百十二話
人の気配はないのに灯りが点され、埃一つ落ちていないという不気味な部屋だった。
何が起こるか分からない場所である。
「見るからに、怪しい部屋……」
「姉上、あまり義兄上の腕を締めない方がいいのでは?」
気丈な振りをしているが、リンゼイは極限状態にあった。
泥人形を召喚した時の威勢のよさは既に消え失せ、部屋の中を目の当たりにした途端にクレメンテにしがみ付いていたのだ。強く締めすぎて、クレメンテの鎧がギシギシと悲鳴を上げている。
ウィオレケは状況に慣れたからか、比較的落ち着きを取り戻していた。
「中の様子を見てきましょうか」
「!」
びくりとリンゼイの肩が震える。
ウィオレケは姉の体を義兄から離してやった。
「大丈夫ですよ、リンゼイさん」
「!」
「必ず、私が守りますから」
「う、うん」
リリットは手足をバタつかせつつ、『カァ~~!!』と叫びたいのを我慢する。ウィオレケはうっとりと義兄の顔を見上げる姉などは見なかったことにしていた。
クレメンテは慎重な足取りで部屋の中に入る。
後に続く者は居ない。
内部を見渡したが、他の部屋のような白骨死体はなかった。外から見た通り、肖像画と円卓、甲冑の置物があるだけだった。
何もないようだという報告をすれば、ウィオレケはリンゼイの手を引いて部屋の中に入る。リリットは背負われている怪植物の葉と葉の間に身を滑り込ませた。
「それが、『微笑みかける肖像』、なの?」
「多分」
「リリットさん、調べて貰えますか?」
『了解~』
リリットはふわりと飛び上がってから『鑑定』で視てみたが、情報がぼやけていて読み取れない。
『う~ん、布が掛かっているから視えないのかな~』
「取りましょうか?」
『よろしく~』
クレメンテが布に手を伸ばした刹那、傍にあった甲冑が急に剣を抜いて動き出す。
悲鳴を上げてその場に蹲るリンゼイ。
ウィオレケとリリットは呆然とする。
怪植物はまたしても『今度ハ何カナ~?』と情報の把握が出来ていなかった。
クレメンテは剣を抜いて振り下ろされた刃を受け止める。
――……ソノ絵ニ……触レ……ルナ……!!
甲冑の中から発せられるのは、地を這うような低い声であった。
怨念の塊のようなそれは、何度もクレメンテに剣を振り下ろす。
『あ、あいつ、すごい魔力量!』
「親玉って訳か?」
『みたい』
ウィオレケは魔術の呪文を詠唱し、地面に氷を走らせる。
氷は甲冑の足元を捉え、身動きが出来ないようにした。
クレメンテは迷うことなく首を跳ねる。
兜は飛んで行ったが、手応えは軽いものであった。
甲冑の中は空だったのである。
『う、嘘……』
「……」
「やだ、もう、やだ」
リンゼイは顔面を覆い、全く使い物にならない状態になっていた。
「あれは、霊体騎士!?」
霊体騎士。
実体のない、魔物の仲間に入れて良いものかよく分からない存在である。
正体についても謎に包まれており、詳しく解明されていない。
甲冑の中から、黒い靄のようなものが滲み出てくる。
『ヒエッ!!』
「な!?」
それは、恨み、妬み、怨嗟、憎悪、破壊衝動など、人の正しい心を喰い潰す感情を濃縮したようなものであった。
「あの、黒いモヤモヤしたのはなんなんだ!?」
『≪黒霧≫だよ~! 人は負の感情に惑わされると、あれに支配されてしまうの~!!』
リリットが出会ったばかりのクレメンテにも、全身にうっすらと≪黒霧≫が纏わりついていた。リンゼイと結婚するまでの彼の人生は、決して明るいものではなかったのだ。
現在はその黒い霧も綺麗に晴れている。
人としての喜びを知れば、黒い霧は自然と晴れていくのだ。
日々、無くなっていく霧を前に、リリットは驚いていたのを思い出した。
「だったら、あれって、浄化とか無理なんじゃない!?」
『あ、うん。そうかも』
強力な光魔術で魂ごと焼くという乱暴な手もあるが、リンゼイもウィオレケも使えないので意味のない作戦であった。ここでも、神官職だったクライナの不在が悔やまれる。
黒い霧はクレメンテの剣に絡まり始めた。
即座に剣を捨てて、後方に跳んで距離を取る。
剣は自我を持ったようにゆらりと浮かんできた。ぶんぶんと素振りをするような動きを見せながら、クレメンテの方へ飛んで行く。
