二十二話
伸ばした手はむなしく空を切ると思っていたのに、誰かが握りしめてくれる。
一体誰がと瞼を開くが、大きな黒い影とゆらゆらと揺れる赤い炎しか分からない。
ぐっと力強く握り返してくれる手。
クレメンテは鉄の手甲を装備して、相手は厚い皮の布を嵌めている。
触れた感覚では、女か男かでさえ分からない。
だが、これも夢だろうと思ったクレメンテは、そうであったら良いと思う人物の名を呟いた。
「リンゼイさん……」
「なに、なにか用なの?」
「!?」
返された声は、彼の妻。リンゼイであった。
姿を確認しようと、兜の顔面を覆っていた部分を開く。
「リンゼイさん!?」
リンゼイは魔術師の外套を頭まですっぽりとかぶった状態で居た。残念ながら顔はよく見えない。偶然にも、初めて出会った時と全く同じ姿であった。
彼女の姿をはっきりと確認すれば、薄れていた意識も鮮明になる。
これは、夢でなくて現実だと。
「あなた、なんて酷い顔なの!?」
「……」
全身は毒に侵されて顔色は真っ青。顔は血まみれ。皮膚もところどころ焼けただれている。
大丈夫だと言った後に、咳と共に血を吐いた。さらに、吐いた血を気管に引っかけてしまい、激しく咳込むことになる。
リンゼイはクレメンテをぐっと強く引いてその場に座らせた。
そして、氷結の呪文を使ってその場の炎を鎮火させる。
リンゼイは倒れないようにクレメンテの背中に手を添えたが、炎で炙られた鎧は火に掛けた鍋のようになっているからと、制止する。が、リンゼイは魔術師の装備品の耐火能力を甘く見ないで欲しいと言ってのけた。
そして、彼女はあるものをクレメンテに差し出す。
「これ、解毒する薬!」
「あ、作ってきて、くれ」
まともに会話する事もままならない状態にあった。リンゼイに自分で飲めるかと聞かれ、頷いたものの、薬を手の中に掴んだ状態で固まってしまう。
「早く飲みなさいったら!」
「!」
リンゼイはクレメンテが握りしめるだけだった薬を奪い返し、栓を開いて口元まで持って行ってくれた。
解毒薬はなにか良い出汁が効いているような、不思議な風味をしていた。
それから、リンゼイはぶつぶつと呪文を唱え、クレメンテの体の傷などを治していく。
ひりひりと焼けるような痛みは、優しい光に包まれた後に消えて行った。
体も軽くなり、すぐにでも戦えるような状態まで回復する。
「大丈夫!?」
「……はい、お陰さまで」
リンゼイは顔に付着していた血まで拭ってくれた。
どうしてここに来てくれたのかと聞けば、弓矢を持つ男が森の中にクレメンテが取り残されているから助けて欲しいという懇願を聞いたからだと答える。
魔物札を使う前に撤退指示を出していたイルが、リンゼイに助けを求めてくれていたのだと気付いた。
「街の、者達は?」
「問題なし。解毒薬も渡しておいたから」
「ありがとう、ございます」
リンゼイからの報告を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす。
じわじわと胸の中に広がった安堵感は、温かいものであった。
もしかしたら、初めて誰かを救う為に頑張ったのではないかと、クレメンテは己の所業を振り返る。
ふと、目の前に座っているリンゼイの顔を見れば、ぱっと明るい笑顔を見せていた。
その表情を、不思議に思う。
「リ、リンゼイさん?」
「あっ!!」
「えっ?」
リンゼイは嬉しそうな顔でクレメンテに手を伸ばす。
一体何をされるのかと、体を固くしてしまった。
しかしながら、彼女の目的はクレメンテではなかった。
「双子大蛇の鱗!! しかも属性持ちとかすごい希少!!」
「……」
リンゼイはクレメンテの鎧に付着した双子大蛇の鱗を一枚一枚手に取って行く。
今まで見たことがないような極上の笑顔で。
少し先に行けば双子大蛇の本体があると教えたが、周囲を氷結呪文で固めてしまったので、鱗も質が落ちていると主張していた。
魔物の素材は生きた状態で採取するのが一番だという。
故に、クレメンテの鎧に付いているのは良質の鱗なのだ。
もうどうにでもしてくれという気分で、リンゼイにされるがままの状態になっていた。
彼女が嬉しそうだからいいか、と思うクレメンテである。
◇◇◇
竜に乗って村に帰れば、綺麗に整列した兵士達がリンゼイとクレメンテの帰りを待っていた。
