六十四話
リンゼイはクレメンテが教えてくれた市場を歩くのに最適な格好の服を選ぶ。
まずは、ドレスを脱いでシャツを着て、動きやすいズボンを穿く。
髪型はそのままでも問題なかったが、銀の髪飾りは外した。
財布を入れた鞄は目立たないように、腰のベルトから下げておく。外套は地味な魔術師のものを選んだ。上から着込めば外側から鞄などは見えなくなる。
最後に、ドレスに合わないからと外されていた溶岩石の腕輪を着ける。
全身鏡の前で姿を映し、問題がないかを確認した。
『奥さん、逢引ですか?』
「!?」
びっくりして背後を見れば、リリットが居た。
いつから居たのかと聞けば、最初からだと言う。
「い、居るなら声を掛けて!」
『いや、なんか忙しそうだったし』
「忙しくしていても、返事位出来るから!」
『で、どこに行くの?』
「市場に」
『誰と?』
「……クレメンテ」
『ふう~ん』
今まで、リンゼイが自分から全身鏡の前で姿を確認する日はあっただろうかとリリットは考える。答えは否。聞けば、市場に行く為の相応しい格好があり、その通りにしているだけだとリンゼイは言っていた。
『市場に何を買いに行くの?』
「さあ?」
『え?』
「用事があるの、私じゃないし」
『なんだって?』
リンゼイはクレメンテの用事に同行をするだけを言っていた。
もしや、熱でもあるのかと思って、リリットはリンゼイの状態を『鑑定』の力を使って視る。
だが、リンゼイ・アイスコレッタは至って健康体であった。
『リ、リンゼイ、どうしたの?』
「なにが?」
『だって、クレメンテの用事について行くだけとか、ありえない』
「どういう意味?」
『女王が臣下の買い物に付き合う位ありえない』
「……私、今までそんなに自分勝手だった?」
それは『そうでしたね』という返事をするしかない。
現に、彼女は自由だった。
魔術師の常識が通じないこの国で上手くやって来られたのも、クレメンテや周囲の者達がそれを許し、支えていたからだった。
『ま、クレメンテはともかくとして、他の人はリンゼイの為だけじゃなくて、クレメンテの幸せの為にやっていたという部分もあるから、その辺はきちんと理解しないとね』
「……」
クレメンテを幸せに出来るのはリンゼイしか居ない。
だが、そういう責任を周囲が押し付けるのは間違っていることなので、リリットは口を噤む。
「今度は私の番だって、きちんと分かっているから」
『私の番って、一体なにをするの?』
「あの人を支えたい」
『それは、妻として? それとも、経営仲間の一人として?』
「……」
リンゼイは迷いのない眼差しをリリットに向けた。
そして、はっきりと言う。
妻として、クレメンテを支えたい、と。
◇◇◇
使用人の見送りを受けて、二人は馬車で市場に向かう。
クレメンテもリンゼイも外套の頭巾を深く被り、目立たないようにしていた。
市場の馬車のロータリーで降りて、徒歩で向かう。
「ここから十分ほど歩いた先です」
「ふうん。詳しいのね」
「昔から、息抜きに来ていたんですよ」
「わざわざ人混みに?」
「賑やかな方が、なんだか落ち着くので」
「へえ、意外」
休みの日はカーテンも開けずに、部屋の隅で膝を抱いて座って暗い一日を過ごす姿を勝手に想像していたが、ウィオレケに失礼な物言いは控えるように言われていたので、口に出さないでおいた。
「食べ物とかも、意外と美味しくって」
「え、でも、屋台の食べ物でしょう?」
「王宮の食べ物はよく冷ましてから、毒味の後に出されるので、市場に行くまで温かい食べ物を食べたことがなくって」
「そうだったの」
クレメンテの話を聞きながら歩くうちに、だんだんと行き交う人の姿も増えてくる。
荷車に山盛りに積んである野菜を牽く農家に、くるくると丸めた絨毯を運ぶ商人。道の隙間を縫うように速足で歩く人々。気を付けないとぶつかってしまうと、クレメンテは言う。
