三話
クレメンテの協力があったからか、研究室の整理整頓はあっさりと終わった。
「あなたの私物は?」
「もう新居に移してあります」
「そうなの。使用人は?」
「数名居ますよ」
「お屋敷?」
「いえいえ」
新たな住み家まで馬車で帰る。
クレメンテが買った家は、お屋敷と言ってもいいほどの大きな物件であった。
建物はそこまでの規模ではないが、庭は広い。
「まあ、ご立派なこと」
「一生に一度の大きな買い物ですから」
「そう」
「でも、一人での帰宅にならなくて良かったです」
「……」
結婚に納得をしたわけではなかったが、嬉しそうにしているクレメンテに水を差すのも悪いなと思ったので、そのままにしておく。
屋敷に居る使用人は十人程。
傍付きは必要かと聞かれたが、リンゼイは不要だと言って首を横に振る。
「出来れば、地下でもあったら調合部屋に頂きたいんだけど」
「お好きな部屋をどうぞ」
調合中は太陽の光は厳禁となっている。
出来ればいくつか部屋が欲しかったが、居候の身なので贅沢は言えない。
屋敷の中へ入れば使用人が出迎える。
「旦那様、奥様、お帰りなさいませ」
「ただいま」
「……どうも」
奥様と呼ばれることに気まずい思いを引き摺りながら、部屋の案内を受け、風呂に入り、夕食を戴く。
食事は祖国の料理も並び、懐かしかったし、嬉しくもなった。
わざわざ調べて手配をしてくれたのだろうと、クレメンテに心の中で礼を言う。
今日一日で様々なことになったと思う。
魔術師の契約解除に、職場を去るようにお願いされ、挙句、結婚までしてしまった。
――疲れた。
私生活の中で他人と共に行動をしたのはいつだったかと記憶を探ったが、十年は無かったことだと気付く。
慣れないことの連続で体は疲弊していた。
案内された寝室で、布団に倒れこめばすぐに眠ってしまう。
長い一日の終わりだった。
◇◇◇
朝、目が覚めるとリンゼイは身支度を行う。
荷物を詰め込んできた道具箱の中から魔術師の黒い外套とくたくたのシャツ、皺だらけのズボンを取り出した。
ちょっと服の状態が酷いなとは自分でも思っていたが、長い間衣装入れの中で適当に畳んだ後に圧縮状態で保管していたので、仕方がないと諦める。
髪の毛は適当にその辺にあった櫛で梳いて一つに結ぶだけ。
化粧はどうしようかと思ったが、面倒なので顔を洗って終わった。
身支度が終わった瞬間に使用人がリンゼイの私室に入って来た。
四十代後半位の女性で、きっちりと型にはまった会釈をしてくる。
「奥様、準備のお手伝いを」
「あ、終わった、今」
「……」
黒尽くめの恰好、ぼさぼさの髪、化粧をしていない素顔を見て、眉を顰めて信じられないようなものを前にしたような表情を浮かべていた。
「隣の部屋が衣装部屋となっております。色や形などお好みを言っていただければ見繕ってきますが?」
「あ、や~、私、魔術師だからこれが正装だし」
「……左様でございましたか」
これだけ納得していない「左様でございましたか」をリンゼイは初めて聞く。
「だったら、髪の毛だけ、結って貰おうかな」
「かしこまりました。お化粧は?」
「……お願いします」
使用人の仕事は早い。
髪の毛は邪魔にならない三つ編みにしてくるりと後頭部で巻いてくれた。
化粧は薄く施される。
「お綺麗です、奥様」
「ありがとう」
やっと解放されると思って溜め息共に大きく背伸びをしたら、出て行ったと思っていた使用人がまだ部屋に居た。
薄ら笑いを浮かべつつ、再度お礼を言うリンゼイであった。
◇◇◇
やっとのことで朝食の時間となる。
柔らかな白いパンはリンゼイの故郷でしか食べられないものだったが、食卓の上に山盛りになっていた。
十三年振りに目にする白いパンに思わず感動してしまう。
給仕が皿の上に白く丸いパンを二個置いてくれた。
食前のお祈りを済ませてから、早速パンを掴んで二つに割る。
ふっくらもちもちのパンは焼きたてよりも時間が経った方がしっとりしていて美味しい。
まずは二つに割って、最初は何も付けないで一口。
噛めばふわりとした優しい食感と、ほんのりと甘みがあった。
子供の時に慣れ親しんでいた味に、朝から感動をする。
ふと、食べることに夢中になっていることに気が付き、慌てて話題を振った。
「今日は森に薬の材料取りに行こっかな」
朝食の席でそんな風に言えばクレメンテは「お付き合いします」と言った。
リンゼイはなんとなく頭の中に思い浮かべていた作り方を固めていく。
効果・小の霊薬。
