七十一話
トントンと扉が叩かれる音で目覚めるリンゼイ。慌てて起き上ったが、隣にクレメンテの姿はない。まさか、居間に逃げ込んだのではと苛立ちながら思ったが、寝台の近くから物音が聞こえたので、覗き込む。すると、クレメンテはシーツを巻き込んだ状態で床の上に寝転がっていた。寝相が悪かっただけかと、ホッとする。
クレメンテは眉間に皺を寄せて、小難しい顔付きで眠っていた。
おかしな顔で寝ているものだと、面白くなって笑ってしまう。
起こそうかと思ったが、まだ寝かせておいてやるかと放っておいた。
ぼんやりと、夫の寝顔を寝台の上から眺める。
外から聞こえる「領主様、奥様」という女性の声を聞いて我に返った。
その時になって自らの寝間着姿を思い出す。
朝からクレメンテの観察をしている暇はなく、早急に着替えを確保しなければならない。
使用人の声はエリージュのものではなかったが、服の着衣を整えてから扉を開く。
侍女に服を預けていると言えば、寝間着の上に纏えるような外衣を持って来てくれた。
こうして、ようやくエリージュの部屋に辿り着いた。
「ああ、奥様、そのような格好でお眠りに?」
「お陰様でね」
エリージュはリンゼイのあられもない寝間着姿にため息を吐く。
「旦那様とは何もなかったようですね」
「ええ」
「よく、我慢を……」
「……」
両手を縛って我慢をさせていたとは言えない。
早く助けにいかなくてはいけないので、着替えも手早く行いたいと思ったが、お手伝いをすると申し出る侍女の言葉に逆らうことが出来なかった。
鞄の中に詰め込んでいたドレスはエリージュが朝から手入れをしていたようで皺ひとつなかった。
うす紫のドレスを纏い、髪の毛は三つ編みにしてから後頭部に巻き付けて薄紅色のリボンで留める。
化粧もうっすらと施す程度。
じっくり時間を掛けた後に、美しい貴婦人が完成をした。
「奥様、どちらに?」
「ちょっと部屋に忘れ物!」
部屋と飛び出せば、廊下で救出しなければならない人間と鉢合わせすることになった。
「あ!」
「リンゼイさん」
余所行きの服に着替えたクレメンテである。
自力で脱出したのかと聞けば、そうではないと言う。
ふと、足元に何かがいると視線を移せば、怪植物が草で親指を立てるような仕草をしていた。
葉を使って縄を切ってくれたらしい。目が合えば、シュッシュと鋸を押して引くような動作で素早く葉を動かして、鋭利な葉を自慢していた。
「腕、大丈夫なの?」
「あ、はい。平気で」
リンゼイは返事を聞く前に勝手にクレメンテの腕周りを捲る。
手首にはくっきりと縄の跡が付き、赤く腫れていた。
「大丈夫じゃないじゃない!」
「でも、これ位、痛くありませんし」
「待ってて」
リンゼイはクレメンテの手首を両手で包み、ぶつぶつと呪文を呟く。
すると、赤く腫れが一気に引いていった。
「あ、ありがとう、ございます」
「……」
「リンゼイさん?」
「あ、ごめんなさい」
名前を呼ばれて、パッと手を放す。
初めて触れた手は、ごつごつとしていて、頼りない外見とは違いしっかりとしたものであった。
そういえば剣士だったと思い出していたところで声を掛けられたのである。
「二人して、廊下でなにをしているのですか」
「!!」
「!!」
同時にビクリと肩を震わせる二人。
まさか、昨晩の縄の痕を治療していた、とは言えない。
適当に笑って誤魔化したが、怪しいという視線が元に戻ることはなかった。
エリージュの追及するような眼差しは怪植物へと移る。
自らの潔白を証明する為に、素早く葉を左右に震わせて、容疑を否認していた。
「まあ、どうでもいいことです」
エリージュの興味は別に移ったので、ホッとする二人と一匹であった。
使用人がやって来て食事に支度が整ったと言うので、一同は食堂に移動することになる。
朝食を食べた後は、領主代理のヨルクに村の中を案内して貰った。
村は家畜から取れる毛を使った織物が有名で、遠方から商人が買いに来る程の人気の品だという。それと、森で採れる果実から作った酒も地味に儲けているとヨルクは話す。
遠方からやって来た客人に村人たちは興味津々であった。
特に、美しい姉弟に視線が集まった。
クレメンテはなるべくリンゼイが目立たないように、背中で隠れるような位置に立っていた。
