七十話
部屋に入ってすぐの居間には大きな本棚があり、たくさんの書籍が収められていた。
読書椅子もあり、優雅に寛げる空間となっている。
地面に敷かれているのは深い青色が美しい絨毯。歩けばふかふかと足の裏に柔らかな触感を伝えてくれた。
壁には肖像画や王都にある公爵家の居城を描いたものが飾られている。
天井からは真兪に金を塗って作った豪華絢爛なシャンデリアからは水晶が垂れ下がっていた。そのお蔭で灯火はキラキラと輝き、部屋の中を明るく照らしている。
部屋の奥には寝室がある。当然ながら大きなものが一台しかない。
寝室の更に奥に洗面所があるようだった。
風呂は別の場所にある。遅い時間帯だったので、桶一杯分のお湯しか用意出来なかったと使用人が謝罪をしていた。
そして、部屋で棒立ちになる二人。
本当の夫婦ではない二人が、楽しく過ごせる空間ではなかった。
当然ながら、突然やって来て尽くしてくれた相手に、もう一部屋用意してくれなどと言えない。
「ど、どうしましょうか?」
「……」
ウィオレケやエリージュの一人用の部屋に押しかける訳にはいかない。
彼らの部屋にも寝台は一台しかないからだ。
居間には一人掛けの読書椅子はあったが、横になれるような長椅子はなかった。
前にも同じような状況があったが、今日はリリットが居ない。
気まずいから連れて来ればよかったと、若干の後悔するリンゼイ。
心を落ち着かせるために、先に体を綺麗にしようと、使用人が用意した湯を貰うことにした。
洗面所の中に入り、念の為に内側の鍵を掛けた。
別に信用をしていない訳ではない。
落ち着かないから鍵を掛けるだけである。
洗面所には大き目の桶が二つあった。一人につき一個用意されていた。
衣服を脱いで籠の中に放り込む。
一日中歩き回っていたので、服も体も埃っぽかった。
着替えをと思って取ったベルトを探れば、道具箱がないことに気付く。
エリージュに預けて、受け取るのを忘れていたことを今になって思い出した。
幸い、洗面所に寝間着が用意されていた。天の助けだと思って借りることにする。
洗面所の置いてあった精油を湯の中に数滴垂らし、よくかき混ぜる。
顔を洗って化粧を落とし、顔の水分を拭ってから、浸したタオルで体を拭く。
髪の毛は洗えないので、香油を手のひらに垂らし、髪の全体に馴染ませた。
風呂に入ったようなさっぱり感はなかったが、先ほどの状態よりもマシだと思って良しとした。
寝間着が入った籠を探れば、あることに気が付く。
下着がない。
もう一個、用意されていた籠は男性用の寝間着が入っているだけであった。
一度脱いだものは着たくない。
寝間着は上下繋がったもので、前で重ね合わせて腰部分を紐で結ぶ形をしていた。普通の品とは違い、高価な布が使われている。驚くほど手触りの良い品で、驚くほど薄い生地でもある。
愛用の魔術師の外套も薄汚れている。とても、上から羽織って布団に潜り込める状態になかった。
こういう時、リンゼイの魔術は役に立たない。
彼女の得意な術と言えば、破壊活動に特化していた。
水を操って即座に服を洗い、一瞬で乾かすなどの繊細ことは出来なかった。
だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。早く寝なければ、明日の活動に支障が出る。
リンゼイは素肌の上から寝間着を纏い、髪の毛を一つに纏めて三つ編みに結う。
脱いだ服は綺麗に畳んで見えないようにタオルを上から掛けた。
洗面所の鏡を覗き込めば、映り込んだ上半身の肌が透けているような気がしてぎょっとする。それに加えて、寝間着は体の線にぴったりと密着していた。これではいけないと一度脱いでから、胸部に小さなタオルを巻いて寝間着を着る。
リンゼイは洗面所から出て、すぐに寝台の上にあったシーツの中にその身を隠した。
居間にいるクレメンテを呼んで、洗面所が空いたことを告げる。
寝室に入ったクレメンテは、シーツに包まったリンゼイをなるべく見ないようにして洗面所まで移動した。
十数分後。
洗面所から出て来たシャツとズボン姿のクレメンテは、そそくさと居間に移動しようとする。
しかしながら、シーツを纏ったままで、むくりと起き上がったリンゼイは、怪しい動きをしているクレメンテに声を掛けた。
「ねえ」
「!」
