三十話
クレメンテは大広間に向かった時と同じような重たい足取りで廊下を進む。
「ねえ、大丈夫?」
「……はい」
リンゼイはクレメンテの顔を覗き込む。額に大粒の汗を掻き、顔面も蒼白である。
無理もなかった。
兄の残念な実態を知ってしまったのだ。ショックを受けてしまうのも当然である。
「もう帰る?」
「いえ、平気です」
「そう?」
「はい」
商売を行う部屋に戻れば、売り場の設営を終えた商人達が客を待ち構えていた。
クレメンテとリンゼイは客に勘違いをされたが、自分達も商人であることを告げると、驚いた顔をされてしまった。
そそくさと『メディチナ』の為に用意されたスペースに行けば、売り場の設営が完了していた。
準備をしてくれた使用人にお礼を言えば、恭しく礼をして壁の方に下がっていく。
円卓の上には『風呂爆弾』と数個だけ残っていた『美人軟膏』、『異国のど飴』を並べてある。
しばらくすれば、ぽつぽつと客足が増えていった。
周囲の商人達は、目の前を通る貴族たちに控え目なアピールをしている。
「私達もなにか言わなきゃいけないのかな?」
「そうですね。あ、リンゼイさん」
「なに?」
クレメンテは荷物の中にあった扇をリンゼイに手渡した。
「あ、すっかり忘れてた」
リンゼイが引き攣った笑顔を隠す扇は、なくてならない道具の一つとなっていた。
さっそく広げて口許を隠してから、ホッと安堵の息を吐く。
一方のクレメンテはリンゼイの顔をジロジロと見られるのが嫌だったので渡しただけであった。
妙な具合に利害が一致する夫婦である。
一組目の男女が『メディチナ』の前を通りかかった。
「いらっしゃいませ」とクレメンテが声を掛ければ、まだ若いように見える令嬢が机の上の商品に視線を落とした。
「あら?」
令嬢の目に留まったのは『美人軟膏』。
これは本物かと、クレメンテに訊ねる。
「ええ、こちらは『メディチナ』特製の『美人軟膏』でございます」
「まあ、なんてこと!」
一体それがどうしたのかと訊ねる連れの男性であったが、令嬢は興奮したように言う。
最近お茶会などで噂になっている『メディチナ』の『美人軟膏』は入手困難な品であった。街で粗悪な軟膏を買って、手が荒れたという話も多い。
リンゼイは試供品として使う為に開封してある『美人軟膏』を取り出した。
クレメンテが試してみるかどうか訊ねる。
「よろしいのでしょうか?」
「ええ、効果を実感してからご購入して下さい」
リンゼイは扇を畳んで置き、手袋を預かる為に手を差し出す。
令嬢はすぐにパッケージの女性であることに気が付いた。
苦笑いをしつつ、手袋を受け取る。
「とってもいい香り!」
手の甲に薄く塗れば、令嬢はすぐさま気に入ったと言って購入を決める。
「そちらに積んであるものは?」
「入浴時に使う、精油よりも香り高い品でございます」
リンゼイは風呂爆弾を手にとって令嬢の鼻先に近付けた。
「この香りが浴槽いっぱいに広がります」
「へえ、面白いわね」
一つ購入するというので、商品が入った包みを用意する。使い方も軽く説明をした。
もう片方の疲労回復効果のある薬草入りのものは家族のお土産にどうかと勧めた。
「だったら、そちらも戴くわ」
「ありがとうございます!」
幸先の良いスタートに、クレメンテもリンゼイも、安心したような笑みを浮かべていた。その後、あっという間に『美人軟膏』は完売となった。
それから『風呂爆弾』も皿の上に商品を置くという展示方法が変わっていたからか、人の目を惹きつけることに成功をしていた。
『美人軟膏』の知名度もあったからか、一時間ほどで売り切れてしまった。
その後も続々と商品についての問い合わせをする人々が押し寄せるので、頃合いを見て撤退をした。
リンゼイとクレメンテは馬車に乗った途端に同時に溜め息を吐く。
「お疲れ様」
「リンゼイさんも、お疲れ様でした」
「私は何もしていないって」
「いえいえ、そんなことないですよ」
「じゃあ、お互いに頑張りましたってことで」
「そうですね」
初めての商売や夜会参加など、いろいろあって二人の連帯感が強まることになった。
◇◇◇
翌日からは『メディチナ』の経営方針を考える会が開かれた。
クレメンテとリンゼイ、シグナルとエリージュ、リリットの五人で話し合う。
