二十七話
数日後。
『美人軟膏』の噂を聞いた者からの問い合わせや注文で屋敷の中は慌ただしい状態であった。
注文は個人だけでは無い。商人からも自分の店に卸してくれないかと交渉に来る者も居た。
軟膏は大量生産出来ないので、そういった申し出は断るほかなかった。
クレメンテとリリットは材料採取に、リンゼイとエリージュに新しく来た侍女達は軟膏の製作に取り掛かる。
森のプリムローズが少なくなれば、庭での栽培が始まった。
採ってきた苗木に、リンゼイが新しく作った植物急成長の薬品を散布させる。すると、三日ほどで花が開花するのだ。庭師であるイミル・レオンハルトが世話役や採取作業などを任されていた。
プリムローズが欠品している間は、リリットが摘んできた種類の違う花の軟膏も数量限定で売り出す。
蓋に貼るパッケージもリンゼイに内緒で新しく描き下ろした。
今度は淡く微笑んだリンゼイの顔が描かれたものである。
それも、本人の知らないところで飛ぶように売れた。
リンゼイには売上と商品の完売だけ報告がいったのである。
ある程度商品を売れば、薬種商『メディチナ』は休業を発表する。
軟膏を入れる缶の仕入れが追い付いていなかったからだ。
製作を手伝っていた者達も疲労困憊状態だったので、いい機会だと思ってしばらく休むことにした。
『いやあ、儲かっていましたなあ!』
報酬で貰ったケーキを齧りながら、リリットは言う。
それに対してリンゼイもクレメンテもうんざりとしたような表情でいた。
『どうしたの、二人とも?』
「疲れた」
『クレメンテも?』
「まあ、多少は」
リンゼイはひたすら地下に籠って調合をするばかりであったが、一方のクレメンテは薬草の採取に加えて注文があった商品を届けて回るという地味な仕事もしていた。
『これからどんどん商品を増やして、数量限定販売にした方がいいね』
「そうね」
「ここ数日の労働はさすがに無理がありましたね」
『いやはや、人気過ぎるのも困った話ですな』
「全くね」
需要に対して供給が間に合わないということの他にも、困ったことがあった。
既に、街にはリンゼイの作った美人軟膏の模倣品が売り出しているのだ。
しかしながら、美肌成分入っていないし、香りも薄いという粗悪品ばかりである。
パッケージに描かれた花や美女の絵も、真似されていた。
『でも、びっくりだよね。商品の購入希望のお客さんの中に、リンゼイを描きたいっていう画家も紛れているんだもん』
パリン、と何かが割れる音が鳴り響く。
リリットは机の下を覗き込んだ。高級な細工入りのグラスが、大理石の地面に落下した為に粉々になって割れていた。
手に持っていたグラスを落としたのはクレメンテである。
すぐさま使用人が床を片付けていた。
『クレメンテ、大丈夫?』
「え!?」
リリットに声をかけられて、ハッと我に返るクレメンテ。
リンゼイは回収されていくグラスの欠片を見ながら、何か調合に使えるかもと呟いていた。
クレメンテは震える声で問いただす。
「そ、それで、その画家の依頼は?」
『エリージュが断ったから大丈夫。リンゼイは安売りしないんだって〜』
「そんな人が来ていたなんて知らなかったわ」
『みんな忙しくしていたからね』
リンゼイの姿をパッケージに使ったのは失敗だったと、頭を抱えるクレメンテ。
どうにかして別の絵に差し替えなければと、一人で悶々と対策を考えていた。
『新作は何にしますかねえ』
「その前に霊薬販売についての話を進めたいんだけどね」
「ああ、そうでしたね。若返りの薬、でしたか?」
「ええ。だけど、問題があって」
リンゼイは道具箱の中から世界地図を取り出す。
「若返りの薬の材料の中の一つ」
地図の中のもっとも北にある地域を指先で示した。
『ゲシュテーバー氷山大陸』
魔物以外住みつかないと言われている大陸である。
「ここにある、霙花って花が必要なんだけど」
「そこは異国の土地でしたね。確か、グロワール帝国の領土だったような」
「そう」
人類未踏の地とも言われていたが、リンゼイの生まれ育った公国では魔術学校の課題学習で何度か足を運ぶことになる土地でもあった。
セレディンティア王国にも北の方に深い雪に囲まれるような土地はあったが、どう考えても、霙花は育つような環境ではなかったのだ。
「そんな訳で、若返りの薬は作れないことが分かったっていう」
「な、なるほど」
契約の縛りがあるリンゼイは、セレディンティア国を出ることが出来ない。
