十三話
夕方になれば、リンゼイが帰って来たと言う知らせが入って来る。
青い鳥の羽は数時間の餌場の設置で十分に揃っていた。
とりあえず、役目は果たしているので、普段通り感情は顔に出さないように頬を叩いてから自宅に戻る。
居間にいたリンゼイは、優雅に紅茶を啜っている所であった。
帰って来て早々に着替えさせられたのか、朝とは違う格好で居る。
「あら、お帰りなさい」
「!」
どういう風に話しかければいいのかと迷っていたら先にリンゼイから声をかけられてしまった。「お帰りなさい」という言葉にも動揺する。
「た、ただいま」
「そんな所に突っ立っていないで、座ったら?」
主人の帰宅を知らされた侍女が、淹れたての紅茶を持って来る。
なにを話していいものか、クレメンテは今になっても分からないままであった。
怒った顔で出かけたが、帰って来た彼女の様子は至って普通。
責められたら謝罪も出来るのにと、クレメンテは思う。
リンゼイが美味しそうに机の上にある焼き菓子を食べていたので、思わずその様子を意味もなく眺めてしまう。
「あなたも食べなさい」
「……はい」
勧められるがままに、貝の形をした菓子を手にとって食べる。
ふんわりとした甘い生地に、バターの優しくて香ばしい風味が口の中に広がった。
「美味しいでしょう?」
「……美味しい、です」
甘ったるいお菓子を食べているとクレメンテは思い出す。
リンゼイに命を助けて貰った日に、以前の自分は忘れて生まれ変わろうと決意したことを。
彼女と出会ったのは八年前。
まともな人間になろうと考えて、まだ八年しか経っていない。
精神的に未熟なのは、仕方がない話だと自らに言い聞かせる。
まだまだ、リンゼイの傍に居て暮らしたい。
そのためには、どこにでも存在する普通の人を装わなければならない。
上手く出来ているかどうか、クレメンテは不安だった。
現に、妖精には一目で本質がバレてしまった。
クレメンテの人生に欠けているのは『甘さ』だと、前王妃に言われていたことを思い出す。
掴んでいた残りの焼き菓子を一口で食べ、咀嚼して無理矢理飲みこんだ。
正直に言って美味しいものと感じることは出来なかった。
しかしながら、体は甘さを求めている。それは結婚をしてから、日々、痛感していることであった。
「旦那様、焼き菓子は、もう一つ、召し上がりますか?」
侍女、エリージュが突然問いかけて来たので、驚いた表情で顔を見上げた。
たった今、エリージュから過去に言われた言葉を思い出していた、とはリンゼイの居るこの場では言えない。
黙ったまま頷けば、皿の上に貝の形をした焼き菓子を置いてくれる。
「それ、そのお菓子、どこで買ったの?」
「街の製菓店でございます」
「ふうん」
「お気に召したのなら、また買いに行って来ます」
「ありがとう」
「奥様、紅茶のおかわりは?」
「いただこうかな」
「かしこまりました」
エリージュは恭しい手つきで、リンゼイの空になったカップに紅茶を注ぐ。
前王妃が、異国の魔術師に傅くというありえない光景を前に、クレメンテは焼き菓子を指先で掴んで食べる。
彼女は知らない。
この屋敷に集められた者達の深い事情を。
焼き菓子の、食べ慣れない味が口の中に広がったが、不思議と二個目は顔を顰めるほどの甘さではなかった。
◇◇◇
翌日。
材料が全て集まったので、リンゼイは実験室に下りて霊薬の作成をする。
『あれ、リンゼイ、その格好で作るの』
「……まあね」
リンゼイは青いドレスにふりふりのエプロン姿を指摘されて、気まずいような表情になっていた。
『それ、動きにくいでしょう? しかも、汚れたらお洗濯が大変そう』
「エリージュが常日頃から着飾るのは淑女の嗜みだって言うから、仕方なくなんだけど」
『なんかさ、リンゼイ、あの侍女のオバサンに弱いよね』
「うん。なんかすごい威圧感があるというか、無駄な威厳があるというか」
『威圧感……それは当たり前っていうか、いや、なんでもない』
「?」
リリットは早く霊薬を作ろうと、無理矢理話題を逸らす。