ウィオレケは氷魔術を放ち、剣を壁に貼り付けた。
氷漬けで動けなくなったので、≪黒霧≫はじわりと滲み出るようにして、剣から離れる。
「くっ、キリがない!!」
『霧ナダケニ~~?』
「……」
怪植物の合いの手は綺麗に無視された。
ゆらりと、漂う黒い霧は、今度はクレメンテに直接襲い掛かる。
「――くっ!」
「義兄上!」
『わあ、クレメンテ~~!!』
払う手は空しく宙を掻くばかりで、鎧の隙間から霧が入り込み、クレメンテはびくりと体を震わせる。
何度か咳き込んで、兜の隙間から血を滴らせていた。
「に、逃げ……て」
自我を保てなくなると思い、血を吐きながら必死にここから逃げるように伝える。
意識はどんどん黒い感情に塗りつぶされていた。
ガシャンと、音を立ててクレメンテは倒れる。
鎧の隙間からは黒い霧がたちこめ、カタカタと微かに金属音を鳴らしていた。
一目で、それが邪悪なるモノに支配される前の状態だと分かる。
逃げなければと、リリットの直感が訴える。
クレメンテに憑依した≪黒霧≫には絶対に勝てないと、一瞬で答えを導き出した。
リンゼイとウィオレケ。二人を転移するだけの力は残っている。
説得は後だと呪文の詠唱を始めようとしたその時、まさかの行動に出る者が現れた。
「――クレメンテ!!」
リンゼイは立ち上がって倒れたクレメンテに駆け寄る。
乱暴に兜を外してその辺に投げた。
「鎧はあげるけど、中の人は駄目!!」
な、中の人って……。
リンゼイの行動と発言に言葉を失うリリット。
ウィオレケも姉の行動力に驚いていた。
「ね、ねえ、これ、どうやって外すの!?」
リンゼイは涙を溢れさせながら振り返る。
兜以外、力任せでは外れないようになっていた。
『リンゼイ、駄目だよ、それは無意味なこと……』
彼女が恐怖に堪えながら必死になってクレメンテを助けようとしていたのは痛い程分かっていた。だが、≪黒霧≫は鎧ではなく、クレメンテ自身に取り憑いているのだ。
リリットは悪いと思いながらも、ここから逃げる為に転移の呪文を唱え始める。
だが、予想外の行動に出る者が、もう一人居たのだ。
「メルヴ、お前はここからリリットと逃げるんだ」
『エ?』
背負っていた怪植物を地面に下ろし、逃げるように言い含める。
それから、姉と義兄の元へ走って行った。
『ちょ、ウィオレケ!!』
まず、リンゼイにしっかりしろと背中を叩き、それから器用に手甲のネジを回して外していく。
『リンゼイ、ウィオレケ、止めて! ≪黒霧≫は、クレメンテに憑いているから、意味がないんだよ!』
リリットがそう言えば、カッとクレメンテの目が開く。
いつもの青い目ではなく、血で染めたような真っ赤な色に染まっていた。
すぐに、クレメンテではないことが分かる。
ぞわりと全身に悪寒が走ったウィオレケは、力任せにリンゼイの手を引いて立ち上がらせて距離を取った。
≪黒霧≫が取り憑いたクレメンテは、壁に氷漬けとなった剣をいとも容易く剥している。
何度か剣を振り、氷の粒を全て払って落とした。
ウィオレケはこの場から逃げようと、姉の手を引いた。
だが、彼女はその場から動こうとしなかった。
うわ言のように、リリットにウィオレケを頼むと願う。
クレメンテは剣の先をリンゼイに向けた。
そんな中で発せられた言葉は、誰も想像していないことであった。
「ねえ」
剣を向けられても、臆することなく話し掛ける。
「もう、いいから」
宝探しなどどうでもよくなった。
薬屋も畳んでしまおう。
リンゼイは自我を失ったクレメンテに語り掛ける。
「私、家族以外、もう、何もいらないから……」
先ほど、クレメンテが話をしていたように、屋敷のみんなに退職金を払って、たくさんお礼を言ってから、ウィオレケとリリットと怪植物を連れて旅に出ようと、リンゼイは言った。
「だから、一緒に帰りましょう?」
リンゼイは手を伸ばす。
初めて、彼女から分かりやすく示したクレメンテへの好意でもあった。
しかしながら、返されたものは、鋭く尖った剣。
誰かの悲鳴が部屋の中で響き渡る。
アイテム図鑑
クレメンテの兜
現在血まみれ。
※リリットがクレメンテの≪黒霧≫に気付くお話が九話にあります。