クレメンテが採りに行くことを申し出たが、かの氷山は魔術の心得がない者が踏み入れるのは自殺行為となる。
「それにあなた、霙花を知らないでしょう?」
「そこは、リリットさんの鑑定の力をお借りして」
『ちょっと!! なに勝手に氷山に行く人員に加えてんの!? 寒いところとか絶対に無理だから!!』
「ですって」
「残念です」
『クレメンテ、なんて恐ろしいことを考えていたんだ……』
竜も契約を結んでいない者を遠い土地までは運んでくれないだろうとも話す。
「なんにせよ、他にも入手困難な品があるし、生成は難しいから」
「でしたら、私が父に霊薬販売の交渉を……」
「大丈夫なの?」
クレメンテは窓の外に視線を移し、いい天気だと呟いた。
これは大丈夫ではないなと思うリンゼイ。
「勉強しますから」
「期待しないでおく」
「はい」
最初にリンゼイから期待をしていないと言われた時は落ち込んでいたが、最近はそれがありがたいと思うようになっていた。
己の人生を振り返ってみれば、祖父の期待に応えようと頑張りすぎて、気が付けば自分自身は空っぽの存在になっていた。
それに、時として周囲の過度な期待は脆弱な精神を押し潰す脅威にもなる。
結果を残さなくてもいいということは、楽なことだとクレメンテは考えていた。
「そういえば、夜会の参加の予定もあったような。いつだったっけ?」
「あっ!」
二週間ほど前に、執事が夜会の参加に向けて用意するものはあるかと聞いていたのをクレメンテはすっかり忘れていた。
礼装は用意してあったが、肝心の夜会はいつだったかと、胸の内ポケットに入れていた手帳を開いて確認をした。
「夜会は明後日、でした。すみません」
「やっぱり? そろそろだと思っていたのよね」
リンゼイのドレスもとうに仕上がっている。
問題は別の所にあった。
今回の参加の目的は薬を売る為である。
「夜会会場で売るものってありましたっけ?」
「そう言えば、在庫って全くなかった。材料も」
「で、ですよね」
『なにか家にある物で作ってみれば?』
「いや、今晩のおかずじゃないんだから……」
リンゼイは薬草箱を取り出して、材料を確認する。
四数種類の花に半端に残った薬草が入っていた。
「なんか香りが強い花と疲労回復効果のある薬草があるけど」
「栄養補給錠剤とか?」
『なんか、おじさん臭いってか、地味~』
「……」
「……」
夜会で開かれる商店の客の多くは女性だ。中年男性が欲するようなものを作っても、浮いてしまうのではとリリットは言う。
「詳しいね」
『リンゼイとクレメンテが心配でね』
「ありがとうございます」
どうしようかと考える。
三人で無い知恵を絞り出すこと一時間。突然、リンゼイが何かが思い浮かんだようだった。
「入浴剤はどう?」
『あ、いいかも!』
もう良い考えが浮かばないので、今日はどの精油を垂らしてから湯に浸かろうかという逃避行動に出ていた折に思いついたのだ。
「軟膏の精油が半端に残ってるから、入れたらいいかも。それともう一種類、疲労回復の薬草の成分が出るようなものを作ればいいね」
『おお! なんだか売れそう!』
作る品が決まれば、早速作業要員が集められた。
クレメンテは足りない材料を買いに行かされる。
「入浴剤、ですか?」
「そう」
エリージュは初めて聞く品名に首を傾げた。
ここの国では入浴剤の販売はしていない。
風呂に入る時は花の成分を抽出した精油を二~三滴程風呂の中に入れて香りなどを楽しむだけであった。
「お風呂の中でしゅわしゅわっと溶けてなくなるんだけど、良い匂いだし、疲れも取れるし、女の人は好きなんじゃないかなって」
その昔、リンゼイが少女時代になんとなく資料片手に作って母親に贈ったら、たいそう喜んでくれたという話を交えながら、入浴剤について説明をする。
「それで、粉末状の物を瓶か何かに入れて販売をするのでしょうか?」
「いや、固形にして、球体状で売ろうかと」
お菓子のように包装してリボンで結べば可愛いのではという着想を、若い侍女の一人が提案する。
「確かに、いいかもしれないですね」
「急な話だったから、箱も準備出来ないしね」
リンゼイの指示に従って入浴剤作りが始まる。
アイテム図鑑
美女軟膏
メディチナの販売する『美人軟膏』を模倣した商品。
材料はデタラメで、香りも微妙。例えるなら、トイレの芳香剤?
いつまでも手がべたつく。
パッケージに描かれた美女もちょっとけばい。




