二十三話
帰宅をしてから、居間でぐったりとするリンゼイとクレメンテ。
共に、肉体的な疲労ではなく、精神的なものであった。
居間の長椅子に座り、果物を摘みながら本を読んだり、中身のない会話をしたりと、適当に過ごしている。
まだ、時刻は昼過ぎであったが今日はなにもしたくないという、夫婦となって初めての奇跡の意見の一致となっていた。
そんな二人を、エリージュは険しい表情で眺める。
クレメンテの奮闘も、リンゼイの頑張りも知っていたので、なにも言えぬ状況であった。
だらだらとした時間を堪能していると、執事がやって来る。
「失礼いたします。旦那様、お話があるとかで」
「あ、そうでした」
姿勢を正しながら、話が長くなりそうだったので執事・シグナルに長椅子に座るように勧めた。
クレメンテの話とは、霊薬の販売についてだった。
霊薬の効果を目の当たりにした後、果たして、これは安易な気持ちで販売をしていいものかと思い始めたと言う。
「確かに、あの薬はたくさんの人を助けることが出来ます。ですが、それが流通することのよって、この国の何かの均衡が崩れるのではないかと、そんな風に思ったのです」
「まあ、確かにね」
クレメンテの考えについてはリンゼイもやんわりと同意した。
シグナルも意見を述べる。
「私も、奥様のお薬の効果を甘く見ていたのかもしれません。頭の中も最近の平和でボケているのでしょう」
「そんなことはないですよ」
「多分ね」
リンゼイが余計なひと言を追加していたが、シグナルは気を悪くした様子を見せなかった。
「お金のある人だけに霊薬を売って、お金のない人には売れないっていうのも、なんか微妙な気がする。全ての人を助けるのは無理だけど、見て見ぬ振りをするのもちょっとなあ……」
しかしながら、霊薬を一般市民の手に渡るような金額設定にすれば、確実に市場は崩壊してしまう。
それに、王国全ての人に行き渡るほどの大量生産も出来ない。
一般に販売をする場合も、様々なことが中途半端になってしまうのだ。
「せっかくだけど、今回の話を聞いて、売らない方がいいのかなって思ったわ」
「そうですよねえ」
クレメンテはシグナルにも意見を求める。
「……なかなか難しい問題のように思えますが、その辺は、国に丸投げするとかどうでしょうか?」
「あ、それいいかも」
「父に……国王相手に販売をする、ということですか?」
「ええ。全ての采配は国王陛下にお任せするのです」
「だったらいいね。私達は何も気にしなくてもいいし」
だが、シグナルは問題が一つあると言う。
それは、一体誰が交渉に行くというのかと。
「私は嫌。なんか、そういう腹芸? みたいなの苦手だし」
「私もその辺は苦手で」
リンゼイはシグナルを見る。
適任ではないかと指さしていたが、執事はとんでもないことだと首を振った。
「お力になりたいのは山々ですが、実は、私はお城から追放された身でして」
「え、なにしたの?」
「……」
「……」
急に黙り込む、クレメンテとシグナル。
リンゼイは怪しい二人だと眉間に皺を寄せていた。
「あ!!」
リンゼイは名案が浮かんだので大きな声を出したが、クレメンテとシグナルは彼女がなにかに気付いたのではと思い、はらはらと挙動不審になっていた。
しかしながら、それは大きな勘違いだったのである。
「若返りの薬とか飲んで、交渉に行くのは大丈夫?」
「奥様、それは?」
「例えば、二十位若返って別人を装ってお城に交渉に行くの」
「ああ、なるほど、それでしたら、問題ありませんね」
ついでにエリージュもどうかと聞けば、面白そうだと乗り気であった。
二人で交渉に行けば、怖いものなしなのではとリンゼイは言う。それに関しては、クレメンテも深く同意することになった。
「ですが、奥様、その前に先日お約束をした者との交渉はいかがいたしましょう?」
「ああ、そんな約束もあったね」
今となっては霊薬の販売も出来ない。
一応、薬の訪問販売という名目になっていた。
「でしたら奥様、なにか、効果の薄い、その辺のお店にも販売している、ありふれた薬を作るのはどうでしょうか?」
「咳止めとか、滋養強壮剤とか?」
「そうです」
「ありふれた薬、ねえ」
