ばしている人も比較的多い。
最近は薬剤生成をする為の補助的な軽い術式しか使わないので、切ってもいいのではと思ってしまう。
だが、たまに魔物と出くわした時に戦闘にもなっているので、やっぱり必要かとあっさり諦めた。
服を脱いで浴室に入れば、花の妖精姉妹達がお世話をすると現れる。
リンゼイはいいからと断ったが、久々に森の中で過ごして元気になったと言って張り切っていた。
ここは、彼女達の失われた国の風景に少し似ていると言う。
姉妹の一人が、森で摘んだ花で作った精油を浴槽に垂らす。
ふわりと、甘い花の香りが浴室に広がった。リンゼイも芳しい花の香りにうっとりとする。
妖精は歌いながらリンゼイの髪の毛を洗い、体を磨く。
すると、浴室に置いていた鉢の花から新たな花の妖精達が生まれた。すぐに歌の輪の中に入り、楽しげに世話を始める。
いつの間にか、周囲はたくさんの妖精に囲まれていた。
このように、新たな妖精の誕生に力を貸すことが出来たのは久々だと姉妹は話す。萎れていた花魔法の魔力が戻ってきているのかもしれないと喜んでいた。
最後に自分で湯を掛けて、浴槽の湯に浸かった。
妖精の姉妹は森で見た花や木々の話を嬉しそうにしていた。
ここの村は珍しく魔物の気配が全くなかった。周囲は深い森に囲まれ、外部の人間は商人位しか出入りしないという。のどかという言葉が相応しい、平和な場所だと思う。
のぼせそうになったので風呂から上がったが、その後も妖精姉妹の話に付き合うことになった。
リンゼイが居間に行けば、エリージュが温めたミルクを持って来てくれた。
村で採れた蜂蜜を垂らしているという。
「ありがとう」
「奥様、蜂蜜は一杯でよろしかったでしょうか」
「ええ」
「旦那様はお酒でも飲まれますか?」
「いえ、いいです」
「昨晩は、あまり眠れなかったのでしょう?」
「え!?」
「目の下にくまが」
「あ……まあ、はい」
クレメンテはつい先ほど、一杯のミルクを飲んだ。良い感じに眠気が訪れたような気がしたが、風呂上りのリンゼイが来た途端に目が覚めてしまったのだ。
上気した頬に、しっとりとなめらかなように見える肌。化粧気はないのに、どこか色気があるような目元。清楚な薄い青のドレスの下はどうなっているのかという邪念に囚われてしまっていた。
「旦那様!」
「は、はい!」
「お酒は?」
「では、一杯だけ」
エリージュは棚の中にあった酒を、近くにあった円卓の上で開封して、グラスに注ぐ。銀盆の上に置いて運び、クレメンテに差し出した。
受け取ったそれを一気に飲み干す。
エリージュは空になったグラスに二杯目を注いだ。
「旦那様、今宵はもう、お暇しても?」
「はい、ありがとうございました」
「奥様、何か御用は?」
「ないけど」
「でしたら、このまま失礼を」
綺麗なお辞儀を見せてから、エリージュは部屋から去っていく。
居間は夫婦二人だけの空間となった。
「水で割ったら?」
「あ、はい、そうですね」
二杯目の酒を飲みほしたクレメンテにリンゼイは意見する。
言いつけに従い、水差しの中の水を半分グラスに入れてから酒を注ぐ。
「リンゼイさん、あの、今日はここで眠らせていただきますので」
「は?」
クレメンテは居間の長椅子で眠ることを決めていた。
昨晩はほとんど眠れなかったし、それがお互いの為だと思っていた。リンゼイにも隠すことなくはっきりと伝えた。
「それもそうかもね」
「ご理解頂きまして、嬉しく思います」
律儀に頭を下げるクレメンテ。
リンゼイと目が合って何だか恥ずかしくなったので、動揺を誤魔化す為に三杯目の酒を空にする。
虫の鳴き声もしない、静かな夜であった。
「ここ、良い所ね」
「そう、ですね」
「花の妖精達も、気に入ったって」
「メルヴさんも気候が体に合うとおっしゃっていました」
「メルヴ?」
「あの、怪植物の」
「ああ、そんな名前だったっけ」
「ええ」
メルヴ・メディシナル。
クレメンテが付けた怪植物の名前であった。覚えにくい響きなので、ほとんどの人が覚えていないという悲しい結果になっている。
「あの子、すっかり魔物としての習性がなくなってるみたい」
「リンゼイさんのお薬がよかったのですかね?」
「さあ?」
「不思議なものですねえ」
話題は花妖精の姉妹のことに戻った。
「あの子たちは、ここに預けておこうかと思っているの」
「そうですね。それがいいのかも、しれません」
都の屋敷は自然が少ない。
