百十六話
それほど広くない空間にメレンゲクラスの大きな竜が出現し、対するクレメンテらは戦慄を覚えた。
竜が縦横無尽に飛び回るような空間はない。だが、ブレスは広範囲に渡る攻撃となる。
幸い、皆リンゼイの炎の魔石を身に着けていた。炎属性の耐魔力があるので、多少の攻撃は防ぐことが出来る。
火竜は低い声で咆哮した。
全員、示し合わせていないのに、息をぴったりと合わせて、元来た通路に全力疾走で移動する。
リンゼイは地面に魔石を置いてから、早口で呪文を捲し立てた。
魔石の周辺に赤い魔法陣が浮かび上がる。
「魔法陣の中に入って」
術式を理解したウィオレケはすぐに怪植物と一緒に魔法陣の中に入る。
リンゼイは急いで魔法陣の外に居たリリットの体を手で掴み、もう片方の手はぼんやりとしていたクレメンテの腕を掴んで引き入れた。
『リンゼイ、それ、何?』
「火属性の攻撃を吸収するやつ」
『へえ、そんなものが』
リリットが魔法陣の感想を言いかけたその時、竜の口先が通路に出て来て、炎のブレスが吐かれる。
『ヒエッ!!』
悲鳴を上げながら、リリットはクレメンテの背に隠れた。
炎は届くことなく、魔法陣が綺麗に吸い取っていた。
リンゼイは術式を強化させる為に、もう二、三個、魔石を魔法陣に叩きつける。
「姉上、これ、どれ位保つの?」
「一晩位」
とりあえず、その場にしゃがみ込んで落ち着くことにした。
皆、まさかの敵を前に、表情を強張らせる。
特に、リンゼイとウィオレケは頭を抱えていた。
「『竜保護条約その二十一』、竜を見つけた場合、可能な限り戦闘は回避せよ……」
「『竜保護条約七十八』、竜に出会ったら、可能な限り交渉をすること……」
荒ぶる竜を前に、ぶつぶつと国の竜の保護条約を呟く姉弟。
彼らの祖国、ミラージュ公国での目的のない竜殺しは重罪となる。
それに、竜を友としている姉弟にとって、辛い相手でもあった。
「あれ、どうすればいいの?」
「……」
リンゼイは誰に問いかけることなく呟く。ウィオレケは言葉を失っていた。
戦うとしても、勝てるか勝てないかを考えれば、微妙なところである。
まず、飛行出来るほど広い場所ではないので、竜の戦闘能力は三分の二ほどになることは想定出来た。
「とりあえず、氷漬け」
「姉上、絶対無理だから」
倒すことは当然ながら考えない。
世界的に数が一番多いとされる火竜であれ、意味もなく討伐するのは気が引ける。
『リンゼイ、火竜と共鳴してみれば?』
共鳴。
知能を持つ生物の気持ちを読み取ることが出来る術式である。
リンゼイはリリットの言う通り、火竜の感情を読み取る為に呪文を唱えた。
「……」
竜は炎を吐き続けている。
迷宮内の氷は特別な物なのか、竜の炎に炙られても溶けることはなかった。
そして、リンゼイは唸りながら炎を吐き出している竜の感情を読み取る。
――ニンゲン、皆殺シ。アトデ、丸焼キニシテ、バリムシャ。
「……うっ」
「リンゼイさん!?」
口元を押さえるリンゼイの肩をクレメンテが支えた。
『リンゼイ、なんって言っていたの?』
「……」
珍しく、背中を丸めながら呟く。
「人間は全て丸焼きにして食べる、ですって」
『うわ~、きつい』
「命を狙われている場合は、竜の保護条約はどうなっているのですか?」
「その場合は討伐も致し方ない、って感じなんだけど」
比較的、気性の荒い個体が多いという火竜である。今回のような事態は今までにも何件か報告されていた。
『ここはリンゼイ達の国じゃないしね。罰せられることもないから。まあ、気持ち的な問題であることも十分に理解出来るけれど』
人間に良いものと悪い者が居るように、高い知能を持つ竜にも様々な性格や気性、考えを持っている。
竜だから、という理由で躊躇っていたら、自分達が危ない状況へ陥ってしまうのだ。
「分かってる」
「あの竜は、こちらに敵対心を持っている以上、倒さないといけない」
ウィオレケの言葉に、リンゼイも頷く。
まずは、現状をどうにかしなくてはならない。
