百十三話
「あっ、姉上!!」
『リ、リンゼイ~~』
リリットはもう駄目だと思い、両手で視界を覆って悲鳴を上げた。
だが、想定していた出来事は何も起こらない。
振り上げた剣は、リンゼイに到達する前にカランと音を立てながら床に落ちて行った。
はっと目を見張るリンゼイ。
だが、クレメンテの赤い目が、元に戻った訳ではない。
「姉上!!」
クレメンテが腰のベルトからナイフを引くのと同時に、ウィオレケはぼんやりと佇むリンゼイの腕を掴んで力の限り引っ張る。
素早く振り上げられたナイフは、クレメンテの腿に深く突き刺していた。
『ク、クレメンテ?』
「義兄上……」
「あなた、なんてこと、しているの?」
不可解な行動に出るクレメンテの一挙に、一同は目を奪われていた。
糸が切れた人形のように地面に崩れ落ち、膝を付いて、手にしていたナイフを落とす。
リンゼイは弟の手を振り払い、傍に駆け寄って体を支えた。
「ね、ねえ、大丈夫なの?」
「……さん、……て」
「え?」
「体の、……自由が、……ない」
息も切れ切れにクレメンテは逃げろと伝えるが、リンゼイは傍を離れようとしなかった。
太腿に突き刺さったままのナイフも気になってはいたが、この傷のお蔭で自我を保っているように見えるので、治す訳にはいかない。
ガタガタと震え出すクレメンテに、リンゼイは成す術もない。
「――お願い、この人、可哀想な人なの、お願いだから……」
出来ることは、取り憑いた≪黒霧≫に懇願するばかりである。
黒い霧は願い事など聞いてくれるはずもなく、炎で炙るように取りついた人間を苦しめていた。
さすがのリンゼイも、濃い魔力の塊とも言える≪黒霧≫が纏わりついた体を支えきれずに、手を離してしまった。
クレメンテは地面に両手を付いてくぐもった声を漏らす。
『リンゼイ、お願い、離れて!!』
今度は、リリットの言葉に従う。
リンゼイは杖を取り出して、呪文を唱え始めた。身動きが取れないように炎で檻を作り、クレメンテの周りを囲む。
「あ、姉上、義兄上は……」
「考えているから、待って!!」
憑代が傷つくことを良しとしないからか、炎の檻の中のクレメンテは大人しくしている。
だが、長い時間こうしている訳にもいかない。
じりじりと燃える地面からの煙を吸い込んだクレメンテは咳き込み始める。
「姉上、もう義兄上が」
「分かっているってば!!」
焦るばかりで、いい案は浮かばない。
いっそのこと氷漬けにして保存しておこうかとまで考える。
やけくそになって出した案であったが、意外なことにウィオレケは賛同した。
「姉上、氷漬けにするのも、いいかもしれない」
「え?」
「義兄上はこのまま悪鬼となるだろうから、誰かに殺されるよりは」
リンゼイは神妙な顔で弟の顔を見る。
リリットはそんなことをしてはいけないと、止めに入っていた。
『ねえ、もうちょっと考えようよ、落ち着いて、みんな』
「早くしないと、義兄上が保たない!」
『そんな~~』
ウィオレケも杖を取り出して、構える。
リリットは頭を抱え、唸り出す。怪植物はおろおろしながら、葉を揺らすばかりだ。
けれど、リンゼイはまだ、諦めていなかった。
ふと、弟の手元を見て、閃く。
「――あ、あった!!」
「!」
隣でリンゼイが突然大きな声を出すので、ぎょっとするウィオレケ。
しかも、杖を握る手をがっつりと掴まれていた。
「あ、姉上、何?」
「白竜の鱗!」
「!」
ウィオレケの人差し指には竜の鱗が付いた指輪が嵌っている。
白竜の鱗は極めて力の強い光属性を持っていた。
どうにかして体内に取り込ませたら、中に居る≪黒霧≫を浄化させることが出来る。
クレメンテの為に使わせてくれないかと、リンゼイは頭を下げた。
ウィオレケはお願いされるまでもないと指輪から鱗を外して渡した。
「問題は、どうやって食べさせるか、よね」
「……」
時間はない。
早くしないとクレメンテの気力も尽きてしまうだろうと、炎の檻の中に閉じ込められている姿を見ながら思う。
リリットはハッとなり、思いついたことを口にした。
『ね、ねえ、筋肉妖精を呼ぼう!!』
「それしかない!」
「お願い、リリット!」
道具箱の中から取り出された『妖精の鐘』を五回ほど鳴らした。
何もない所から大きな花が咲き、その中から五人の妖精達が次々と出て来る。
「うっ……。ご、五人も……」
「ねえ、リリット、ちょっと呼びすぎたんじゃない?」
『いや、相手はあのクレメンテだよ? 五人じゃ足りなかったかもしれない』
筋肉妖精達に事情を話せば、快く了承してくれた。
リンゼイが白竜の鱗をクレメンテに食べさせる役になる。
炎の檻を解けば、一気に筋肉妖精が飛びかかった。
だが、寸前で避けてしまう。
しばらく追い駆けっこをしていた。
途中、怪植物が『ゴメ~ン』と言いながら、クレメンテの足を伸ばした蔓で引っかける。