材料不足に人員不足、問題は山積みであった。
エリージュは近いうちに『風呂爆弾』の問い合わせが殺到するだろうと予想していた。
そこまでたくさんの量は販売していないから大丈夫なのではとリンゼイは言うが、噂が広まるのはあっという間で、更に、希少性が高いとなればそれだけ興味を引いてしまうものだと、心理学に詳しいシグナルは言う。
「とりあえず、『メディチナ』はしばらくお休みしましょう。在庫を増やす方が大切です」
「ですね」
霊薬については兄メジュレクトに相談することに決めたと、クレメンテが言う。シグナルもエリージュも大丈夫なのかと訊ねたが、家族に歩み寄る努力をすると、はっきり告げた。
『クレメンテのお兄さんってすごい美形なんでしょう? どんなひとなの?』
「……」
『ん?』
クレメンテは急に表情を曇らせてから俯いてしまった。
次にシグナルを見れば、さっと視線を窓の外に移して、遠くを見るように目を細めていた。
最後にエリージュを見たら、ぎりっと拳を握ってから凶相を浮かべたので、リリットは『ヒィ!』と軽い悲鳴をあげる。
『リ、リンゼイ、どういうことなの~?』
「第一王子のこと? 綺麗な顔をしているけれど、変わり者ね」
『そ、そうなんだ~』
以降、メジュレクトのことは話題に上げるまいと心の中で誓ったリリットであった。
最後の課題は新商品について。
薬屋なので、なにか霊薬のような魔術薬を売りたいというのがリンゼイの意見であった。
「このままじゃ薬種商じゃなくて雑貨屋になるし」
「確かにそうですね」
だが、霊薬のような効力の高い薬を販売してしまえば、いろいろな問題が生じる。
その点を配慮した上で、なにか良い着想はないかと訊ねた。
無言の時間が過ぎていく。
数分後。
意外にも、始めに発言をしたのはクレメンテであった。
「では、虫刺されの薬とか、いかがでしょう?」
今から暖かくなれば、人の血を吸う小型の羽根虫が湧いて出て来る。
同時に貴族の邸宅などでは庭園の花が美しく咲き乱れる季節がやってくるので、虫に刺される機会も多くなるのだ。
よく思いついたとエリージュが褒めれば、戦場で何か所も虫に刺されて眠れない日を過ごした話をする。
リンゼイもいいかもしれないと、クレメンテの虫対策の薬に更なる着想を出した。
「虫刺され薬と、虫よけ薬と二種類作ればいいかも」
『おお、さすがリンゼイ!』
こうして新商品についての話は上手い具合にまとまった。
リンゼイはさっそく材料に着いて調べると、席を外した。
なんとなく不穏な雰囲気を察したリリットも後に続く。
「一つお願いがあるの」
「はい?」
リンゼイが居なくなったので、エリージュは砕けた態度でクレメンテに話をする。
なにかと聞けば、彼にとってとんでもない提案をしてくれた。
「そろそろ、イルを屋敷に呼んでくれない?」
「!」
途端に優男風の仮面が剥がれて、心底嫌そうな顔をするクレメンテ。
即座に「顔!」と注意される。
「何故?」
「あの子、引きこもって、毎日暗い戦争の絵を描いているのよ」
「……」
「そのうち、駄目になってしまうのではと」
詳しい話を聞けば、エリージュは三日に一度、イルの元へ訪問をしていた。
なんとか社会復帰させようとしていたが、戦争の恐ろしさを伝えることに余生を費やすと言って聞かないという。
「もしや、『美人軟膏』のリンゼイさんの絵を描いたのは?」
「彼ね」
「!」
屋敷の誰かの絵だと思い込んでいたものは、イルの手によって描かれたものであった。
天は二物も三物も与えるものだと、シグナルは感心したように呟く。
「彼の考えを捻じ曲げるのはあなたしかいないということ」
「……」
「かわいそうだと思わない?」
「別に、彼がその道を選んだならば」
「最初はあなたについて行くって、聞かなかったのに?」
「……」
出来れば、見目の良い若い男は屋敷に置きたくない。
だが、彼はクレメンテの兄同様に変わり者であった。
思い悩む青年に、エリージュは追い討ちをかける。
「いいわねえ、自分だけ幸せになっちゃって」
リンゼイは男を顔で判断しない。そう、自らに言い聞かせてから、イルを迎えに行く旨を、エリージュに言った。
アイテム図鑑
リンゼイの肖像
残念弓士イルによって描かれた美人画。
記憶を頼りに描かれたもの。




