三十四話
クレメンテは朝から憂鬱な気持ちで身支度をしていた。
今日はイルを迎えに行くと決めていた日。その他にも、もう一件用事がある。こちらは自身が希望を出して入れていた予定であった。
人と係りあいになるのが億劫なので普段の二倍、気落ちしている。そんなクレメンテの、嫌なことは一日で終わらせようという作戦である。
イルについては本人の了承は取っていない。彼はクレメンテが「来い」と言えばどこまでもついて来るのだ。その辺は問題ないだろうと考えている。
リンゼイの顔を見て元気を取り戻そうと思ったのに、朝から実験室で薬作りを始めてしまったらしい。何故かエリージュは居るが、毎朝必ず食卓の片隅に居るリリットの姿はなかった。
「あの」
「なにか?」
「リンゼイさんに付いていなくてもいいのですか?」
「ええ。今日は旦那様の大事な用事がございますからね。しかも二件も」
「……」
エリージュも同行すると言ってきたが、クレメンテに拒否権はなかった。
一件目の用事は兄・メジュレクトに会って霊薬の販売についての相談をすること。
二件目は引きこもり画家となっているイルを屋敷に連れて来るというもの。
兄もエリージュが居れば大人しくしているであろうと思っていた。
朝食後はすぐに出発となった。
まっすぐ玄関に向かおうとすれば、背後に付き添っていたエリージュから声が掛かる。
「旦那様、奥様に一言挨拶をしてからお出かけになっては?」
「いえ、邪魔したら悪いので」
「そうやって遠慮ばかりしていては、奥様との仲は進展しませんよ」
「!」
このままずっと『親戚のお兄さん』で居続けるつもりはなかったが、相手に隙もなにもないので、二人の関係は平行線上を辿るばかりであった。
エリージュの言う通り、今までとは違う方法で接しなければならない。
クレメンテは勇気を出して地下の実験室へと向かうことにした。
石造りの薄暗い階段を降りて行く。
手には蝋燭の乗った燭台を持っていた。壁にも灯りはあったが、それでも心許ないものであった。
太陽の光や蝋燭の灯りは、生成途中の霊薬を劣化させる。故に、必要最低限となっていた。
実験室ではリンゼイと手伝いをしている侍女達や妖精が忙しなく動き回っていた。
三つある竈は最大活用をしている。どれも大きな鍋が沸騰している状態であった。中の温度や湿度もなかなかのものである。皆、額の汗を拭いながら作業をしていた。
声を掛けるタイミングを探っていれば、後方にいたエリージュが「奥様!」とリンゼイを呼び寄せた。
出入り口に立っていたクレメンテの元に、リンゼイがやって来る。
「え、なに? どうしたの?」
忙しいところにすみません、という言葉を呑みこんで、本日の予定である、王宮に行って霊薬の相談をすることと、イルを屋敷に連れて来ることについて話した。
「イル・ヴァンテって、この前の双子大蛇の討伐に参加していた人?」
「ええ」
元部下であり、現在画家をしていて『美人軟膏』や店の商標画などを手掛けた人物であることも告げる。
「あら、そうだったの」
「はい」
以前、クレメンテはイルのことを知らない人だと言ったが、その点についてリンゼイは追及しなかった。
聞かれたら嫉妬という、自らの醜い感情について説明をしなければならない事態となるので、心底良かったと安堵する。
それから、兄に霊薬販売についての話をしに行くと言えば、同情をするような表情で優しく肩を叩いてくれた。
「それでは、しばらく家を空けます」
「いってらっしゃい。いろいろと気を付けて」
「はい、ありがとうございます。いってきます」
仕事中に割り込むように来たので嫌がられるかと思いきや、全くそんなことはなかった。
リンゼイは手を振って、淡く微笑みながらクレメンテを見送ってくれる。
今まで遠慮をしていた自分が馬鹿みたいだったと、反省することになった。
玄関を出て、馬車に乗り込み、向かい合った席に座ったエリージュが言う。
「ねえ、良かったでしょう?」
「はい」
今回もエリージュに感謝をすることになる。
◇◇◇
もう二度と近寄ることもないだろうと思っていた王宮内にある兄の私室にクレメンテは来ていた。お供としてやって来たエリージュは、彼が座る長椅子のすぐ後ろに佇んでいた。
それからしばらく経った後にメジュレクトがやって来た。定例会議が長引いてしまった為に遅くなったと言う。
「まさか、お祖母様までいらっしゃっていたとは!」
メジュレクトは椅子を勧めたが、自分は部外者だからと言って申し出を断っている。
「ふむ。なにやら、お祖母様に見下ろされながら話をするというのも、なかなか落ちつかない」
クレメンテはエリージュに背を向けて座っていて良かったと、心から思う。そして、認識の訂正もした。