天幕が張られた通りまで来れば、人の込み合いは最高潮となっていた。
市場に入ってすぐの場所は野菜などが売られている。皆、大量に買って、肩や頭などに置いて担いでいた。
「リンゼイさん、大丈夫ですか」
「……なんとか」
ぎゅうぎゅうに押し潰される中で、なんとか自力で進んでいくリンゼイ。
途中、道を歩く者が購入した根菜の束が肩に当たりそうになったが、寸前でクレメンテが庇ってくれたので想定していた衝撃はこなかった。
「あ、ありがとう。大丈夫?」
「ええ。それよりも、リンゼイさんは?」
「私は平気」
クレメンテはこんな所に連れて来て申し訳ない気分になる。
だが、それを改めて言えばまたリンゼイに「面倒くさい!」と言われそうなので、喉まで出かかっていた言葉は飲みこんだ。
「リンゼイさん、お手を借りても?」
「え、なに?」
その場に立ち止っている時間はなかったので、クレメンテはリンゼイの手を握って道を進む。人と人の間を避けるように歩き、障害となる物が近づけば、回避するような道のりを歩く。
クレメンテのすぐ後ろを歩くリンゼイは、安全な道が確保されていた。
ようやく、一番混雑をしていた野菜売り場を通過することが出来た。
握っていた手はすぐに離す。
とりあえず、人の少ない所に立ち止って、クレメンテはリンゼイを振り返った。
頭巾は外れて、髪の毛は人混みにもまれて所々が解れていた。
「だ、大丈夫じゃ、ない、みたいですね」
「なにが?」
「リンゼイさん」
「私?」
リンゼイは外套の袖を捲って腕輪に傷が入っていないことを確認して、その後、腰の鞄の中の財布などがあるかを確認した。そして、問題はないと言う。
「……髪型が、少しだけ乱れています」
「ああ、そんなの、なんてことないことだから」
「……」
「あなたが先を歩いて誘導してくれたお蔭で楽が出来……」
そこまで言いかけて、また偉そうな口を聞いているのではないのかと気付くリンゼイ。
一度、咳払いをしてから言い直す。
周囲は騒がしいので、先ほどから互いに何度も聞き返していた。なので、きちんと聞き取れるように、リンゼイはクレメンテの袖を掴んで一度だけぐっと引く。
すると、何か言いたいことがあるのだと察したクレメンテが身を屈めた。
リンゼイは耳元でそっと囁く。
「守ってくれて、あ、ありがとう」
「!」
リンゼイの言葉を聞いた瞬間に、顔を真っ赤にさせるクレメンテ。リンゼイもらしくないことを言ったので照れている。
市場の通りの真ん中で二人してもじもじしている訳にもいかないので、先の進むことになった。
◇◇◇
市場の外れの方に薬草や香草などを売る商店がある。
客は薬屋や料理店など限られているので、人通りはまばらだ。
店主も買いそうな人間は分かっているからか、商品を覗き込んでも話し掛けてくることはない。
「あ、リンゼイさん、これ!」
クレメンテが指差したものは青の霊薬の材料であるシシリ草であった。
店主に確認をしてから薬草を手に取る。
まず分かったのは、森に自生している物よりも色が薄く、葉に艶がなかった。鼻を近づけても独特の匂いが薄いように思える。
「こんなにも、違いが」
「分かるでしょう?」
「ええ」
薬草の質についてひそひそと話していれば、店主が買わないのなら商品を置いて別の店を当たれと、急に機嫌を悪くする。
「あ、すみません、これ、買います」
「いいや、買わんでいい!!」
「ちょっと待って」
リンゼイはクレメンテが置こうとした手を握って制止する。
それから、天幕から垂れ下がっていた売り文句が書かれている旗を見るように目線で示した。
そこには、『隣国産、天然薬草』と記されていた。
森で採った薬草の方が、質が良いということは常識であった。だが、時代が進むにつれて、森の中に魔物が多く蔓延るようになったので、街の近くの農園で薬草の栽培が始まった。