「まだ寝ないの?」
「いえ、寝ます」
だったらどこに行くのかと聞かれ、居間にと答えれば、まさかそこで寝る気ではないのかと問い詰められる。
「あの、読書椅子を並べたら、寝転がれますので」
「肘置きが邪魔して横になれないでしょう?」
「あ、そういう構造でしたっけ」
「だったら地面でも」と言う前に、リンゼイが寝台の端と端で眠ればいいと勧めてくる。
「いえいえ! それは出来ません!」
「でも、居間で寝せるなんて可哀想だし」
「そ、そんなことないです。今まで、もっと酷い場所で寝たことがあって、その、岩の上とか」
どこでも眠れることを主張したが、今はそういう問題ではないと切って捨てられた。
「だったら、今日はあなたがここを使えば? 私は座ったままでも眠れるから」
「それも出来ません!」
「我儘ね」
「……」
リンゼイは引かなかった。
このままでは二人とも眠れない。
結局、クレメンテが折れることになる。
正面から見るリンゼイは、程よく髪が崩れていて、何とも言えない色気を醸し出していた。
これは目に毒だと、急いで背後に回り込む。
ところが、背後は背後で危険だった。
首元の白いうなじが目に飛び込んできて、何もない壁側を向くことになる。
「あの、リンゼイさん」
「なに?」
「お願いがあるんです」
このままでは危ないと思ったクレメンテは、ある頼みごとをする。
自分専用の道具箱の中から取り出したのは、太い縄。
それを差し出して、手と足を縛って下さいとお願いしたのだ。
「なんでそんなことをするの?」
「……」
「趣味?」
「違います」
正直に言うべきか。
そうすれば、居間で眠れと言ってくれるかもしれない。
変態扱いをされるかもしれないが、それは仕方がない話だ。クレメンテはリンゼイを愛している。一晩中隣に居て、何もしないで我慢など出来る訳がなかった。
正直に、震える声でリンゼイに伝えれば、無言で差し出していた両手に縄をクレメンテに巻き付け始めるリンゼイ。
「あ、リンゼイさん、駄目です」
「なにが?」
「もっと強く締めないと、解けてしまいます」
「……」
リンゼイは力の限り縄をぎゅっと締める。だが、それでもクレメンテは足りないと言った。
「待って、もう、無理!」
「この位では、力を込めたら抜け落ちてしまいます」
「でも、こんなこと初めてだし、どうやったら、いいのか」
「も、もう少しだけ、力を」
「こう!?」
「いえ、まだ」
「……」
「頑張ってください」
「頑張ってるってば!」
目の前で頑張ってくれるリンゼイの寝間着は乱れていた。
必死に見ない努力をしていたが、どうしても視界の端にチラチラと映り込んでしまう。
早く縛って貰わないと大変なことになりそうだった。
「せっかく、体を綺麗に拭いたのに、あなたのせいで!」
「すみません、ごめんなさい」
全力で縄を締めるリンゼイの額には汗が浮かんでいた。
ようやく手首の拘束が終わったと、手の甲で汗を拭う。
その瞬間に背後からガサリと物音がした。
振り返れば、両方の葉で視界を覆った怪植物が立っていた。
「な、あ、あなた! そんなところでなにをしているの!?」
『ヒャ! ノ、喉ガ乾イタカラ、イツモノアレ、欲シイッテ』
「……」
「……」
怪植物はリンゼイの作る『植物魔力活性剤』が欲しくてここまで来たと言う。
『オ、オ楽シミノトコロ、本当ニ、申シ訳ナイト……』
「だ、誰が楽しんでいたっていうの!?」
『アッ、マダ、楽シム前……』
「そんなわけないでしょう!?」
『ダ、ダ、大丈夫。見タコト聞イタコト、絶対ニ言ワナイ』
「もしも言ったら、葉を全部毟ってやるから!!」
『ヒィン!!』
リンゼイの迫力に負けた怪植物はその場で飛び上がってから、部屋から去って行ってしまう。
「……」
「……」
なんか疲れたと呟くリンゼイ。
クレメンテはどうか休んでくださいと言う。
「足は縛らなくてもいいの?」
「え、ええ。多分、足だけじゃなにも出来ないと思うので」
「良く知らないけど、そんなものなの?」
「そんなものです」
こうして、リンゼイ達はやっと眠りにつくことになった。
だが、クレメンテは荒ぶる気持ちが抑えきれず、眠れなかったので、地面に転がってから落ちた振りをして、床の上で就寝することになった。
アイテム図鑑
縄
リンゼイがクレメンテを縛る業務用(?)




