十七話
兵士の案内で、街の端に建てられた負傷者専用の天幕まで向かうクレメンテとイル。
周囲には白装束の医療従事者が、忙しない様子で働いていた。
天幕に入る前に、中は酷い臭いだからとマスクを手渡される。
兵士からマスクを受け取ったイルはクレメンテに差し出したが、兜を纏っているので不要だと思い、軽く首を振って拒否する。
主人が着けぬのならと、マスクをベルトに着けていた小物入れに収納するイル。その様子を案内役の兵士は不思議そうに眺めていた。彼は二人を無視してマスクを着用する。
天幕に近づけば、中の状況が想像出来るような物音と臭いが立ち込めていた。
兵士は出入り口の布を手で払い、クレメンテとイルに中に入るよう、視線で促す。
中は案外広かった。並べられた寝台の数は十ほど。
患者を運ぶ衛生兵などが行き来しやすいように中央には支柱がなく、天井が丸い作りとなっていた。
クレメンテとイルは迷いなく中へと入った。
天幕内の状況は悲惨の一言である。
傷口の膿んだ臭いと消毒液や薬草軟膏の匂いが混ざり、なんともいえない異臭が漂っている。
激痛に耐えきれない兵士たちは我を忘れて悲鳴を上げていた。
こういった光景は戦場で見慣れていたので、クレメンテとイルは冷静に周囲を見渡す。
「えー、閣下、その、こういった、状況でして」
案内役の兵士が弱々しい声で話しかけた。
事情を知らない看護師達は、邪魔者でしかない一行に鋭い視線を向けている。
「一番の重傷者は?」
「え?」
突如としてクレメンテから声を掛けられた兵士は、ぽかんとした様子を見せていた。背後に居たイルが、「早く言え」と急かす。
兵士は近くで患者の包帯交換をしていた看護師に話を聞いていた。
「あ、あの、彼が……」
ちょうど目の前の寝台で苦しむように横たわっていた兵士が、一番の重症患者だという。
クレメンテは腰に着けていた箱を手に取り、中身を取り出す。
道具箱の使い方は至って単純なものだった。
欲しいと思う物を頭の中で思い浮かべながら、指先を入れるだけ。品物の在庫数は箱の表面へと自動表示される。
取り出した物はリンゼイ特製の傷薬、青の霊薬。
服用した者の傷を大きく回復する薬である。
青の霊薬の残量は五と表示されていた。全員分あったかと、ホッと胸を撫で下ろす。
それを、兵士に渡した。
「こちらは?」
「傷薬だ。早く飲ませろ」
「は、はあ」
兵士は初めて見る、青い液体を持つ薬を訝しげに眺めていたが、横からクレメンテの圧力を感じたので、そのまま看護師の元に持って行った。
「あの、すみません。こちら、その、傷薬だそうです」
「え?」
「あちらの……」
あの二人、特に閣下と呼ばれる男は一体何者なのか。
若い兵士は考えたが、誰だか分からなかったので、適当に濁しつつ看護師に傷薬を手渡した。
「これが、傷薬ですって?」
「は、はあ、そのようで」
当然ながら、初めて見る薬を看護師は怪しい物だと思った。
口から服用する傷薬というのも聞いたことがないと呟く。
火傷の治療は特製の薬草軟膏を塗り込む他はない。
傷口は肉が裂けている場合は丁寧に縫い合わせ、後はひたすら清潔な状態を保つ助けをするばかりである。
「お医者様からの処方箋は?」
「え?」
兵士は背後に居たクレメンテに、薬品の投与方法などが書かれたものがないかと質問したが、首を横に振られてしまった。
看護師は眉間に皺を寄せ、はっきりと告げる。
「申し訳ありませんが、こちらのお薬を使うことは出来ません」
看護師の女性は直接クレメンテに青の霊薬を突き返していた。
兵士は睨み合う二人の間に立たされて、一人おろおろしている。
クレメンテは目の前に出された霊薬を掴み、看護師の肩を軽く押して退けた。
「!?」
突然邪魔者扱いされた看護師は目を剥く。文句を言おうとすれば、背後に迫っていたイルに、口元と体を押さえられてしまった。
異変を察した他の看護師や衛生兵などが助けに向かって来たが、イルの口から発せられた言葉により、動きを止めてしまうことになる。
「こちらの御方を、どなたと心得る!?」
不敬を働く者たちを威圧するような怒りの篭った声色で、全身鎧を纏った謎の男の正体を明かす。
――この御方こそが、セレディンティア王国・第二王子、クレメンテ・スタン・ペギリスタイン様!!