魔法陣の周りは炎に包まれていた。
「多分、竜のブレス位だったら、魔石が吸い取ると思うけれど」
無限に竜のブレスが無効化になるわけではないが、数回浴びても問題ないとリンゼイは言う。
とは言っても、竜の脅威は口から吐き出されるブレスだけではない。
鋭い爪や鋭利な牙、突風をも巻き起こす翼など、直接の戦闘能力も高い上に、人知には及ばぬ力、『魔法』を使ってくることもある。
リンゼイは前衛で戦うことになるクレメンテに、霊薬はいつでも取り出せる場所に持っておくようにと勧めていた。
『あ、そうそう、クレメンテにずっと言おうと思っていたんだけど』
「はい?」
先日、≪黒霧≫を体から追い出す為に竜の鱗を飲んだ。そのことによって、体に新たな能力が備わったという。
『白竜の化身、って言うんだけど』
「そ、それは?」
『白竜の化身』
竜の体の一部である鱗を飲んだ者にごくまれに現れるもので、鱗の持つ特性をその身に宿す者を示す言葉である。
『だから、クレメンテは多分怪我とかを負っても自動回復されるんじゃないのかな?』
「あ! そういえば」
≪黒霧≫を体から追い出す際にクレメンテは腿をナイフで刺した。その傷はいつの間にか塞がっていたと話す。
『そう、それ!』
「ですが、信じられないお話でもあります」
『調べたけれど、首を一瞬で潰すか、心臓をくり抜かない限り死なないっぽいよ』
「なんだか、水蛇みたいですね」
リリットは信じられなかったら、リンゼイに頬を叩いて貰えばと言う。
「な、なんで私が叩かないといけないのよ!」
『いや、効果を実感した方がいいかなって』
しようもない提案をするものだと呆れていたが、クレメンテは良かったらお願い出来ないかと頭を下げてくる。
「……あなた、もしかして」
「はい?」
リンゼイは胡乱な目でクレメンテを見る。
「叩かれたりするのが好きな人なの……?」
「ち、違います!!」
誤解があったらこの先困るので、はっきりと言っておく。
傷が回復すると分かれば、戦い方も幅が広がる。その為の確認なのだ。
姉夫婦のやり取りを眺めていたウィオレケが、あることを指摘する。
「義兄上」
「はい?」
「白竜の力の確認ならば、ナイフとかで自分の肌を軽く裂いた方が早いかもしれない。頬を叩くとなれば、姉上の手も痛くなる」
「あ、ああ! そうですね、すみません」
一応、念の為にウィオレケは「姉上、義兄上は疲れているだけだから」と弁護をしておいた。
「あ、でも、ナイフで切りつけるのはやり過ぎなんじゃないの?」
「大丈夫ですよ」
クレメンテは変なことを頼んでしまったと平謝りをしながらナイフを取り出した。
そして、兜の前部分を開き、躊躇することなく頬を切りつける。
周囲の者達が想定していた以上に深く傷つけたので、ぎょっとすることに。
滴り落ちる血にハンカチを当てようとリンゼイが道具箱の中を探っているうちに、頬の傷は一瞬で消えることになった。
「あ、本当に傷が!」
「これが、白竜の力!」
リンゼイとウィオレケが熱い眼差しをクレメンテに向けられていたので、一人で照れていた。
周囲は炎に包まれる中、呑気なものだとリリットは思う。
「義兄上、痛みは?」
「普通にありますね」
痛みを感じないと、人は人でなくなってしまう。これで良かったとクレメンテは言う。
『痛みに慣れているような印象はあるけどね』
「昔から、切り傷なんて日常茶飯事でしたから」
訓練は祖父の方針で、刃を潰した剣を使わずに、実戦で使う物と同様の物を使っていた。故に、毎日傷だらけな少年時代を過ごしたと話す。
クレメンテの昔話を聞く姉弟の目は潤んでいた。
これからはもっと優しくしようと改めて思うリンゼイとウィオレケであった。
依然として、火竜は火を吹き付けている。
「さて、作戦を決めなければいけないですね」
一同は、竜との戦い方を真面目に考えることにした。
アイテム図鑑
リンゼイの平手打ち
クレメンテのご褒美シリーズ。




