百九話
ドン、と重たい砲撃の音が鳴り響く。その度に船は大きく揺れた。
「リンゼイさん、大丈夫ですか!?」
「ええ、平気。ありがとう」
グラグラと安定しない船内で転倒しないように、クレメンテはリンゼイを守りながら前に進む。
外はさわやかな晴天である。海は凪いで、横から心地よい風が吹いている。素晴らしい航海日和であった。
だがしかし、海原からとんでもない巨大生物が顔を出している。
頭部は三角形の帽子を被っているような形態で、胴は長い。目はぎらりと赤色に光、足元からは十本の触手のようなものがうごめいている。
大軟体十本足。
船乗りが恐れる海の魔物である。
発見情報が寄せられたのは半世紀以上も前だと言われていた。
襲われた船の多くが沈められたと想定すると、見た者は誰も居なくなる。長い間、密かに海で猛威を振るっていたのかもしれない。
甲板にある艦砲が船長であるレオンの指揮で大軟体十本足目掛けて放たれる。
訓練を積んでいない素人が砲撃手なので、ほとんどが命中しないまま、弾はむなしく海に沈んでいくばかりであった。
大軟体十本足との距離は近くもなく、遠くもなく。
だが、触手状の長い足を伸ばせば甲板へと届いてしまう。
少しでも足が船に触れたら大きく揺さぶられる。
船員は大型弩弓を使って応戦していた。
「さて、どうしようか」
「……ええ」
リンゼイは鞄の中からリリットを呼んで、急所が分かるか聞いてみた。
『皮膚が厚いから衝撃には強いみたいだね。耐魔力もかなりある模様。唯一の弱点といえば、胴体と足の付け根に神経が集中しているから、そこを斬りつけるといいかも』
大軟体十本足は接近戦でしか倒せないということになる。
周囲は海で、船で接近することは転覆の危険が高まるので極めて危険。
弾力のある体は砲撃を跳ね返していた。リンゼイの『黒の砲撃』も効かない可能性が浮上する。威力はだいたい同じものであった。
『リンゼイが魔術で足場を作って、クレメンテが大軟体十本足に接近するとか?』
「ああ、海を凍らせてね」
残念ながら、リンゼイは氷魔術が苦手であった。海面を凍らせて足場を作るほどの大魔術は使いこなせない。
「ウィオレケだったら出来たかも」
『わ~お、それは残念!』
飛行板は魔力がないと乗りこなせない。
どうしたものかと考えていれば、大軟体十本足の白く長い足がリンゼイを目掛けて伸びてくる。
リンゼイは応戦しようと道具箱の中から氷の魔石を取り出したが、投げる前に触手のような足は宙を舞っていた。クレメンテが剣で斬ったのだ。
太い足先は海の中に沈んでいく。
『さっすがー!』
「あ、ありがとう」
「いえ」
砲撃の勢いはどんどんと落ちて行った。慣れない魔物との戦闘に船員にも疲れが出てきている。
早く決着をつけなければならない。
「先ほど、小舟があるって船長さんが言っていましたね」
「もしかして、それで大軟体十本足に近づくって言うの?」
「他に方法を思いつきません」
大軟体十本足の周囲は白波が立っていて大変危険な海原と化している。
『でも、触手さえなんとかすれば、近づけるかもしれないね』
現在、軟体十本足の足はクレメンテが一本切り落とし、船からの砲丸が当たってニ本弾け飛んでいた。
残りは七本となっている。
リリットは縦横無尽に動く軟体十本足の足を見ながら、ごくりと唾を呑み込んだ。
『……大軟体十本足、塩を振って炙ったら美味しそう』
「あ、あんなのゲテモノじゃない!」
『リンゼイの国じゃ食べないんだねえ。塩をぱっぱとかけて食べたら美味しいんだよ~』
「……」
リリットの話は無視して作戦の実行に移す。
「私は大軟体十本足の足を切り落とすので、リンゼイさんとリリットさんは船長さんに船を出して貰うように言ってくれますか?」
「分かった」
『了解~!』
クレメンテはリンゼイとリリットが船長の元に辿り着いたのを確認すると、使っていない大砲を踏み台にして船縁に立ち、軟体十本足と向かい合う形になった。
目立つところに標的が居れば、誘われるようにして足を伸ばして来る。
自分の所に向かってきたのを確認すれば船縁から降りて剣を構えた。
