三十五話
兄との話し合いが終わってから、そのまま真っ直ぐに元部下の家に向かった。
画家をしているというイルは下町の外れにある、破屋にしか見えない小屋に住んでいた。
「これは……」
「酷いものでしょう?」
「……」
国からの慰労金でそれなりの生活をしながら暮らしているとクレメンテは思い込んでいた。だが、実際は人の目を避けるように、質素な生活を行っていたのだ。
エリージュが視線でクレメンテに扉を叩くようにと指示を送る。
躊躇う気持ちを抑えつつ、扉へ一歩、一歩と近づいて行った。
扉の前に辿り着いて、手を挙げた途端に内開きの扉が開かれる。
「えっ!?」
「うわ!!」
同時に驚く二人の青年。
エリージュはいい大人がなにをしているのやらと呆れ返っていた。
「か、閣下!?」
「……イル、なのか!?」
出てきた男を前に、クレメンテは驚きの声をあげる。
イルはボサボサの頭に無精髭を生やし、薄汚れた前掛けを身に着けた恰好で居た。
別人のような姿にクレメンテは言葉を失う。
イルは想定外の訪問者を前に、わたわたと慌てていた。
家の中を勧めようにも、お茶や茶菓子さえもなければ、室内も絵の具の匂いが籠っていて快適に過ごせる場所でもない。そして、自らの身なりの悪さに気付いて赤面をしていた。
見つめ合ったまま、互いに呆然とする二人。
「……見苦しい」
エリージュの発言に返す言葉もないクレメンテとイルであった。
◇◇◇
結局、数日後にイルがクレメンテの屋敷を訪問することになった。
後日現れたイルは、綺麗な身なりであった。かつて、女性達を虜にしていたような麗しい容姿を取り戻している。
そんな元部下の顔を見ながら、いっそのこと、髭でも生やしておけと命じればいいのかと思うクレメンテであった。
客間に居るのはクレメンテとイル、エリージュ、シグナルの四人。
リンゼイと妖精達は地下で薬の調合を行っている。
「あ、あの、それで、お話とは?」
「……」
腕を組んだ状態で睨みつけるクレメンテ。イルは委縮しきった様子でいる。
いつまで経っても説明しようとしないので、エリージュが変わりに口を開く。
「あなたに、ここで働いて貰おうと思っているのよ」
「わたくしが、ですか!?」
「そうなの。クレメンテ、私達は『旦那様』と呼んでいるのだけど。事情はご存じ?」
「え、ええ」
エリージュやシグナルの事情をイルも知っていた。
暴君と呼ばれていた前王を、影で唆していた悪妃。
その忌まわしき王の、右腕とも言われた血も涙もない宰相。
世間的には処刑をされて当然と言われていた関係者も、実際には無関係であったり、家族を人質にされて無理矢理従っていたりなど、明かされていない事情があった。
そんな悲惨な事情を持つ者が、この屋敷には集められている。
高い塀に囲まれた屋敷には、監視と言う名の警備体制が敷かれていた。
それは、中に居る者達を守る存在でもあった。
クレメンテが無実のまま囚われの身となっている者達を連れて、街で暮らすという話を聞いた時に、イルも連れて行って貰えるものだと思い込んでいた。
しかしながら、そんな彼にクレメンテは「未来ある若者は連れていけない」と、残酷な言葉を浴びせたのだ。
自分も連れて行ってくれと、しつこく縋り付くということはしなかった。
なぜならば、主人であるクレメンテの言葉は絶対だからだ。
その後、イルは周囲の反対を振り払って城を出て行く。
ぼったくり価格で買ったボロ屋で一人、戦争の恐ろしさを伝える為の絵を描くことにした。
なにもかもを捨てた状態で、一人暮らしを始めてから数日後。
エリージュが直々にイルの元へ訪ねてきた時は、その場にひっくり返るほど驚いていた。今はただの一般市民だという彼女は一緒に住まないかと誘ってきたが、クレメンテの意に反する訳にもいかなかったので、申し訳ないと思いつつもお断りをした。
それから更に数日後、王太子が派遣したという使者もやって来る。
双子大蛇が出現したので、討伐の手伝いをして欲しいと。
一度は断ったものの、どうしてもと地面に額を付けてお願いをして来るので、協力することにした。
そんな中で、想定外のことが起きる。
クレメンテも双子大蛇の討伐に参加をするという話を使者から聞くことになった。
しかも、既に王宮まで来ていると言う。
喜んで私室まで駆けて行き、扉を叩いてから部屋の中へと入る。
