六十七話
61話の前に用語図鑑を追加しました。
ウィオレケは竜を諦めると言った。
そのことをリンゼイは嬉しく思ったが、彼の将来について考えたら悲しくもなる。
弟が傍に居るのは幸せなことでもある。だが、まっとうな魔術師になるには、親の庇護の下で学校を卒業して、外国に出て経験を積んだ方がいいのでは、と思わなくもない。
ここで、竜を無理矢理従うことが出来れば、父親も許してくれて学校にも通える。
リンゼイは学問を教える側の人間ではない。教授出来ることにも限界があった。
珍しく、リンゼイは揺らいでいる。
自分の判断が、弟の将来を狭めてしまうのではと。
心臓が早鐘を打つように鳴り響く。
「リンゼイさん」
「!」
普段とは異なる様子を見せていたリンゼイにクレメンテが声を掛ける。
大丈夫か、とは聞かなかった。
背中を軽くぽんぽんと叩いてくれる。
言葉にせずとも、落ち着けと言いたいのだと分かった。
リンゼイは大きく息を吸い込んで、吐く。
それから、ウィオレケに質問をした。
「ウィオレケ、本当に、いいの?」
「……私は、ここで、調合師として生きることに決めた」
「でも」
「姉上や義兄上の力を借りてクロームを取り戻したとしても、どんな顔をして家に帰ればいい?」
「……」
「それに、クロームの生涯を無駄にしたくない。意志を奪って使役するなんて、可哀想だ」
逃げられて憎たらしいという感情が大きくなっていたが、それでも六年間付き合ってきた竜だ。情も残っている。
人間だって仲違いをする。
竜と人の間にそれが生じてもおかしくはない。
それだけのことだと、ウィオレケは言った。
「分かった。あなたがそう決めたなら、クロームのことは諦めましょう」
ウィオレケは姉の言葉を聞いて「ありがとう」と呟く。
クレメンテの方も見て、視線が合えば一礼をした。
決心を新たにしたところで、別の問題も浮上してくる。
クロームをどうやって追い払うか、という大問題。
「転移術は無理ね。質量が大きすぎるし、離しても執念深そうだから、多分また来そう」
「話し合いが出来る状態には見えないですよねえ、彼」
「……」
クロームはプラタの自慢話を聞いて怒り狂っている。
地団駄は止めたが、今度は尻尾を地面に打ち付けていた。
振動で屋敷の窓が割れていく。
ウィオレケは本日何度目かも分からない決心を口にした。
「いや、クロームと話し合いをする」
「絶対に駄目!」
「あいつを追い払う材料はある」
ウィオレケは腰のベルトからナイフを取り出し、手の甲に当てた。
ナイフはすぐにリンゼイが取り上げる。
何をしているのかと聞けば、ウィオレケは平然とした表情で言った。
「私の血を使って、クロームを脅す」
「!」
「契約のことを知っているのなら、あいつは私の血を恐れるだろう」
竜は再契約についても知っている。その賢さを逆手に取ってこの場から立ち去って貰おうと言う算段であった。
「……そうね、それが最適かもしれない」
「だったら実行は早い方がいい。姉上、飛行板を貸してくれないか?」
「え、いいけど、大丈夫?」
「……多分」
ウィオレケは運動神経が良い方ではない。悪いと言ってもいいだろう。
飛行板はバランス感覚とある程度の運動神経が必要だった。
ウィオレケは屋根によじ登って来るまでにもかなりの時間がかかっていた。
必死になって屋根から屋敷の中に入り、三階から一階まで駆けて行って、更に庭の中心部まで走っていかなければならない。クロームの元にまで辿り着いたころにはヘロヘロになってしまうだろうと思っていた。
「飛行板には、一回だけ乗ったことがあるから、大丈夫」
「そう?」
「魔力の扱いさえ、間違わなければ、落下することもない」
「まあ、理論上はね」
「姉上、貸してくれ」
「いいけど」
リンゼイから飛行板を借りて、板の上に乗る。すると、すぐに術式が発動して、軽く浮き上がった。ウィオレケは悲鳴をあげそうになるのを我慢する。
「気を付けて。何かあった時はメレンゲとプラタは守ってくれるから」
「わ、分かった」
リンゼイは魔力で敵わない竜に下手に近づかない方が良いと判断した。
自分が傍についていても、足手まといになる可能性があったからだ。
ウィオレケはふよふよと宙に浮かんだ状態で下降しながら飛んで行く。
「……遅っ!」
「……」
飛行版は風に乗って軽やかに乗る道具であったが、ウィオレケは慎重に進んでいくので、別の品物に見えてしまった。
「あの、私も付いて行きます」
「え、でも」
「逃げ足は速いので大丈夫です」
「あ、ちょっ、ええっ!」
クレメンテはウィオレケに続くように、屋敷の屋根から飛び降りた。
鎧も何も着けていない状態での落下である。
リンゼイはクレメンテの名を叫ぶ。
地面にのめり込んでいるのではと思ったが、彼が着地をしたのは近くに生い茂っていた木の上だった。
