百七話
一晩中嵐の中で魔術を使い続けていたリンゼイはくたくたになっていた。体や精神の疲労は霊薬を飲んで回復した。
だが、海の水を浴び続けていた為に感じている体の不快感だけはどうにもならなかった。
風呂に入りたいと、ぶつぶつと呟くリンゼイ。クレメンテの鎧もどうにかしなくては錆びてしまう。
二人でどうしようかと船室の上で話し合っていたら、甲板から声を掛けられた。
いかにも海賊といった風貌の、体の大きな男である。
相手から敵意のようなものは感じられず、それどころか二人を命の恩人として扱ってくれるようだった。
船室の上から降りて適当な事情を説明すれば、あっさりと信じてくれた。
お礼に食事も準備してくれると言う。
図々しい願いであったが、風呂があるかと聞いてみる。だが、水が貴重とされる船の中に浴室は無かった。だが、排水付きの洗面所があるというので、そこを貸してもらうことになった。
ひと通り話が終わったところで、互いに自己紹介をする。
「俺の名はレオンだ。このレヴィリンガー号の船長をしている」
「クレメンテ・スタン・ペギリスタインと申します」
「リンゼイ・アイスコレッタ」
簡単なやりとりの後で、船員が洗面所まで案内してくれた。
「……」
「……」
そこは扉もない開放的な場所で、カビが生え、物置と化した清潔ではない場所であった。部屋の半分以上は訳の分からない物に占領されている。
蛇口からは水が出ないからという説明がなされた。地面に流れた水は海の中に行くような管が通っているので水を浴びても問題ないと言う。
船員はクレメンテにやかんを手渡す。中には申し訳程度に水が入っていた。
それから、船の中で火は熾さないようにとも注意される。
船員が去った後で、これは酷いとリンゼイは呟いた。
「とりあえず、一時的に物を退けて掃除をしましょうか」
「そうね」
『ちょっとこの中で体を洗っても、綺麗になった気にならないよね』
鞄の中から顔を出したリリットも呆れた表情を浮かべながら感想を述べていた。
乱雑に置かれている海賊達の私物らしきものはリンゼイのゴミ用道具箱の中に収納していく。後から取り出すことが出来るので、ゴミ用でも問題ない。
物が無くなれば、奥から浴槽が出てくる。ここは風呂場だったのだ。
『風呂場、あったじゃん』
「きっと知らなかったのでしょうね」
「っていうか、この船も略奪品でしょう?」
全体的に薄汚れているが、海賊の船にしては上等過ぎる内装である。
気にしたら負けだと思って、ここでも深く考えることを放棄した。
気分を入れ替えて、浴槽の中から掃除用のブラシも見つかったので、ごしごしと磨いていく。
水は薬草箱の中に入れていた井戸水を使った。
出入り口にはピクニック用の敷物を上にしてカーテンのように貼り付けて、外から見えないようにした。
「ねえ、私先に入ってもいい?」
「あ、はい、どうぞ」
「ありがとう」
じっと、リンゼイはクレメンテの顔を見つめる。
残念ながら視線から思っていることを気付けなかったので何かと聞けば、誰も入って来られないように扉の前で番をしていてくれという、ささやかなお願いであった。
「はい、ご安心ください。覗こうとする輩が居れば、両断します」
「いや、そこまでしなくてもいいけど」
『冗談に聞こえないから怖い』
冗談ではなく本気の目だったが、リリットは気付かない振りをした。
リンゼイはクレメンテ用に桶に水を張って、魔術で湯に変える。中に粉末薬草を溶いたものと手巾を渡した。待機している間に鎧を拭く為のものである。
「ありがとうございます」
「ごめんなさい。ちょっと時間かかるかもしれないから」
「お気になさらずに、ゆっくり入って下さい」
リンゼイはお言葉に甘えてしっかり体を洗うことにした。
浴室で待機するリリットは暇潰しをすることにした。
洗面台に『一角馬の毛皮』を入れて、水の中に浸けたものに洗剤を振りかける。スカートを掴みながら足で踏んで洗い始める。
「ねえ、リリット。洗って貰っておいてなんだけど、それって普通の洗剤で手洗いしても大丈夫な訳?」
『多分! 縮んだら一緒にごめんなさいをしよう』
「まあ、海水まみれで放置よりはいいかもしれないけどね」
意外にも一角獣の毛皮は強い素材だったようで、魔術で乾かした後も縮むことなく、ふっくらと柔らかい状態に仕上がった。
海水で濡れたリンゼイの服は水分を魔術で絞って革袋の中に入れて、道具箱の中へと収納する。
ひと仕事を終えたリリットは『ふう』と言いながら額の汗を拭った。
『なんか、久々に使役妖精っぽいことをした!』
「ありがとうね」
『いえいえ!』
リンゼイも満足がいくまで体を洗い、風呂から上がる。