一瓶作るのに必要な材料は、薬草、精製水、井戸水、朝露、果実酒、白紅花の根。
果実酒を入れるのは口当たりを良くするため。薬の材料だけではとても飲める代物ではなかった。
「すみません、安価なものを作って欲しいなどと、無理を言って」
薄利多売は商売を始めるにあたっての基本だとクレメンテは言う。
「まあ、これはあまり難しいものではないし」
朝食が済めば採取した材料を入れる特別製の箱を持って庭の広場に出た。
「リンゼイさん、ここで何をするんですか?」
「竜を呼ぶから」
「え!?」
リンゼイは竜の名前を叫んだ。
「メレンゲーー!!」
クレメンテはどこから竜がやって来るものかと空を見上げる。
リンゼイはぶんぶんと手を振っていた。
数秒後、空に小さなものがぽつんと出現するのが分かった。
豆のように小さななにかはどんどん接近して来て、徐々に姿の輪郭を現していく。
「――うわ!」
「メレンゲ!」
大きな影と凄まじい風圧と共に現れたのは、黒い竜だった。
地面に踏ん張って居なければ体が浮いてしまいそうだったが、竜が羽根を仕舞ったので風もすぐに収まる。
「この子、メレンゲっていうの。私の竜」
「ど、どうも、クレメンテ・スタン・ペギリスタインと申します」
自己紹介をすれば、リンゼイの竜は地響きが起きそうな重低音で鳴く。
メレンゲという名前の首の長い竜は翼が大きく、黒く美しい姿をしていた。
主人の頬を舐めようとしていたが、リンゼイは皮膚が剥がれるからと言って拒否している。
「あの、もしかして、メレンゲさんに乗って森まで行くとか?」
「もちろん」
「……」
魔石をポケットの中に入れていれば絶対に落ちないと言って、クレメンテに手渡した。
リンゼイが乗ってもいいかと聞けば、メレンゲは姿勢を低くしてどうぞと言わんばかりにひと鳴きする。
「私も乗るんですよね」
「当然。森の奥地に行きたいから」
「……」
「走ってついて来たいってんなら、別に止めないけど」
「いえ、良ければ乗せて下さい」
竜の背中はびっしりと宝石のように輝く鱗に覆われてつるりとしている。
先にリンゼイが跨り、クレメンテが後に続く。
「……、これ、どこを持てば?」
「どうしても怖いって言うのなら、私に掴まってもいいけど?」
「それはちょっと」
ただでさえぴったりと体が密着しているのだ。抱きついたら大変なことになりそうだと思ってクレメンテはお断りをする。
「飛んでもいい?」
「……ええ」
合図を出せば、翼が一気に広がり、ふわりと浮かぶ。
しがみ付いていられないほどの空気抵抗を感じるとクレメンテは思っていたが、風は優しく頬を撫でる程度だった。
瞬く間に景色が流れていたが、不思議と速さを感じない。
目的地にはあっという間に到着をした。
メレンゲの背から降りると、役目を終えたので空に戻って行った。
「どうだった?」
「いえ、意外と快適で」
「でしょう?」
先ほど手渡した魔石には風圧防御と速度抵抗力を高める魔術が刻まれていたのだと説明をする。
「――やっぱり、綺麗な竜ですね」
「ん?」
「いえ、なんでもありません」
「そう」
クレメンテの感慨深いような一言は聞き流してしまう。
「じゃあ、採取を始めましょうか」
「はい」
クレメンテは葉の上にある朝露集めという地味なお仕事を任された。
「森の中は魔獣が居るんだけど、自分の身は守れそう?」
「大丈夫です」
クレメンテが腰から下げている剣が飾りでは無いことを確認した。
「剣の腕は?」
「嗜む程度ですが」
「そう。まあ、一応これをあげる」
リンゼイは外套のポケットから三枚の札を取り出して渡した。
「これは?」
「幻獣札。もしかしてこっちには売っていない?」
「はい。初めて見ます」
札には真っ赤なトカゲの姿が描かれていた。
「地面に向かって投げつけたら、札の中の幻獣が出て来て守ってくれるの」
「すごいですね」
「お菓子のおまけなんだけどね」
「それは、さらにすごい」
リンゼイが子供のころ夢中になって集めたお菓子の中に封入されていた札の中の三枚だった。
「貴重な品では?」
「全然。火の蜥蜴が出るたびにがっかりして」
「そうでしたか」
クレメンテはありがたく幻獣札を頂くことにした。
アイテム図鑑
幻獣札
スイーテイル公国で限定販売されているチョコレートのおまけに入っているお札。地面に叩きつけると一分から三分の間に絵に描かれている幻獣を召喚出来る。
爆発的なヒットを記録したが、お札だけ抜いてお菓子が捨てられるという悲しい現象が各地で目撃され、一時は販売中止にまでなった。
外れ札は火のトカゲ。