六話
リンゼイはドレスを着た記憶がなかった。
実家であるアイスコレッタ家は魔術師一家。呪文が織り込まれた外套が正装となっている。
セレディンティア王国の夜会で初めてドレスを着た女性を見たが、とても動きにくそうという印象しかなかった。
侍女にしっかりと化粧をされ、髪も綺麗に纏めて貰う。
「いかがでしょうか?」
全身を映し出す鏡を侍女が持って来て、深紅のドレスを纏った姿はどうかと聞いて来る。
「いやあ、解放感があるというか、なんというか」
「解放感?」
「ドレス、というか、スカートを履いたのが初めてで」
「!?」
「うちの国、女性もあまりスカート履かないから」
リンゼイは足がスースーして不思議、という感想を述べた。
侍女は念のためにドレス姿の時の足さばきをリンゼイに伝授しておいた。
「なかなか難しいね」
「すぐに慣れます」
侍女は非常に残念に思う。
派手な赤いドレスを纏ったリンゼイは、絶世の美女と言ってもいいだろう。
ドレスの色に合わせて化粧も濃くしてみたら、気位の高い王妃のようにも見える。
なのに、本人は自らの美貌に頓着していない。
「奥様、質問をしても?」
「どうぞ?」
「今まで男性と交際したことは?」
「ない」
「言い寄られたことは?」
「ない」
「異性を意識したことは?」
「あんまりない」
「……」
戦場でもほとんど竜と共に空の上に居たので、同じ部隊の者達と慣れ合う時間もなかったという。
「戦闘が始まれば、私は単独行動だったし」
戦闘が始まれば竜の吐息で広範囲の敵に攻撃を行い、リンゼイが残存している者達を魔術で倒す。
竜に騎乗したリンゼイの通った後には焼け野原となってなにも残らないと、敵軍だけでなく味方まで戦々恐々としていた。
「一つ、指摘をしても、よろしいでしょうか?」
「はい?」
「奥様は、大変美しいお方です」
「へえ、そうなの?」
「……」
やっぱり気が付いていなかったのかと、侍女はがっかりする。
肩を落としている場合ではないと、すぐに本題に移った。
「それで、これから街で暮らすに当たって、人と人の距離も近くなるでしょう」
「それが?」
「美しさは甘い蜜のように人を惹きつけます。良い人も、悪い人も。美貌を持つ女性は存在自体が物言う花のようで、また存在自体が罪とも言います。なので、どうかお気をつけて」
「あ、ありがとう」
リンゼイの国では容姿の美しさなど誰も気にしていない。
持て囃されるのはたくさんの魔力と知識を持つ者なのだ。
「なるほど。そういう事情が」
主人の奥方となった女性が自身の見た目や服装が適当だったわけを理解する。
「なんだか、色々面倒を見て頂いて申し訳ないといいますか」
「これがお仕事ですから」
「そっか。そうだよね。本当にありがとう。え~っと、名前、なんだっけ?」
リンゼイは中年の侍女に名前を教えてくれと訊ねる。
「私は、エリージュ・エレナ・エリスと申します」
「かわいい名前」
「……」
「また、気になることがあったら教えてくれる?」
「それはもちろんです」
「ありがとう」
淑女がするような膝を折り曲げる挨拶をリンゼイは真似てしてみた。
エリージュも同じように挨拶を返す。
「ん?」
「?」
リンゼイは引っ掛かるところがあったからか、エリージュの顔を覗き込む。
「いかがなさいましたか?」
「いや、なんか過去に、あなたに会ったことがあるような気がして」
「気のせいでしょう。私のような顔の中年女性はたくさん居ります」
「そっか」
そろそろ朝食の時間だからとエリージュが言うので、リンゼイは食堂に移動することにした。
食堂に入った途端に、執事よりクレメンテが既に出掛けている旨が報告された。
「旦那様は食事取らないでお出かけになっていたようでして、お恥ずかしいことながら、わたくし共も先ほど気がつきました。ご連絡が遅れまして申し訳ありません」
「大丈夫。出かけることは聞いていたから」
そんなことを話していると、背後から殺気を感じて振り返る。
「!?」
怒りの形相で居たのは侍女・エリージュである。
「ど、どうした!?」
「!」
リンゼイに声をかけられてハッとなるエリージュ。
「あ、その、いえ、折角奥様が綺麗なドレスをお召しになっているのに、旦那様はお姿を見ないでお出かけになっていたので、勿体ないと」
「いや、わざわざ出かける前に見るようなものでもないでしょう」
「いいえ、そんなことはありません!!」
力強く主張するので、リンゼイも黙って頷くことしか出来なかった。
◇◇◇
朝食後は霊薬作りに励もうと、地下の実験室へと移動した。
エリージュより手渡されたフリルがたっぷり飾り付けられたのエプロンを身に纏う。頭には三角巾を巻いて髪型が崩れないようにした。
まずは霊薬を入れる瓶の殺菌から始める。
洗剤でよく洗い、水ですすぐ。
