一話
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ございません。作中の用語、歴史、文化、習慣などは創作物としてお楽しみ下さい。
セレディンティア王国。
国土は縦に細長く、世界の流通を支配するエイレン海に面した国家である。
様々な国との交易関係を結び、瞬く間に大国となった。
平和な時代は何世紀と続いたが、国土拡大を掲げた暴君レオンポルトの即位によって国は戦火に飲み込まれる。
だが、レオンポルトの独裁政権は長くは続かなかった。
王太子アイザールを中心とした反乱軍の手によって悪しき国王は討ち倒され、戦いの歴史は静かに終息する。
それから八年、新たなる王となったアイザールは国民のために奔走した。
そして、念願だったとある大国との平和同盟が結ばれようとしていた。
「――で?」
国王の説明に不躾な喋りで応じるのは、国家魔術師であるリンゼイ・アイスコレッタ。
深い紫色の長い髪に黒曜石のような目を持ち、その溢れんばかりの美しさを黒く頭巾のついた長い外套の中に隠している。
しかしながら、女性らしいはっきりとした凹凸のある体つきは外套の上からでもわかる。
深くかぶった頭巾からはふっくらとしていて、濡れたような紅い唇が見えていた。さらりと揺れるひと房の波打った髪は絹のような艶がある。
謁見の間で国王の警備をする兵士は、その姿を見ながら息を呑んだ。
リンゼイは国王になにが言いたいのかと問い詰めている。
「だ、だから、平和同盟を結ぶ条件として、国家魔術部隊の解散を言い渡された」
「……」
国家魔術部隊と言っても、構成員は五十名以下の小隊で、魔術を扱えるのはリンゼイだけ。他の者は騎士隊に配属されるような人材である。
リンゼイは様々な国と盟約を交わしている魔術一家の出身で、十歳の時にレオンポルトと契約を結んでいた。
アイスコレッタ家は白魔術、黒魔術、錬金術に精通しており、味方に付ければ国の繁栄を約束されるようなものとも言われていた。
リンゼイは十一歳の頃から戦場に出ていた。一人で一旅団ほどの戦力があるとも噂される。
たった五十名からなる小隊で勝ち進んでいくリンゼイのことを敵国の兵士たちは『セレディンティアの黒き魔弾』と呼んでいた。
しかしながら、そんな彼女も平和となった今の国には不要な存在となっていた。
「残念ながら、レオンポルトとの契約はあと十年残っているけれど?」
「ああ、渡した金は自由に使ってくれ」
「……」
追放まがいの扱いを受けたリンゼイは当然ながら面白くない。ジロリと国王を睨みつけた。
「そ、そうだ! お主に褒美を贈ろうと思っていた」
「ご褒美? なにをくれるの?」
「クレメンテ!! どこに居るか!?」
「こちらに」
臣下の列に並んでいた青年が前に出て来る。
「ねえ、誰?」
「……む、息子だ。二番目の」
「息子ですって!?」
リンゼイは王族が並んでいる列を振り返った。
第一王子、メジュレクト。金髪碧眼の麗しい王子。二十九歳。
第三王子、シンデリンク。氷を思わせる冷静沈着な王子。二十二歳。
第四王子、レンダニーク。妖精ようだと謳われる可憐な王子。十歳。
王子の華やかな容姿は国外でも有名で、「是非我が国の姫との婚姻を!」という声が絶えまなく届いていた。
第一王子から第四王子まで眺めていれば、違和感を覚える。
「そこの男が、第二王子だと?」
「然様」
「初めて見る顔に思えるんだけれど」
「そ、そうよの。あまり、表舞台には立たなかった故に」
「ふうん」
クレメンテと呼ばれた第二王子は実に地味な青年であった。
兄や弟と同じ金髪に青い目を持って生まれていたが、記憶に残らないような平凡な顔立ちで、垢抜けない眼鏡を掛けているので余計にぼんやりとしているように見えた。
長男のメジュレクトは軽く癖のある金髪に、目鼻立ちが整った青年である。垂れた目は色気があった。王子を一目見た人々はその美しさを薔薇に例える。
三男のシンデリンクは国王の側近を務めており、涼しげな目許が堪らないと城で働く女性たちは口々に言う。その姿は凛と咲き誇る百合のような印象がある。
四男のレンダニークは目にした人々を幸せにするような愛らしい容姿を持つ。
あどけない姿を鈴蘭の花に例える者も多い。
三人の王子の噂話を思い出しながら、リンゼイはクレメンテを見た。
「う~ん。あ!」
にこにこと人の良さそうな微笑みを浮かべるクレメンテをリンゼイは指差しながら言った。
「雑草王子!」
長男は薔薇、三男は百合、四男は鈴蘭。
クレメンテは何と表せばいいのかと真面目に考え、思い浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまう。