だが、この店のように天然の薬草を取り扱っている店から買い取って、少々値の張る薬を売る薬屋も、ごく一部であるが存在していた。
そういう薬師の需要に合わせて、商人も天然物の薬草を用意するのだ。
だが、見た目からして、ここに売っている薬草は天然のものでない。
クレメンテは店主に質問をする。
「あの、すみません、これって天然のものでは……」
「なにを言っているんだ!! これは天然ものだ!!」
「嘘を言わないで。これは天然の薬草じゃないから」
「うるさい!!」
罵声の言葉と共に、リンゼイに薬草の束を投げつけたが、クレメンテがすぐに叩き落とす。
穏やかな顔から一変して店主を睨み付けた。
クレメンテの怒りの形相を見て、背筋がぞっとした店主は悲鳴をあげる。
本能的に危ない奴だと気付いたので、逃走図ろうとしたが、後を追いかけたクレメンテに容易く捕獲をされてしまった。
その辺にあった縄でぐるぐる巻きにされて、道端に転がされる。
虫の幼虫のように這って逃げようとしていたので、足の裏で強く踏みつけて押さえつけた。
薬草屋の店主は「ぐえっ!」という悲痛な声を上げていたが、足はどかさない。
「正直に、言ってくださいね」
「!」
足の裏に体重を掛けながら質問をする。
「……お店で売っていた天然薬草は」
「す、すみません、偽物です!!」
「……商品を偽って売ることは」
「す、すみません、犯罪です!!」
涙を流しながら、商人の男は言う。
田舎に病気の子供と盲目の妻を残していると。自分が居なくなったら、彼らは路頭に迷うことになると。
今回は許してくれ、もう二度としないから見逃してくれと懇願をした。
商人の話を聞いた後でも、クレメンテの厳しい眼差しが変わることはなかった。
「無理です」
「そ、そんな!!」
「本当に家族のことを思っていれば、悪行に手なんか染めないはず」
「そんな、本当なのに!!」
「……」
「血も涙もない男だ!!」
「ええ、そうですね」
結局、商人は近くを通りかかった兵士に引き渡された。
それから、素性を調べるように伝えて、本当に田舎の村に妻子が居るのであれば、屋敷まで連絡をするように伝える。
だが、話していた内容が嘘であることは見抜いていた。
騒ぎが収まってから、クレメンテは恐る恐るリンゼイを振り返る。
「お疲れ様」
「え!?」
「てっきり、見逃すかと思っていたから、意外だった」
「……」
クレメンテのお人好しのような外見は作られたもので、実際は疑い深いで性格である。
そうでなければ、戦場で生き抜くことは不可能であった。
「すみません、つい、癖で……」
容赦をすれば、自分の身が危うくなる。
だが、今回の場合は対応を間違ったと思っていた。わざわざあの場で偽物だと指摘する必要はない。後日、国の調査機関に報告するだけでよかったのだ。
今日、この場に来なければこんなことになど巻き込まれずに済んだのにと、暗い思考の渦の中に身を置いてしまう。
そんなクレメンテの背中をリンゼイは強めに叩いた。
「暗い!」
「あ、は、はい。どうにか、改善を……」
とは言ったものの、生まれ持った気質を直すことはなかなか難しい。
両手で自らの頬を打ってから、表情から変えようとしてみる。
その様子を見ていたリンゼイは、慌てて制止をした。
「それは直さなくてもいいから!」
「え?」
「いや、暗いって注意したけど、直せとか明るくなれとかそういうことじゃなくて」
「はい?」
「なんて言えばいいのか……。その、自分を追い詰めないでって、いう意味」
「!」
なにかあれば、二人で考えて解決しようと、リンゼイは言った。
アイテム図鑑
シシリ草(人工物)
天然ものだと偽って売られていたもの。
実際は街の外で育てられた薬草であった。
葉に水滴を付けて朝採りと偽って売る店もある。