「そうね」
『お、お手伝いするから!』
「本当? それは助かる」
リンゼイはリリットにライチーの実の皮むきをお願いした。
「さて、始めますか」
『了解~』
まずは瓶の煮沸消毒から始める。
外傷用の薬も飲んで効果が発揮するというもの。
材料は竜の湖水、妖精の涙、青い鳥の羽、ライチーの実。
今回、薬草は使わないので味の調整は不要である。ライチーの実の甘みだけでそこそこ飲めるものが仕上がるのだ。
竜の湖水はろ過せずにそのまま使う。鍋の中に入れて、沸騰させた。
妖精の涙は瓶に入れて水に浸けていた液体を使用する。数時間、妖精の涙を浸けていた水は濃い青色に染まっていた。
甘酸っぱいライチーの実は皮を剥いて、種を抜いてから刻んで煮詰める。ジャムのような状態になったら火を止めて、布で漉してしぼり汁だけを利用するのだ。
青い鳥の羽は水でよく洗い、魔術を使って瞬間乾燥させる。
布の中に羽を入れて口を絞り、竜の湖水を煮ている鍋に入れた。ライチーの実の汁と妖精の涙も同様に投下する。
鍋の中は澄んだ青に染まっていった。
仕上げに物質保存の魔術をかける。緑の霊薬と同じように、期限は三年。
ぐらぐらと一時間ほど煮込んでから、中のものを布で漉して数回ろ過させれば完成となった。
「こんなものかな?」
『いいね』
リンゼイは小瓶に注いだ瓶をリリットに渡して『鑑定』をお願いする。
『はいはい、任せて~』
蒼の霊薬
性能:外傷・大回復
期限:三年
『うん、問題ないみたい』
「そう」
『とりあえず、販売する商品は二つだけ?』
「ええ。色々反応も見たいからね」
リンゼイはエプロンを取り外し、完成をした霊薬を持って一階に上がる。
途中ですれ違った執事に聞けば、クレメンテは庭に出て竜と一緒に居るとのこと。
リリットは調理場から漂っていたお菓子の匂いにつられてふらりと姿を消していた。
外に出てみれば、銀竜・プラタと戯れるクレメンテの姿があった。
「あ、リンゼイさん」
「なんか、すごく懐かれている感じ」
「いや、なんか、ただ遊ばれているというか」
「竜の子は人見知り激しいんだけど、この子の場合は例外だよね」
「みたいですね」
プラタはリンゼイの姿を確認すると、挨拶をするかのように『クエ!』と鳴いた。
黒竜・メレンゲは少し離れた場所で、穏やかな目で見守っている。
「なんかもう、慣れまくっているから、契約をしてもいいかもね」
「はい」
だが、念のためにもう少しだけ期間を開けてからにしようと、二人で話し合って決めた。
「あ、そうそう。霊薬が完成したんだけど」
「本当ですか?」
「ええ」
青色の霊薬を見せれば、クレメンテは嬉しそうな表情を見せていた。
「これも『青の霊薬』って名前で売るの?」
「そうですね。名前にも統一感があった方がいいでしょう」
クレメンテはここで話すのも何だからと、家に戻ることを提案した。
部屋に戻ったついでに、執事を呼んで新商品の値段を決めて貰う。
外傷から骨折などのちょっとした内部損傷ならば一瞬で回復するという薬を前に、執事・シグナル・エーリンはたいそう驚いた反応を見せていた。
薬の効果を確認することは出来ないが、どうにか値段を考えてくれないかと、クレメンテは頼む。
「――そうですね。こちらは、金銅貨一枚でいかがでしょうか?」
「少し高くない?」
「奥様、これは大変画期的なお薬です。金銅貨一枚でも安いと思います」
「そう? だったら、そうする」
シグナルは物価についてや、貴族の金銭感覚についても教えてくれた。
「まあ、問題はどうやって貴族相手に売るか、でしょうねえ」
「そこは一回夜会に参加をして、周囲を参考にするしかないですね」
クレメンテはその辺に詳しい者は残念ながら屋敷に居ないという。
「旦那様、参加される夜会はお決まりで」
「はい。弟に手配をして貰いました」
「左様でございましたか」
執事は最後に提案をする。
二人のお店の屋号を決めた方がいい、と。
アイテム図鑑
貝形の焼き菓子
その甘さは、人生には必要なものである。