瓶を煮込む鍋の底には布巾を入れた。緩衝材を置いていないと加熱によって瓶が割れる可能性があるからだ。
鍋の中に井戸から汲んで来た水を鍋の中に入れ、小瓶を一つずつ沈めて行って煮沸消毒を行う。
白紅の花の根も煮込ませ、シシリ草をすり潰し、精製水も作る。
薬の濃度を薄くするのも忘れない。
少しの材料で二十五本の緑の霊薬作りに成功した。
途中に紅茶を持って来てくれたエリージュに完成品を呑んで貰う。
「わたしに、ですか?」
「そう」
「私には、勿体ない品です」
「でも、なんだか顔が疲れているし、効果があるか知りたいから飲んでみて」
「分かりました。ありがとうございます」
エリージュは霊薬の蓋を外し、中身を少しだけ口に含む。
色からは想像も出来ないほどの口当たりの良さがあったからか、残りは一気に飲み干した。
霊薬を飲んだ瞬間に効果は現れる。
体の疲労感は無くなり、長年苦しんでいた肩のコリまで解消されていることに気が付いた。
「どう?」
「効きました。素晴らしい、品です」
「でしょう?」
あまりの劇的な変化に、エリージュの声は震えていた。
「これは、奥様の祖国では当たり前のように売っている品なのでしょうか?」
「売っているけれど、あまり売れていないかな」
「どうしてでしょう?」
「ほとんどの魔術が回復術を使えるから」
「!」
「回復術は幼年部で最初に覚える初歩的な魔術なんだよね」
霊薬作りは面倒だとほとんどの魔術師が思っている。
国で製造している商品のほとんどは、本業の片手間に作られたものであった。
たまに、回復魔術が苦手な魔術師が購入していく。
「他国に売って莫大な利益を得ようとは思わなかったのでしょうか?」
「う~ん。学費を稼いでいる間はみんな必死になって働くけど、霊薬を作って儲けるということはしないかな」
魔術師の教育には莫大な金が掛かる。
その為のお金は魔術学校の卒業後に自分で稼がなければならない。
リンゼイは飛び級を繰り返して九歳という若さで卒業をした。
「それで、そのあと学費を稼ぐために世界を竜に乗って渡り、契約をしてくれる国を探したんだけどね」
多くの魔術師は魔術学校の卒業後に国と契約をする。実力もついてお金も稼げるという利点があるからだ。
国家魔術師となれば、戦場で戦ったり、依頼された研究を行ったりする。
大抵十年から十五年程働けば、学費を返せるという仕組みであった。
魔術学校始まって以来の天才と呼ばれたリンゼイであったが、その評価も国内だけで、一歩外に出ればただの少女としてしか扱われなかった。
「普通は十八歳で卒業するからね。メレン――竜でも見せれば目の色を変えたかもしれないけれど、契約を結んだ後にしか見せてはいけない決まりになっていたから」
様々な国と契約を結ぼうとしたが、首を縦に振ったのはセレディンティア王国の暴君だけだった。
「では、二十三年という契約を結んだと言うことは、前王は多くのお金は出さなかったのですね」
「まあ、それはね」
だが、一年と国を渡り歩いてやっと契約を交わしてくれる所を発見したので、すぐに飛びついてしまったとリンゼイは話した。
「途中で、逃げようとか、思わなかったのですか?」
「残念ながら、逃げられないの」
「?」
リンゼイはドレスの裾を軽く掴み、足首に着けてある装飾品をエリージュに見せた。
「これ、最初に決められた期間に、自らの意思で国から出て行くことを禁じる魔道具なんだけど」
拘束魔術のかかった足の飾りは、学校に入学した時から強制的に装着される。
遥か昔、魔術師になるための費用を払わずに姿を消した者が多かったので、国が指針として決めていたことだった。
「学費を払い終えたら契約も解除されるのでは?」
「いや~、そういうわけにもいかないようで」
契約金以外にも、戦場などで活躍をした魔術師には報奨金が贈られた。
なので、早い段階で学費の返済をする者も中には存在していた。
昔は学費を払ってすぐに、契約をした国から解放される仕組みであった。だが、自由になった魔術師たちは鬱憤がたまっていたからか大きな問題を各地で起こしたのだ。
当然ながら、責任は国に振ってかかる。
一年のほとんどを謝罪行脚に充てていた外交官は、即座に拘束具の改良を命じた。
「それで、魔術師たちは借金の返済が終わっても外に出ることは出来ないというわけでして」
「左様でございましたか」
前の王は戦場などで活躍をしても褒美などは一切出なかった。
代わりに現在の国王は働いた分だけ契約金とは別の報酬を払ってくれた。
リンゼイは十年間遊んで暮らせるほどのお金はあるが、この先研究したいものがあればその為にお金は取っておきたいと考える。
遊び方なんかも分からないので、霊薬作りに精を出そうと決めていた。
アイテム図鑑
深紅のドレス
リンゼイの美しさがかなり上がった!