二十五話
リンゼイとクレメンテは重たい足取りで馬車に乗り込む。
馬車が動き出すと、二人は同時に溜め息を吐いた。
「駄目ですね」
「同じく」
国家専属魔術師だったリンゼイと、第二王子だったクレメンテ。
今までならばどれだけ不遜な態度で出て行っても問題にはならなかった。
だが、今の二人は一般市民である。物言いや態度は改めなければならない。
それに、商売人を名乗る以上は、客を立てることも必要となる。
おおよその対応などはエリージュやシグナルに習ったが、それが咄嗟に出て来るかと聞かれたら微妙なところだ。
長年の癖などはすぐには抜けない。
カッポカッポと車体を牽く馬が、石畳を蹄鉄で叩く音だけが車内に響き渡る。
クレメンテがちらちと盗み見たリンゼイの横顔は、緊張をしている人の面持ちには思えなかった。
濃い、紫色の髪は左右分けて丁寧に編み込まれ、くるりと後頭部で纏めてある。
それを留める花を宝石で模した髪飾りは、数日前にクレメンテがエリージュと買いに行った品であった。
せっせと魔物を討伐して稼いだお金で買ったものである。
彼は地味にリンゼイに宝飾品を貢いでいた。もちろん、本人は知らない事実であるが。
「あ、あの、リンゼイさん」
「なに?」
今日もとても綺麗だと言いたかったが、喉まで出ていたのに言葉として発せられることはなかった。リンゼイにじっと見つめられて、頭の中が真っ白になってしまったのだ。
「いえ、なんでも」
「言いかけるのが一番気になるのに」
「すみません」
いつもどうやったらリンゼイの関心を向けさせることが出来るのかということばかり考えているのに、変なところで気を引いてしまって胃がキリリと痛んだ。
周囲がクレメンテにやきもきしているのは分かっていた。
だが、相手は無関心女王・リンゼイである。
そもそも、今のクレメンテを作ってくれたのもエリージュやシグナルといった使用人の面々である。
今までの自分を忘れて生まれ変わろうかと思い立ったのはいいものの、どのように振る舞えばいいか全く分からなかったのだ。
戦うことだけを生の証としてきたクレメンテの中身は、見事に空っぽだったのだ。
そのことを相談すれば、当たり障りのない、どこにでも居るような人間について教えてくれた。
丁寧な言葉を喋り、笑顔を絶やさない、誠実な人間。
眼鏡を掛ければ多少はいい人に見えるとエリージュが言うので、視力が悪くもないのに着用をしていた。
人間は簡単に変われるものではないが、血の滲むような努力をして、彼は『普通の人』を装っている。
リンゼイと会ったばかりの頃は、台本のようなものがあって、その通りの行動や言動をしていた。
最近では台本担当のエリージュも厳しくなり、いろいろと相談をしても、自分で考えろと怒られてしまう。
彼の脆くて弱い化けの皮は、日々、少しずつではあるが剥がれつつあった。
「そういえば」
「!」
急に話し掛けられて、飛び上るほど驚いたクレメンテ。
リンゼイは訝しげな視線を向けていたが、どうでも良かったのか突っ込まずに自分の用件を述べる。
「エリージュとかシグナルっていくつ位なのかなって」
「彼らの年齢ですか」
エリージュは六十代。シグナルは把握していなかった。おそらく彼も同じ位の年齢だろうと伝える。
「エリージュって六十代なの!? てっきり、四十代後半位かと」
「若作りに命を懸けていますからね」
「この前も自分のことを中年って言っていたし」
「気持ちだけは若くありたいのでしょうね。言うだけタダですから」
「そうだけどね」
急に年齢について訊ねたのは、若返りの薬を作る為に必要な情報であったからだと言う。
本日も、リンゼイの頭の中は薬のことでいっぱいだった。
そんな会話をしているうちに、訪問する貴族のお屋敷に到着した。
クレメンテのお屋敷よりも立派な建物は、とある伯爵の邸宅だという。
エリージュの知り合いの家でもある。
見上げるほどの大きさの立派な門をくぐり抜け、玄関口までの広い道のりを馬車で移動した。
馬車を降りれば、従僕のような格好をした女性が出迎えてくれた。
ずらりと並んでいる使用人も全て女性である。
商人の出入りは裏口からと言っていたような気もしたので間違ったかとクレメンテの顔を見上げたが小声で聞けば、エリージュの知り合いだから大丈夫だと言う。
案内をされた客間で使用人の女性が上着を預かってくれるのか手を差し出していた。
リンゼイは身ぐるみを剥がされるような気持ちで毛皮の外套を脱ぐことになった。
二十三年間、ほとんど毎日を全身真っ黒い魔術師の外套を着て過ごしてきたリンゼイである。
胸の開いたドレスは下着姿を見られるのと同じ位恥ずかしいものであった。
――早く椅子に座ろう。勧められていないけれど、座ろう。とりあえず、落ち着かなくては。