そこから木の幹を伝ってするすると地上に降りて行く。
無事に下りたことを告げるように、リンゼイに手を振っていた。それからすぐにウィオレケの後を追って行く。
――な、なんなの!? あの人……。
無事だったことを安堵した後に、なんて行動をするのかと、怒りが込み上げてきていた。
帰ってきたら覚えておけと、ふつふつと煮え切らない思いを滾らせる。
◇◇◇
のろのろ運行の飛行板は竜達が睨み合う間にゆっくりと着地をした。先に辿り着いていたクレメンテも近くに寄って行く。
「義兄上、どうして!?」
「私にも立ち会わせてください」
「……」
肩を支えられて、ウィオレケは震えが収まった。
巻き込んでしまって申し訳ないと思っていたが、背後にある温かさがありがたいと実感することになる。
落ち着きを取り戻してから、ウィオレケはクロームと対峙した。
今まで荒ぶっていたクロームも我に返る。
それから、目を細めながらウィオレケ見下ろし、竜に逃げられてどういう気分だと問いかけていた。
「お前には、最低最悪の気分を味あわせて貰った」
クロームはその言葉を聞いて嘲笑うような鳴き声を上げた。
そして、言葉を続ける。
長年、偉そうにしている態度が気に食わなかったと。アイスコレッタ家の竜も偉そうで、苛つくばかりであったと。自分達は人の支配下で生きる存在ではない。自由になるべきだと。
お前達はどうかと、プラタとメレンゲを見る。
二頭の竜はクロームの考えに同意しない。
主人が大好きで、ここに暮らす人達も優しくて大切だと、プラタは言う。今まで黙り込んでいたメレンゲも同意していた。
面白くない返事を聞いて不機嫌になるクローム。
「それについては私が悪かった」
ウィオレケは常に一生懸命であった。
父親の期待に応えたい。姉のようになりたい。兄達と比べて劣っていると思われたくないと、必死な毎日を過ごす。
そんな中で、竜は気を遣わなくてもいい存在として見ていた。
それが間違いであったと、ウィオレケは深く頭を下げる。
「それから、ありがとう」
意外な言葉に、クロームの目が見開かれる。
ウィオレケは今まで言っていなかった感謝の気持ちを伝えた。
「空を飛べた時は本当に嬉しかった。それから、兄上の竜と競争して勝った時は誇らしかったし、白い竜であるお前は私にとって唯一の自慢だった」
そして、これからは自由に楽しく暮らしてくれと言う。
このような別れの形になってしまったが、振り返ってみれば楽しい思い出もたくさんあったことに気付き、目頭が熱くなっていた。
脅そうと思って作った傷を手で隠す。
向かい合って浮かんできた言葉は、脅迫の言葉ではなくて謝罪と感謝だった。
もしも、通じなくて暴れた時は仕方がない。
その時は命を懸けて止めようと思っていた。
クロームとじっと見つめ合うだけの時間が過ぎていく。
途中で背後に居たプラタが気の抜けた『クエ~~』という、妙に間延びした鳴き声を発したので笑いそうになったが、必死に顔に力を込めて笑わないように努めた。
昼を示す鐘が鳴り響き、静かになった瞬間にウィオレケの腹の虫が鳴った。
周囲の竜や義兄に聞かれて恥ずかしくなったので、カッと頬を染める。
そんな義弟の顔色を知らないクレメンテはお腹すきましたね、とぼそりと呟く。
腹の虫と会話をしないで欲しいと、心の中で訴えることになった。
突然クロームが動き出す。
クレメンテはウィオレケの体を抱きしめ、すぐに逃げられるような体勢を取ったが、殺気を感じなかったので、そのまま動きを止める。
「あ!」
『……』
クロームはウィオレケに自身の鱗を差し出した。
竜の鱗は一生生え変わらない大切なものである。
クロームは、それをウィオレケに渡そうと腕を伸ばしていた。
「あ、ありがとう」
ウィオレケは白く美しい鱗を受け取ってお礼を言った。
返事をするように短く鳴いて、その場から助走を付けて空へと舞い上がったクローム。
その姿はすぐに小さくなっていった。
入れ替わるようにしてリンゼイが駆けて来る。
「ウィオレケ!」
弟の身の安全が分かれば、深い息を吐いて脱力したようにその場にしゃがみ込んだ。
その背中を、クレメンテが支える。
「クロームから、何を貰ったの?」
「鱗」
「え?」
竜が鱗を差し出すというのは、滅多にないことである。
鱗の並びには意味があり、一枚でも失えば痛手となるのだ。
「お詫びの品ってこと?」
「さあ?」
「友情の証、かもしれませんね」
「……そうだったら、いいな」
なにはともあれ、ウィオレケの説得で竜は去った。
ホッと胸を撫で下ろす一同である。
アイテム図鑑
屋敷の窓
庭に向いている物の全てが割れていた。
感動的な場面に涙を浮かべるクレメンテであったが、窓のガラスが全壊していたことも涙腺が緩む一因とされている。