地面に着地した竜に、イルが駆け寄って来る。
「閣下!」
竜から降りたクレメンテは、労うようにイルの肩を叩く。
今までそういうことされたことが無かったイルは、感激で目に涙を浮かべている。
続けて「よくやってくれた」と言えば、とんでもないことだと深く頭を下げて、恐縮していた。
そして、後から降りて来たリンゼイを確認するや否や、彼の下僕スイッチが入ってしまった。
「お、お、奥様!!」
「ん?」
「閣下を救って下さって、ありがとうございました!!」
「え、ああ、まあ」
大袈裟な様子でお礼を言うイルに、リンゼイは若干引いていた。
一応街で会った時にクレメンテの妻だと挨拶をしていたのだが、こんな風に絡まれるのならば黙っておけばよかったと、少しだけ後悔をする。
「森の炎の鎮火までして下さって!! なんと、お礼を言えばいいのか!!」
「……うん」
リンゼイが困った様子を見せているのに気付いたクレメンテは、興奮した様子で詰め寄るイルの首根っこを掴んで引き寄せた。
たたらを踏んでいるイルを受け止めるつもりは毛頭ないので、掴んだ手はすぐに放した。
強く引いたつもりはなかったのに、イルの体はごろりと地面を転がって行く。
「あ、ちょっと、あの子、大丈夫?」
リンゼイがイルの元に歩み寄ろうとしたが、クレメンテが行く手を阻む。
「イル、彼は頑丈ですので」
「……そうなの?」
「それに、あの男は今年で三十です。立派なおじさんです」
「あ、そうなんだ。てっきり二十前後だと」
「……」
イルは突然雑に扱われて呆然とした表情で転がっていた。
「その人、誰なの?」
「知らない人です」
「え、でも、あなたのこと、すごく心配していたし、他人じゃないでしょう?」
「……」
話をする度にクレメンテが怒っているような気がして、イルはぎゅっと身を縮めていた。
そして意を決してから、消え入りそうな声で会話に割って入る。
「す、すみません。私は、閣下を勝手にお慕いする者の一人です」
「そうだったの?」
「……はい。私なんぞ、取るに足らない小さな存在なので」
そう言ってイルはしずしずと下がっていく。
一連のやり取りが終われば、双子大蛇討伐部隊の隊長、ジオン・ウーヴルが隊で決まっている挙手の形を取って二人に最大の敬意を示す。
とりあえず、依頼されていた双子大蛇退治は終わった。
あとのことは彼らに任せようと、クレメンテはリンゼイに言ってから、厩に愛馬を迎えに行こうとする。
「一緒に帰らないの?」
「いえ、私は、馬が」
「疲れているんでしょう?」
「それは、まあ」
馬は数日預かって貰って、後日連れに行ったらいいとリンゼイは言う。
「ご安心ください、閣下!」
「?」
振り向けばイルが居て、クレメンテの馬は連れて帰るから安心して欲しいと言う。
イルはリンゼイに「気が効くのね」と褒められていた。
当然ながら、クレメンテは面白くない。
「だったら、お言葉に甘えればいいじゃない」
「……ええ」
リンゼイに背を向けて、がっくりと肩を落とすクレメンテ。
対照的な二人の姿を見ながら、ひたすら頭を下げるしかないイルであった。
帰ろうとしたその時、街を纏める長がクレメンテやリンゼイに挨拶をしたいというので、急遽引き戻されることになった。
泥と血まみれだったクレメンテには風呂を準備してくれていた。
客間に通されたリンゼイは、魔術師の外套を脱いで、おもてなしを受ける。
外套の下は侍女が着つけてくれたドレスだったので、あっという間に上品な奥方の姿となった。
「いやはや、なんとお礼を言っていいものか」
街の有権者や代表を前にして引き攣った笑みを浮かべるリンゼイ。こういう場合、どういう振る舞いをしていいものか全く分からなかったので、一人で戸惑っていた。
エリージュの礼儀作法をもっと真面目に聞いておけばよかったと後悔する。
しばらくすれば、お風呂に入ってさっぱりとしたクレメンテが戻って来た。
リンゼイ同様に、クレメンテもこういった場に慣れていなかったので、二人してぎこちない態度で対応をする羽目となる。
お礼としてたくさんの敷物やドレス用の布、お菓子や肉などを貰って帰ることになった。
アイテム図鑑
双子大蛇の鱗
炎の属性付きの希少な鱗。
武器や防具などに合わせたら属性付加が可能となる。