「……その、彼女は、ただのエリージュ・エレナ・エリスという、どこにでも居る侍女の一人です」
「おお、そうであったな」
暴君と呼ばれていた前王の妃であったエリージュは、夫であった男と同罪とみなし処刑される予定であった。
エリージュ自身もそうなって当たり前だと思っていたが、新たな国王となったアイザール、クレメンテの父は、気の毒な母親を生かすことに決めていた。
幸いなことに長年、夫の意に反した態度を取り続けていたお陰で、表舞台にはほとんど上がらず、前王妃の顔を知る者は多くない。
これからは穏やかに暮らすものだと、近しい者達の誰もが思っていたが、彼女は予想外の行動に出る。
処刑は行わないと新たな王に告げられた後に、罪人を収容する塔に自ら足を運んで引き籠っていたのだ。七年間も心を閉ざし、戦争で失われていった命に対して祈りを捧げる日々を過ごしていた。
これからもそのように余世を送るものだと考えている折に、今から一年以上も前にクレメンテが来て、一緒に暮らそうと誘いに来たので塔を下りたという裏事情があった。
「私が何度塔から出て来るようにと頭を下げても出て来なかったのに、クレメンテが行ったらすぐに下りてきたから、一体どういう風に口説いたのかと気になっていてね」
「それは――」
クレメンテが言い淀んでいると、エリージュが口を挟んだ。
「だって、面白そうなことが起こりそうだったから」
クレメンテが最初にやって来た日、エリージュはすぐに申し出を断った。
外に出ても、したいこともなければ、興味を引くような出来事もない。ここでの生活となんら変わらない日々が続くだろうと考えていた。
そんなエリージュの気を引かせる為に、クレメンテはあることを告白する。
七年間、ずっと気になっている女性が居る、どうすればいいか分からない、と。
エリージュは孫の初恋に全力で食いついた、という訳である。
「いろいろと、大変だったのよ。この子の見た目を改造したり、暗い性格を矯正したり」
「……」
「この通り、性格は直っていないけれど」
エリージュが毎日楽しく過ごしていることが、溌剌としている顔付きを見ただけで分かる。一方のクレメンテは、辛かった日々を思い出して表情を暗くしていた。
「まあ、人生いろいろだな」
「そうね」
「はい、まったくで」
そして、話は本題に移る。
「ふむ。霊薬、とな」
「はい」
双子大蛇の被害を受けた兵士についての報告書は、リンゼイがなんとかしたという、不透明な記述だけであった。だが、実際は彼女の作った霊薬の力で回復したという話を、クレメンテは兄に話した。
「すみません。霊薬の存在は広げるべきではないと思い、ぼかして書いてしまいました」
「まあ、アイスコレッタのお陰という報告に間違いはないから気にするな」
「……はい」
それよりも、霊薬のような奇跡の薬があるということを隠匿したことは正解だとメジュレクトは言う。
「実際に絶大な効果を目の当たりにしてから、危機感を覚えまして」
「なるほど。魔術を使って作る、圧倒的な薬効のある薬とな」
「物質を変換させたりするらしいので、作り方を知っていても、普通の薬師には作れません」
「そうか。ますます扱いが難しい品だな」
「そうですね」
当然ながら、霊薬は一般の市場に出すことはしないという。
妥協案として、軍での利用や、王家の秘薬として買い取る案を上げる。
「ただ、この取引を成立させるには、一つだけ条件がある」
「それは?」
「霊薬の販売を一代限りとせずに、この先も継続して行うということだ」
「!」
現状、霊薬作りはリンゼイしか出来ない。
たった一人、欠けてしまうだけで、『メディチナ』自体が簡単に傾くことになる。
リンゼイがこの国に滞在するのは十年間しか残っていない。霊薬作りも、それなりの財を築いている彼女からしたら暇つぶしでしかないのだ。
そのような事情があることを、クレメンテは隠さずに伝えた。
「左様であったか」
「はい」
交渉は決裂してしまった。
家に帰って、リンゼイに何と説明をしようかと、クレメンテは考える。
「なにを諦めたような顔をしておる?」
「え?」
「魔術師の技術は親から子へ、引き継がれるのであろう?」
「ええ、それがどうか――!!」
兄の言わんとしていたことを、クレメンテは察した。
クレメンテとリンゼイの間に子供が産まれたら、『メディチナ』の事業も次代に渡って継続して行うことが出来る。
「お主たち次第、ということだな」
「……」
にっこりと笑みを浮かべる兄を前に、そのようなことは一生無理ではないかと思うクレメンテであった。
アイテム図鑑
孫の初恋
それは、凍った心を溶かす温かなものであった。