周囲に居た者達は名前を聞いてピンと来ていなかったが、クレメンテが鎧の上から纏っていたマントの留め金に、王族の紋印が刻まれていることに目聡く気付いた者が即座に膝を折った。
戦時中の影の功労者である、クレメンテの名はあまり知られていない。
敵国では別の二つ名で恐れられていたが、本人は知ることもなかった。
クレメンテは相手が怯んだ隙を見て、机の上に置かれていた吸い飲みという、寝ている患者に薬や水を飲ませるガラス製の道具を手にとって、青の霊薬を入れた。
幸い患者には意識があったので、口元に持って行って飲ませた。
はらはらと様子を窺う医療従事者達。
医師の認可がない怪しい薬の服用など認められるのかと、不安な表情で見守る。
「う、うう……!!」
薬を飲みきった患者が激しく咳き込んだ後に、唸り声を上げた。
誰かが悲鳴を寸前で呑みこむ。
しかしながら、効果は瞬く間に現れた。
大蛇の毒で腫れていた全身のむくみは引いていき、赤く膿んでいた火傷の後は綺麗な肌色に戻って行く。荒い息遣いも治まっていて、己の状況が理解出来ていない患者は、手に負っていた火傷の跡を確認していた。
「これは、どういう……」
医療従事者の一人が呟く。
クレメンテは残りの薬も取り出して、他の者にも与えるようにと急かす。
だが、医療従事者達は突然の奇跡のような出来事を前にして、迅速な行動を取ることが出来ない。
呆然とする者達の中で、先ほど患者を守ろうとしていた、一番血気が盛んな看護師が霊薬を掴んで、どのように与えればいいのかと訊ねる。
普通に飲ませるだけだと聞けば、次なる重傷者の元へと走って行った。
他の看護師も、彼女に続く。衛生兵達は、呆然と目の前の奇跡に目を奪われるだけであった。
なんとか全員分の治療が終われば、念の為にこのことは外部に漏らさないようにと口止めをする。
今回のことが噂として出回れば、国の様々なものに悪影響が出ると思ったからだ。
霊薬のことは魔法公国から仕入れた大変高価で入手困難な薬だと言って誤魔化した。
薬の価格や販売経路を、もう少しだけ考え直さなければと、クレメンテは思う。
リンゼイや執事に相談もなしに早まったことをしたのかもしれないと、クレメンテは多少の後悔をしていたが、自らと似たような境遇の兵士を救いたいという私情が、彼を突き動かしていた。
考えるのは後からだと気持ちを入れ替えて、次なる行動へと移った。
大蛇の毒の影響が強いという患者の元へ移動する。少し離れた場所に位置する天幕にも、同じように看護師や衛生兵が忙しない様子を見せていた。
解熱は緑の霊薬を使う。
毒に効果があるかどうかは分からないが、とにかく使ってみるしかない。
道具箱を確認すれば、霊薬の数は三つしか入っていなかった。
患者は十五名。圧倒的に数が足りない。
クレメンテは引き連れていたイルと案内役の兵士をその場で待たせ、自らは木陰に向って歩いて行く。
道具箱を取り出して、上蓋の裏を見た。
リンゼイは蓋の裏にある呪文を摩れば連絡が出来ると言っていた。
信じがたい話であったが、彼女がそう言うのであれは間違いないものなのだろうと、呪文を指先でなぞった。
箱に書かれていた呪文が微かに発光する。
耳を澄ませば、箱からごそごそと物音が聞こえたような気がしていた。
箱からパリーンと、ガラスを割ったような音が聞こえた。
「リ、リンゼイさん!?」
クレメンテは箱に向って妻の名を呼ぶ。
返事はすぐに返って来た。
『あ、あ~っと』
「!」
『ごめ~ん。リンゼイじゃなくて、わ・た・し』
「……」
クレメンテの呼びかけに応じたのは妖精リリットであった。
明らかにがっかりするのが姿を見なくても分かったので、リリットは笑ってしまう。
リンゼイは現在お風呂に入っているという。
『で、どうしたの?』
「霊薬を、頂きたくて」
『あら? そんなに大苦戦だったの?』
「いえ、使うのは私ではなくて……」
クレメンテは兵士たちの状態をリリットに語って聞かせた。
『あ~、そういうこと~』
「すみません」
『でも、意外だね』
「?」
クレメンテはリンゼイ以外の人はどうでもいいと思っていたという感想を述べる。
「いえ、そんなことは……」
かつての師だった男が、リンゼイの霊薬で体の具合が良くなった時は嬉しかったし、厳しいだけだった彼の祖母が最近楽しそうにしている姿を見て、安堵していたこともあったという話をした。
『ふう~ん。身内には甘い男なのね』
「……」
だが、言われてみれば他人をどうこうしたいと考えたことは一度もなかったことに気が付く。
「やっぱり、こういった一部の人助けは間違っているのでしょうか?」
『そうかな?』
「行動を起こしてから、後悔をしています」
『でも、そういうのってニンゲンらしくて良いと思うよ』
「!」
とにかく、今回は全ての負傷者を助けようと決意を固める。
軽傷者も居ると言えば、先日試薬用にと作った、三分の一の効果がある、緑の霊薬飴を渡せばいいと提案してきた。
解毒については、緑や青の霊薬では効果がない。
だが、解熱効果がある緑の霊薬を飲ませていれば症状は軽くなるだろうとリリットは言う。
解毒薬については、リンゼイに相談しておくということになった。
リリットは霊薬を箱に追加しておくねと言ってから、一方的に通信を切った。
勝手に貰ってもいいものかと思ったが、今も苦しんでいる兵士が居ることを思い、ありがたく頂戴することにする。
在庫の確認をすれば、青の霊薬を十本、緑の霊薬を三十本、緑の霊薬飴百個が追加されていた。
アイテム図鑑
吸い飲み
医療施設などに置かれている備品の一つ。
寝転がったままで水や薬をごくごく飲める。
薬飲器とも呼ばれている。
小さなジョウロのような形状。