体を拭いて髪の毛を乾かしてから適当に髪の毛を結って、家から持ち込んで来た下着にシャツとズボンを着用して、『一角馬の毛皮』を着込んだ。頭巾は深く被って顔などが見えないようにする。
『ここは男所帯だからね。気をつけないと』
「分かってる」
浴槽の中の湯を抜いて、新しく水を張って魔術で温めた。
番をしてくれたクレメンテにお礼を言ってから、風呂に入るように言う。
「あの、私は体を拭いたので、お風呂は大丈夫です」
「なんで?」
「磯っぽいのは我慢をして頂けないかと」
「いや、別に磯くさくないけど」
薬湯で体を拭いたので、海の水特有の匂いはなくなっていた。
せっかく湯も張ったから入ればいいのにと言っても、浮かない顔をするばかりであった。
「お風呂、嫌いなんだ」
「いえ、そういう訳では」
「じゃあなんで?」
それはリンゼイを海賊船の中で一人にしたくないからであった。
そのことに気付いたリリットは筋肉妖精を呼ぼうかクレメンテに聞いてみる。
『とりあえず、三人位呼べば大丈夫かな?』
「はい。お願いします」
「私だけの番じゃ不安ってこと?」
「違います。断じて」
「?」
クレメンテの主張はどうでもいいことだったのか、リンゼイはそれ以上追及してこなかった。
筋肉妖精達が強固な守りを築いている間に、素早く風呂に入る。
途中、リンゼイを一目見ようと船員達がやって来たが、女装した謎の妖精達を見てしまい、悲鳴を上げながら慌てて引き返すことになった。
◇◇◇
お風呂ですっきり綺麗な状態になれば、食堂に案内された。
クレメンテは一応、なにがあるか分からないので鎧姿で現れる。兜は被らずに脇に挟んでいた。
食堂には既にたくさんの船員達が居た。細長い敷物の上には料理が並んでいる。
椅子と机は無く、海賊たちは地面に座って飲み食いをしていた。
海賊達の頭であるレオンがクレメンテとリンゼイを近くに座るように手招きをする。
改めて、助かったと礼を言われた。
「まあ、たくさん飲んでくれ」
目の前にあった花瓶のような大きな杯には船長の手でなみなみと酒が注がれた。
「!」
船長が傾けるのは青く透明な瓶に入った酒である。どばどばと豪快に注いでいた。
クレメンテの杯が満たされたら、リンゼイの杯にも酒瓶を傾ける。大きな杯に注いでも、瓶の中の酒は尽きることなかった。
二人は気付く。船長の持っている杯こそが『酒の魔法瓶』であると。
どうするかと、リンゼイとクレメンテは目と目で示し合う。
そんなことをしていれば、レオンから話し掛けられてしまった。
「二人は夫婦なのか?」
「!」
くっ付いて座る二人を眺めていたので、そう思ったのだと話す。
「え、ええ。そうです。まだ、新婚で……」
「そうだったのか、めでたい話だな」
「ありがとうございます」
良かったら嫁の顔を見せてくれないかと言われたが、そこははっきりと断るクレメンテである。
レオンも一瞬で目付きが変わったのを見て、それ以上食い下がらなかった。
一度乾杯をしてから食事を遠慮なく食べて欲しいと勧められた。
並べられた料理は焼いた肉に魚、カットされていないチーズの塊、若干かびているように見える怪しい黒パン、肉を煮込んだだけのスープという、調理方法が雑なものが大皿に盛り付けてある。味付けは全て塩のみ。
もてなしの料理なので、クレメンテとリンゼイはありがたく頂くことにした。
リンゼイは酒が飲めないので、魔術で蒸発させながら飲む振りだけしている。
クレメンテは船長の近くに座っているので、小細工が出来なかった。杯が空になれば、どんどんと酒を注がれていた。
一時間後。
「それで、リンゼイさんは、とてもとても可愛くって」
「そうか!」
「……」
酔っぱらったクレメンテは海賊の船長相手にひたすら惚気話を繰り返していた。
相手も酔っぱらっているからか、嫌な顔一つしないで聞いてくれる。
リンゼイは酔っぱらっている隙に『酒の魔法瓶』を返してもらおうかと思っていたが、レオンは酒瓶をひと時も離さない。周囲にバレないように舌打ちをする。
時刻は昼過ぎとなる。
徹夜明けの船員達は次々と眠りに落ちていた。
クレメンテは相変わらず尽きないリンゼイ話を語って聞かせ、レオンは聞いているのかいないのか、楽しそうに相槌を打っていた。
「ね、ねえ、そろそろ――」
リンゼイはクレメンテの鎧をコツコツと叩いた。酒の飲み過ぎだと、耳打ちをする。
「なんだ、見せつけてくれるな!」
嬉しそうにするクレメンテは、もう酒は大丈夫だと傾けた酒瓶を前にお断りをする。
「嫁さんの言いなりなのか~?」
「はい!」
本日一番の良い返事をするクレメンテであった。
アイテム図鑑
海賊料理
船員達が日替わりで料理当番を行う。
調理法は焼く・煮るのみ。
食材の保存状態も悪く、素材の味が死んでいて、ものすごく不味い。