まんまと引き寄せられたのは二本の足。ぐねぐねと軌道を変えながらクレメンテに向かってくる。一本目には手裏剣を投げた。当然ながらすぐに弾かれてしまう。目的は船の柱に向かっていた軌道を逸らすことで、仕留めようと思って放ったものではないので問題なかった。
続けてくる二本目の足先を斬りつけた。斬り落としたのが先端だけだったからか、まだうごめいている。真ん中の太い神経がある場所を斬らないと動きを止められないことが分かった。
再び大砲を台にして跳び上がり、上に下にと動き回っていた太い触手状の足を斬り落とす。
一本目の足は船員達が協力をして仕留めていた。
残りは五本。
リンゼイはクレメンテが軟体十本足と戦っている間に、船長と交渉して小舟を出して貰わなければならない。
『リンゼイ、ちゃんと下手に出てお願いするんだよ』
「分かってる」
苛立った様子を見せている海賊船の船長・レオンにずんずんと近づいて行って声を掛けた。
「ねえ」
「!」
強面の海賊に臆することなく話し掛ける。
下手にと注意していたが、リンゼイの態度はいつもの不遜なものであった。
リリットは大丈夫なのかと、はらはらしながら交渉を見守る。
「なんだ、話は後でにしてくれ」
「この船を助ける為の話でも?」
そう言えば、レオンはあっさりと話を聞いてくれた。
クレメンテの実力はよく理解をしているようで、すぐに対応に移す。
避難用の小型船は軟体十本足が居ない方へ下ろすようにお願いをした。
船員に命じて縄で小型船を吊るし、その場で待機してくれる。
後は下ろすだけとなれば、リンゼイはクレメンテを呼びに行った。
軟体十本足の足は最後の一本になっている。
あとは船員に任せて、声を掛けてから後退した。
「おい、あの波の中にこんなちっちゃい船で挑めば一瞬で沈んでしまうぞ!? 本当に大丈夫なのか?」
「はい、多分!」
そう言ってから、縄で吊った小型船に乗り込むクレメンテ。リンゼイは飛行板に乗って船から飛び出す。
『うわ~、ちょっと待って待って!!』
置いて行かれたリリットは、どちらに行くべきか一瞬迷い、仕方なくリンゼイの鞄に潜り込むことにした。
小型船はゆっくりと海面へと下ろされる。
リンゼイは船の後を追うようにして飛んでいた。
櫂でゆっくり漕いでいたら、軟体十本足に近づいた瞬間に沈められてしまうので、船は魔術の力で進んで行く。
「ねえ、クレメンテ、覚悟はいい?」
「いつでも」
頼もしい返事が聞こえて来たので、リンゼイは術式を組んで船を動かす。
レオンにも砲撃を止めるように合図を出した。
静かになったのを確認してから、海賊船をくるりと回って、軟体十本足が居る方向へと向かう。
小型船は風を切りながら素早い動きで進んでいた。クレメンテは振り落とされないように船の縁を掴んで耐えている。
『リンゼイ、船、ちょっと速くない?』
「仕方ないでしょう?」
小型船はリンゼイの飛行が追い付かない程の速さで進行していた。
モタモタしていたら軟体十本足が巨体を海賊船に打ち付けそうな雰囲気があったので、急いでいるのだ。
軟体十本足は短くなった足を海面に打ち、波を起こす。
リンゼイ操る小型船は右に、左にと動いて波打つ水の打撃を器用に避けていた。
クレメンテの眼前に軟体十本足の巨体が迫る。
膝をぐっと曲げて力の限り跳躍し、急所である部位を斬りつけた。
神経が集中している部位を裂かれ、体の色が真っ青に変化する。
ぐらりと、軟体十本足の体が傾く。
攻撃を終えた後のクレメンテの体は海に放り出された。
追い打ちをかけるように、大量の血を噴いている傷口に向かってリンゼイは魔術を叩きこむ。
――黒の大砲!!
黒い砲撃が軟体十本足を襲う。着弾すれば、大爆発を起こした。
「――くっ!」
『ひえええええ!!』
爆風に煽られたリンゼイも海に真っ逆さまとなった。
リリットを巻きこんでぶくぶくと沈んでいく。
真っ暗闇の世界に呑み込まれた。
アイテム図鑑
軟体十本足のげそ焼き
大きな竈の中で足先がくるんと曲がるまで焼く。
塩を軽く振って食べると美味。
プリプリコリコリとした食感。
美食家の間では伝説の食材の一つとされている。