この際礼儀などどうでもいいと、リンゼイは早足で長椅子に向かった。
ところが、履き慣れていない踵の高い靴が行く手を阻む。
絨毯の模様の凹凸に引っ掛かり、体の均衡を崩してしまいそうになった。
「あ、うわ!!」
そんなリンゼイを背後から受け止めてくれたのはクレメンテであった。
片腕を持ち、腰を引き寄せてしっかりと支えてくれていた。
「あ、ありがと」
「いいえ。大丈夫ですか?」
「なんとか」
振り向かないままお礼を言うリンゼイ。
クレメンテが支えてくれた手はすぐに放された。
エリージュが妙なことを言うので、自意識が過剰になっていた。そんな自分のことを、リンゼイはひたすら恥ずかしいと思う。
そうこうしているうちに、伯爵家の女主人が客間に入って来る。
リンゼイはクレメンテの隣に並び、緊張の面持ちで迎えることになった。
「まあ、ようこそお出で下さいました」
伯爵夫人は三十代後半で、優雅な微笑みを商人夫婦に向けている。
リンゼイは引き攣った笑顔を浮かべながら、夫人の服装を確認した。
身に纏っているものは、昼間用の襟の詰まったものであった。リンゼイのような露出度の高いドレスではないので、やっぱり、と肩を落とす。
初めましてとクレメンテが言えば、なんどか会ったことがあると言う伯爵夫人。
接点のある女性なんて皆無に等しい。
正直に記憶になかったことを告げれば、夫人はクレメンテの祖母の侍女であったことが発覚をした。
「左様でございましたか。覚えておらずに、申し訳ありません」
「いえいえ。殿下に顔を覚えて頂くなんて、図々しいことですわ」
「今は普通の商人なので、殿下は」
「そうでしたね」
続いて、クレメンテはリンゼイを妻だと紹介する。
伯爵夫人はとても美しい方だと、本人を前に評した。
リンゼイはご夫人もお美しいですよ、とエリージュから習った返しをする。
「それで、お薬を見せて頂けると聞いておりましたが」
「ええ」
勧められた椅子に座り、机の上で鞄を開いて見せる。
まずはのど飴から。
「こちらは異国からお取り寄せをしたのど飴でして」
商品の説明はクレメンテが担当をする。
しっかり暗記をしてきていたので、すらすらと紹介することが出来た。
リンゼイは隣で引き攣った笑みを浮かべるばかりである。
「では、三つほど頂きましょう。最近、主人が喉の調子が悪いと言っていましたの」
のど飴は一瓶金銅貨一枚。仕入れ値は銀銅貨二枚ほど。大瓶に入って売ってあるものを、二つの小瓶に分けて販売している。異国からわざわざ取り寄せてあるので、輸送費も掛っていたが、それでも一瓶銀銅貨一枚も掛からない。見事なぼったくり価格である。
続いて、リンゼイの作った薬草軟膏を紹介することにする。
「もう一つは、こちら」
「まあ、素敵」
伯爵夫人は薄く白い缶に美女が描かれたパッケージにすぐさま興味を示す。
「こちらは奥様を描いたものですわね」
「ええ、まあ」
リンゼイは顔から火が出そうな程に赤面をしていた。
突然顔色が変わったので、クレメンテは大丈夫かと小声で聞いてくるが、いいから商品の説明をしろと手を振って合図を出した。
「こちらはなんですの?」
「手先を美しくする軟膏でございます」
「まあ、そんな品がありますのね」
「ええ」
リンゼイの作った『美人軟膏』は薬種商である『メディチナ』が独自で開発をした、特別な美容品であることを売り文句にしている。
「どのようにお使いになるのかしら?」
「それはですね」
商品を使った実演はリンゼイの役目であった。
自らの姿が描かれたパッケージをなるべく見ないようにしてから、蓋を開いて指先に軟膏を掬う。
手先に擦り込むのは少量でいい。
揉みほぐすように塗って、数秒待てばベタベタ感も無くなって、滑らかな手触りをなる。
「このように、使い方はとても簡単です」
試してみるかと聞けば、夫人はしばらく躊躇ってから、ゆっくりと頷いた。
リンゼイは伯爵夫人の手袋を外し、指先で掬った軟膏を手の甲に塗っていく。
「とてもいい香り」
「美肌効果のある成分も含まれております」
「これは、手だけにしか使えないのかしら?」
「ええ、そうですね」
「そうなの」
反応は上々であった。
とりあえず、二つ購入すると言ってくれた。
その後、伯爵夫人とお茶をしてから、お暇することになった。
「またいらしてね」
「ありがとうございます」
深くと頭を下げてから伯爵邸を後にするリンゼイとクレメンテ。
馬車に乗り込んでから、大きな安堵の溜め息を同時に吐くことになった。
「なんとかなりましたね」
「ええ、なんとか」
こうして、一回目の商売は奇跡的にいい結果を出すことが出来た。
アイテム図鑑
異国のど飴
執事シグナルの買い置きを全て奪い……、否、分けて貰い、特製の瓶に詰め直しただけの商品。
リンゼイの物質保存の魔術が掛かっている。
蜂蜜味。