そこには、かつての主人だった男が戦時中と同じように鎧を着込んでいるところであった。
イルは大喜びで双子大蛇の討伐に向かうことになる。
それから、数日。
クレメンテから地面に転がされたり、知らない人だと言われたりもしたが、心躍るような日々だったと振り返る。
そして、妻となったリンゼイ・アイスコレッタはたいそう美しい人物であったが、炎に包まれた森に迷いなく飛んでいくという、義侠心溢れる女性でもあった。
二人に仕えることが出来たらどんなに幸せなことかと、イルは夢見るようになる。
そんな彼にも奇跡が起きた。
今、こうして屋敷に招かれ、一緒に働かないかと誘われたのだ。
クレメンテの不機嫌顔が気になる所であったが、エリージュに注意をされて、無表情に戻っていた。
だが、以前よりも随分と優しい顔つきになっている。これも、妻・リンゼイのお陰なのだろうと、イルは思っていた。
「あ、あの、奥様は、いろいろとみなさんの事情についてご存じなのでしょうか?」
「さあ、どうかしらね」
エリージュとリンゼイは一度、王宮内で会っていた。
謁見の間で魔術師の契約を結んだ時に、世にも珍しい魔術師を一目見ようと、公の場に姿を現していたのだ。
当時の彼女はまだ、十三歳と少女だったと言う。
「一度、見覚えがあると言われたけれど、適当に誤魔化しておいたわ」
「さ、左様でございましたか」
シグナルはエリージュ以上に会う頻度は高かったが、現在は眼鏡を掛けているお陰で怪しまれずにいると話す。
現状として、リンゼイは深く追及はぜずに、その後も触れることはないという。
「なんというか、肝の据わった女性で」
「本当に気付いていないのか、気付かない振りをしているのか、ちょっと分からないのよね、あの子」
ただ、魔術以外のところでは案外ぼけっとしているので、本当に気付いていないのかもしれないと、エリージュは呟いていた。
「それで、どうするの?」
エリージュはクレメンテに聞く。
人にものを頼む時にすることは、一つしかない。
「イル」
「は、はい!!」
「どうか、これから、私を助けて下さい」
クレメンテは頭を下げてお願いをした。
イルの眦には熱いものが溢れ、頬を伝って流れて行く。
そして、立ち上がると、流れるような動作で両膝を折り、額を地面につけた。
「閣下、いえ、旦那様、これから、よろしくお願いします!!」
「……」
「……」
「……」
クレメンテの、完璧な下僕が誕生した瞬間でもあった。
◇◇◇
イルは『メディチナ』の専属絵師となった。
彼の特技は記憶を頼りに精緻な絵の描写が出来ること。これから、様々な商品のパッケージを手掛けることになる。
「イル」
「なんでしょうか、旦那様」
「……」
「なんでもお申しつけ下さい」
地面に片膝をつき、きらきらとした目でイルはクレメンテを見上げた。
「……、の、……を」
「はい?」
「リンゼイさんの、……」
「申し訳ありません、もう一度」
顔がどんどんと熱くなっていたのをクレメンテは感じていた。
そして、言うのが恥ずかしいのなら、紙に書いて渡せばいいと思いつく。
早速さらさらと要望を書いて、イルに手渡した。
「承知いたしました!!」
クレメンテの願いは『リンゼイの姿絵が欲しい』というささやかなものであった。
数日後、私室に大きな絵が持ち運ばれてくる。
クレメンテが考えていたのは机に飾られるような小さな絵であったが、大きさまで指定していなかったと、今になって気付く。
「旦那様、三日間寝ずに描きました」
「……いや、そこまで頑張らなくても」
そんな風に呆れていたが、布から絵が出てきた途端に、息を呑むことになった。
画布に描かれていたのは、青空の中で黒竜に跨るリンゼイの姿であった。
それは、彼女が一番輝いている瞬間でもある。
「あの、旦那様?」
「!」
「お気に召さないのであれば、もう一枚」
「あ、ありがとうござい、ます」
「え?」
「とても、嬉しい、です」
クレメンテはイルに素晴らしい絵だと言ってから、お礼の言葉と共に頭を下げた。
「あ、いや、旦那様、そんなこと!!」
主人より頭を高い位置にする訳にはいかないと思ったイルは、地面に額をつける体勢を取った。
頭を下げ続けるクレメンテと、平服するイル。
部屋の中は謎の光景が広がっていた。
アイテム図鑑
リンゼイの肖像
イルの手によって描かれた美しい女性と美しい竜の肖像。
クレメンテの宝物。