人通り案内が終われば、二件目の織物工房見学をするという話になる。
内容は一件目の工房とほとんど変わらないが見るかどうかと聞かれ、エリージュは是非に、という返事をした。
「旦那様と奥様は、森の散策にでも行かれたらどうですか?」
「リンゼイさんと、二人でですか?」
「ええ。私達は織物工房の見学に行きますので」
ウィオレケも森の散策がいいのではとクレメンテは聞いた。
だが、新婚夫婦の邪魔になるからいいと、大人びた回答を返して来る。
「折角だから行きましょう」
「あ、はい。そうですね」
森の散策がしやすいように、途中にあった靴屋で踵がない靴を購入する。
店主に歩きやすい靴がないか聞けば、柔らかい革の品物を勧められた。
この辺の森に生息をするという獣の革で作ったものだと話す。
用意された靴の中で、白い靴が目に入り、履いてみることにした。
店の中にあった椅子に座り、靴を脱いで商品を履いてみる。
手に取った品物は踝丈の短い靴で、縁には蔦模様が刺されていて、編み上げになっている紐も可愛らしい。寸法も丁度よく、意匠も気に入ったのですぐに購入することに決めた。
クレメンテは店主に買う品を示してから、請求書に署名をする。
「あ、自分で買うのに」
「良いんですよ。贈らせて下さい」
「……なんか、悪いんだけど」
「贈り物は好意の塊でしかないので、受け取って頂けると嬉しいです」
「言われてみれば、そうかもしれない。……ありがとう」
「どういたしまして」
そのまま履いて行くので、家の靴は後で領主の城へ運んでもらうようにお願いをした。
◇◇◇
木々が重なった木漏れ日の下を歩く。
森の中は人が通りやすいように綺麗に整えられており、どこまでも続く道はのどかな光景が広がっている。
先まで行けば湖があるとヨルクが言っていた。
しばらく歩けば、湖に辿り着く。
話にあった通り、美しい場所であった。
「綺麗ですね」
「そうね」
道具箱の中から敷物を出して、そこに座り込む。
中身を探っていたクレメンテが何かに気付いた。
「あ!」
「なに?」
「エリージュさんに買った焼き菓子、渡していませんでした」
「ああ、そんなのがあったっけ」
どうせ喜ばないからここで食べないかとリンゼイは提案をする。
クレメンテは笑いながら、お菓子の入った缶を開封した。
中から出て来たのは乾燥果物の入った細長いケーキ。食べ物を切れるナイフを持っていないので、手で千切って食べる。
「口の中の水分全部持って行かれる」
「確かにそうですね」
温かい飲み物でも欲しいところであったが、道具箱の中に茶器など気の利いた道具は入っていなかった。
「薬草茶店のお茶缶を買っておけばよかったです」
「そんなものがあったの?」
「はい。支払いをする台に置いてありました」
「ふうん」
湖の水は綺麗なものに見えて実はそうではないので、飲まない方がいいとリンゼイは止める。
残りのケーキはリリットにあげようと、そっと蓋を閉じて道具箱の中に収納した。
それから、会話も何もない中で湖を眺める。
ゆったりとした時間が流れて行った。
クレメンテは夢みたいだと思う。
こんな風に、何も用事がないのに二人で並んで過ごす日が来るなんて考えもしていなかった。
この穏やかな時が永遠に続けばいいと、願ってしまう。
「あ、そうだ」
「はい?」
「お礼したいの。なにか欲しいものはある?」
「お、お礼、とは?」
「腕輪とか、今日の靴とかくれたし、あといろいろ」
お礼なんてとんでもないと首を横に振る。
こうして隣に座ってくれるだけで、クレメンテは満たされていたのだ。
「贈り物は好意でしかないから、素直に受け取るようにって言っていたのは誰だったっけ?」
「……それは」
「贈るのは好きだけど、貰うのは苦手な人?」
「ああ、言われてみれば、そうですね」
「変な人」
「否定できません。どうも、自分なんかと言う気持ちが強くて」
「へえ、そうなの。贈り物、好意の塊なんだけど、本当に要らないの?」
「い、いえ、欲しい、です」
だったら、欲しい物を教えて欲しいと言うので、クレメンテは震える声で答える。
リンゼイさんが欲しいです、と。
アイテム図鑑
リンゼイの靴
クレメンテからの贈り物。
白くて可愛らしい靴。