「奥様、いい着想がございます」
「ん、エリージュ、なに?」
その辺で売っていそうな薬を貴族様がわざわざ買うのかと聞けば、容器を凝ったりして、付加価値を付けて売ればいいと助言をしてくれた。貴族の奥方は綺麗な瓶や箱に弱いという。
「そっか。でも、う~ん……」
リンゼイが得意な薬は、奇跡的な効果をもたらす霊薬。
普通の薬師が作っているようなものは興味がないので作り方すら知らない。
額に手を当てて、考える体勢になったまま動かなくなったリンゼイに、エリージュが提案をする。
「昨日、奥様に頂いた軟膏はどうでしょう? 手作りとおっしゃっていましたよね?」
「え、あれ? 特別な効果はないけど?」
「ですが、手がすべすべになりましたよ」
「あ、うん。そういう効果はあるけどね」
「でしたら、それを作って売ってみましょう」
リンゼイ特製の薬草軟膏は、日々、調合などで手が荒れやすい為に作った品である。
昨日の解毒薬作りが終わった後に、エリージュにも塗るようにと分けていたのだ。
「売れたらいいけどね」
「売れますよ、きっと。昨晩、手がすべすべで驚きましたから」
一品だけでは少ないので、シグナルが異国からお取り寄せをしているのど飴を小さな瓶に詰め直して売ろうという作戦で纏まる。
軟膏を詰める缶とのど飴を入れる瓶は、エリージュの知り合いの商人に頼んで用意して貰うようにした。
「じゃあ、薬草を採りに行きますか」
「そうですね」
薬草軟膏の主な材料である薬草と花を、近くに森に採取しに行く。
クレメンテを同行させる訳は、いつもの通り次回、一人で採りに行かせる為であった。
「リンゼイさん、材料は他にどんなものを使うのですか?」
「聞いても分からないと思うけれど、リーフ草にプリムローズオイル、精製水、乳化蝋」
「……」
「一個も分からないでしょう?」
「はい」
森へ採りに行くのはリーフ草とプリムローズ。残りの材料は街にある店に買いに行くことが出来る。自然の素材を集めても作れるが集めるのに時間が掛かるので、買った方が楽だとリンゼイは言う。
「どうせ高値で売り払うだろうし、材料費は気にしなくてもいいかもね」
「そうですね」
貴族相手の商売なので、安すぎても怪しまれるという訳である。
話をしながら庭に出て、二頭の竜の元へと向かう。
「はい、これ」
「?」
クレメンテは白い布を手渡される。
何かと聞けば、それはプラタのおんぶ布であった。
「やっぱり、メレンゲが銜えたままでの飛行って危ないし」
「そ、そうですね」
ぽってりとした子竜を布に包み、クレメンテは背負った。
プラタはお出かけが嬉しいのか、ご機嫌な鳴き声をあげている。
「どう? 大丈夫、重くない?」
「ええ、平気です」
「それはよかった」
準備が整えば、メレンゲの背に乗って大空を駆けて、森に移動することになった。
◇◇◇
材料の一つであるリーフ草は森の中で年中緑の葉がある常緑多年草である。採取に特別な次期はない。霊薬に使われる薬草のほとんどが一年中採れる品種である。
一方で、プリムローズは今の時季にしか咲かない花だ。だが、これは他の花でも代用出来る。季節によって花の種類を変えて、様々な香りを楽しんでいた。
クレメンテに草や花を教えてから、後は二手に分かれて採取作業を行う。
一時間後、空の雲行きが怪しくなったので、撤退することに決めた。
「プラタ~、帰るよ~」
草の上でごろごろしていたプラタは、「もう?」という残念そうな鳴き声をあげる。
トボトボとゆっくり歩いて来ていたので、リンゼイは迎えに行って持ち上げた。
「うわ、重い!!」
「私が持ちましょうか」
もっちり竜はすぐにクレメンテの腕の中へと託された。
家に入る前にぽつぽつと水滴が空から降り始める。
雨に濡れる前に帰宅をすることが出来た。
メレンゲとプラタにはリンゼイが魔術で雨避けを作り、その下で丸くなっている。
「良かったですね、濡れずに済んで」
「そうね」
頼んでいた素材が揃っていたので、リンゼイは早速地下の実験室で調合を行うことにした。
アイテム図鑑
居間の長椅子
ふわふわの触り心地で、座ればほどよい弾力と柔らかさがある。
座りこんだら何もしたくなくなる状態に。
人を駄目にする長椅子です。