転倒すれば、あっという間に拘束されてしまった。さすがのクレメンテも、大きな体を持つ妖精五人に取り押さえられたら、身動きが取れなくなる。
『リンゼイ、今のうちに!』
「分かった!」
リンゼイはクレメンテの口許に白竜の鱗を持って行ったが、唇はきっちりと閉ざされていて、無理矢理こじ開けても歯を食いしばっていた。
「もう、なんで、歯を、食いしばっているの~~」
頬を圧迫して力任せにどうにか口を開かせようとしたが、上手くいかない。
だんだんと頬が赤くなってきて、可哀想になったので手を離す。
鼻を摘まめば息が出来なくなって口を開くかもしれないと思い、実行したがいつまで経っても開かなかった。このままでは死ぬので、手を離すことに。
苛ついたリンゼイは、文句を口にする。
「いいから、観念して口を開きなさい!!」
そんな風に命じれば、クレメンテはぱかっと口を開く。
「あ、姉上!!」
「え、嘘!?」
リンゼイは急いで竜の鱗を口の中に放り込む。すぐさま口を塞いで吐き出さないような対策を取った。
ごくりと飲み込んだところまで確認して手を離し、経過を見守る。
しばらくすれば、クレメンテは首元を押さえて苦しみ始めた。
≪黒霧≫が体の中から逃げようと出て来ていたが、じわじわと色が薄くなっていく。
そして、≪黒霧≫は白竜の持つ浄化の力によって消失することになった。
役目を終えた筋肉妖精は安堵の表情を浮かべる姉弟の顔を見ながら消えて行く。
リンゼイはいつまで経っても起きないクレメンテの頬を更に叩いて起こす。
既に真っ赤に腫れている頬に鞭打つような行為であった。
「姉上、なんか、もうちょっと優しく」
『目覚めのキスをするとかさ~』
「な、何を言っているの!?」
先ほどのようにリンゼイが命令をすれば起きるのでないかとリリットは言う。
そんなバカなと思いつつも、「早く起きなさい!」と鎧に包まれた胸をコツコツと叩いた。
「――!?」
クレメンテはリンゼイの言うことを聞いて目を覚ました。
本当に言うことに従うので、リリットは噴き出してしまった。
顔を覗き込めば、いつもの青い目に戻っていたので、ホッとする。
クレメンテは体の自由が戻ったのが不思議なのか、手を挙げて裏表とひっくり返し、眺めている。
その手を、リンゼイは両手で優しく包み込んだ。
「大丈夫?」
「……はい」
「良かった」
微笑みを向けられたクレメンテは、感極まって目を閉じる。
そして、「ありがとうございます」と何度も感謝の気持ちを伝えることになった。
◇◇◇
『微笑みかける肖像』はごく普通の、笑顔が美しい女性が描かれた肖像画であった。
「これ、所持していた国の王族がここの元の主人から無理矢理取り上げた品らしいです」
「そうだったの?」
『またこのパターンかあ』
何百年も前に、王族と貴族の間で起きた諍いが原因で、このような白骨死体だらけの屋敷になってしまったと話す。
「同化をしている間に、彼の記憶が流れ込んできて……」
夜会の晩、とある貴族の妻を一目で気に入った王族は、どうしてもその女性が欲しくなった。翌日、公妾として迎えるからという通知を突然送り込み、幸せな夫婦を絶望に突き落とす。
王族の命になど逆らえる訳もなかったが、貴族の男は妻を渡さないと反発をした。
悲惨なことに男はその日のうちに処刑されてしまった。
妻を奪われた男は恨みが死してなお強く残り、彼の魂は≪黒霧≫と化してしまった。
その後、処刑を知らされた妻も後を追っていたことは知らずに、避暑用の屋敷へやって来た王族一家を襲い、長い間屋敷の中を彷徨っていた。
「もしかして、リーゼロッタ大国にある呪われた湖畔の屋敷って……」
『ここかもしれないね』
「いや~~!!」
クレメンテは一人の女性を巡る愛憎劇の続きを語る。
貴族の男の妻が描かれた絵画は、深い頭巾を被った男が持って来たという記憶が残されていた。
シフォン・イズルーンがリーゼロッタ大国の王宮から絵画を盗み出して、ここに持って来ていたのだ。
国は一人の王族の醜聞を隠す為に、貴族の妻の絵画を国宝として定め、誰にも見られないように王宮の地下深くに眠らせていた。
「本当に、どこから見ても普通の絵ね」
「ええ」
この絵をリーゼロッタ大国に返すのもなんだか違うような気がしたが、ここにはもう誰も居ない。
これらの情報は知らなかったということにするしかないとクレメンテは言う。
皆、その考えに同意した。
絵画を手に取れば、地下の階段が出てくる。
降りたら元の迷宮に戻っていた。
「一度、帰りましょう」
「義兄上の頬、薬を飲むか回復呪文を掛けた方がいいかもね」
「!」
ウィオレケの指摘に、道具箱の中から霊薬を取り出して申し訳なさそうな表情で手渡すリンゼイ。
そんな様子を見て、クレメンテは笑ってしまった。
アイテム図鑑
白竜の鱗
治癒と結界の力がある鱗。
六十七話でかつてウィオレケが契約を結んでいた白竜クロームから譲って貰った鱗である。
鱗はクレメンテの中で溶けて、黒い霧を祓った。