つい先日もメレンゲやプラタの為の空間を作る為に、花壇の数を減らしたのだ。
そのことについては姉妹に了承済であったが、先ほどのような話を聞いてしまえば罪悪感を覚えることになる。
「本当に、私って自分のことしか考えていなかったなって。他に、もっと、彼女達の為に出来ることもあったんじゃないかと……」
周囲の迷惑など顧みないで、自由奔放に生きてきた。
つい最近まで、他人がどうとかすら考えたことすらなかったのだ。
今になって、花の妖精姉妹に申し訳なくなる。
「ですが、一人一人、出来ることと出来ないことがありますから」
「!」
「リンゼイさんはリンゼイさんに出来ることを、すればいいと、思います」
「……」
本当に傍若無人なだけの非道な人間ならば、誰も寄り付かないとクレメンテは言う。皆、リンゼイに惹かれているからこそ、傍で支えているのだとも。
「だったら、花の妖精の国を滅ぼした、水蛇を、絶対に倒す。それが、私に出来ること」
少し前までは倒せたらいいなと、そんな風に考えていた。
でも、今は、はっきりと水蛇討伐への決意を固める。
「あの、クレメンテ」
「なんでしょう?」
「酔っぱらっている?」
「いいえ」
「……私のこと、どう思っている?」
「とても可愛らしい人だなと」
「やっぱり酔っぱらっているじゃない!」
「?」
喋っている言葉は落ち着いているように聞こえたが、現状、顔は真っ赤で、普段とは違ってどもらずに言葉が出てくるという大きな変化を見せていた。
話をしても、翌日には覚えていないだろうなと、ため息を吐くリンゼイ。
それでも、一応言っておく。
「あなたには感謝をしているの」
「そのように言って頂けて、とても、嬉しいです」
相手が酔っ払いだと思えば、普段言えなかったことも不思議とすらすら口にすることが出来た。
「私なんかと結婚して、後悔していない?」
「とても幸せです」
「そんなに、私が好きなの?」
「大好きです」
「……」
自分で言わせておいて、恥ずかしくなる。
いい機会だから聞いておこうと思って、余計なことまで聞いてしまったと後悔した。
彼は結婚生活に不満を抱いていない。それが分かっただけでもいいことにする。
そして、話は本題に移る。
「お願いがあるんだけど」
「私に出来ることなら、なんでも」
「水蛇退治のことについてなんだけど」
「はい」
リンゼイは命を懸けて戦うことをクレメンテに伝える。
その為に、準備は万全にしたいとも。
「それで、連れて行く人員を考え直そうと考えていて」
ウィオレケは絶対に連れて行けない。
イルも置いて行った方がいいだろうと思っている。
リリットには聞いていないが、彼女の助けは必要なので、協力してくれるように頭を下げる予定だ。
メレンゲは連れて行く。
それから――
「メレンゲが居るから、どうにでもなりそうな気がするんだけど、それでも、やっぱり怖くて」
「リンゼイさん……」
「だから、一緒に、ついて来て、下さい」
「!」
初めての真摯なお願いに、クレメンテは信じられない思いでリンゼイの顔を見る。
今まで、このように頼られたことなど一度もなかった。
そんなお願いに対する答えは一つしかない。
「リンゼイさんの行く所ならば、どこまでも、共に」
「あ、ありがとう」
最後に、水蛇討伐から戻ったら伝えたいことがあるとリンゼイは言う。
「それって、良いことでしょうか?」
「どうかしら?」
「!?」
まさか離婚ではと、呟いていたのでそれは違うと否定しておいた。
「悪いことじゃないと、思う。多分」
「……はい」
「あなたが、喜んでくれたらいいんだけど」
「!」
今すぐに聞きたかったが、ぐっと我慢をする。
昔から自らの感情を抑えることは得意であった。
虐げられた時代に感謝をすることになったので、人生は何が起こるか分からないものだと考える。
お酒を飲み過ぎたクレメンテは、そのまま長椅子に座った状態で眠ってしまった。
リンゼイは横になるように体を動かそうとしたが、びくともしなかった。
そのうち自分で眠りやすい体勢になるだろうと、即座に諦める。
寝室から毛布を持って来て、体に掛けておいた。
ついでに眼鏡を外してあげる。
「……雑草」
久々に素顔を見て、思わず呟いてしまった。
アイテム図鑑
クレメンテのお酒
飲めば本性を現す不思議な飲み物。
言ったことは全て本心であるが、翌日には忘れているという残念オプションがある。