さっと顔色を青くする国王であったが、クレメンテは暢気に「ははは」と笑うだけだった。
リンゼイはぴったりな表現でしょと言わんばかりに周囲を振り返ったが、謁見の前に居た誰もが青い顔をしていたことに首を傾げる。
「え? だって、花って感じじゃないでしょ? なんか、その辺に生えている誰も名前を知らない草って感じ」
クレメンテの笑い声だけが謁見の間に響き渡る。
国王は額に手を当てて、これが噂の『残念美女』かとため息を吐いていた。
「それで、この雑草王子がどうしたの?」
「クレメンテだ。クレメンテ・スタン・ペギリスタイン」
「え? あ~、なるほどね」
名前を聞いて目の前の雑草王子が今まで日の目に当たらなかったわけを理解する。
彼は公認愛妾であるペギリスタイン公爵夫人の子だった。
庶子であり、王位継承権は持たなかったが、王は一人の息子として扱っていた。
「まあ、なんというか、息子を、その、臣籍降下、とはちょっと違うか」
「は?」
「すまない。お主は臣下ではなかった」
「いや、それはどうでもいいけど、臣籍降下って」
臣籍降下。
王族が身分を返上して臣下の籍に入るというもの。
分かりやすく言えば、王族の男子が臣下と結婚をするということである。
「無償で城を出て行けというのは忍びない。なので、息子をお主に渡そうと」
「はあ!?」
「い、いや、我が国の宝と言えば、息子位しか」
「要らない!!」
「そう言わずに」
「なんで結婚なんかしなくちゃいけないの!?」
クレメンテは二十八歳。二十三歳のリンゼイともつり合いが取れているのではと国王は言う。
リンゼイはジロリと部外者みたいな顔で居るクレメンテを睨みつけた。
「雑草王子! あなたもなにか言ったらどうなの!?」
「そうですねえ」
「……」
「いやあ、私個人としては悪い話でもないのですが」
「な、なんですって!?」
クレメンテは結婚適齢期で、父親が決めた相手と結婚するつもりだったと話す。
リンゼイは話にならないと、無視して国王に向き直った。
「お主は契約によってわが国から出れぬであろう?」
「そう! あと十年も!」
「だから、息子との結婚生活でも楽しんだらどうかと」
「お断りだと言っているでしょう!?」
「だが、女性の一人暮らしは色々と問題もあろう」
「……」
街で暮らす場合、女性の一人暮らしは悪目立ちをしてしまう。
異国からの商船を受け入れているので、人の入れ替わりも激しい。
か弱い女性を狙う悪漢も居ないとは限らないのだ。
「あなたが王になってからも、色々と頑張ったのに」
リンゼイは魔術で国内の復興にも大きく貢献していた。
倒壊した歴史的建築物などは彼女の手によって修復されている。
国が安定すれば用なしだという王に、恨みの視線をぶつけた。
だが、国王は別のことを考えていた。
「だからこそよ」
「え?」
「お主は十分に頑張った。残りの十年は休暇と思えばいい。息子も、お主を支えるだろう」
そういう風に言われたら、リンゼイはなにも言えなくなる。
彼女は我儘で気が利かず、空気も読めない残念な女性であったが、お人よしでもあった。
国の平和のため、更にはリンゼイのためだと言われたら、それに従うしかない。
「……で、でも、急にそんなことを言われても、これから十年もなにをしていいのか」
視線をウロウロと泳がせていたら、クレメンテと目が合ってしまう。
「だったら、二人で考えましょう」
「……」
「私のことは、そうですね、親戚のお兄さん位に思ってくれたら嬉しいです」
「……親戚の、お兄さん?」
「そうです」
「……」
今の状況に若干の面倒臭さを覚えたので、流されるままに契約書に署名をした。
国王はその場で書類を受領する。
頭を下げて礼を言う国王にリンゼイは驚く。国の頂点に立つ者が簡単に頭を垂れていいものではないと指摘しても、そんなことはないと言うばかりであった。
ぼんやりとするリンゼイの背をクレメンテは軽く押して謁見の間を出て行く。
外の冷たい空気に当たった時、我に返ることが出来た。
リンゼイは動きを止める。
「ち、ちょっと待って!」
「はい?」
「さっきの書類って撤回出来る!?」
「はい?」
「やっぱり早まった!!」
「……」
「結婚とか無理!!」
国王の申し訳なさそうな雰囲気に飲まれ、リンゼイは紙面に署名をしてしまったのだ。
外に出てから我に返れば、なんてことをしてしまったのだと後悔が押し寄せる。
「書類取り上げて来るから!」
「国王陛下が受け取ったものは撤回出来ないですよ」
「そんなの知らない!」
「まあまあ、落ち着いて」
「落ち着けるわけないでしょーー!!」
うっかり人妻になっていたリンゼイ・アイスコレッタ。
彼女の未来は明るい、かもしれない。
アイテム図鑑
魔術師の外套
様々な呪文が布に織り込まれた魔術師の正装。
典礼魔術の儀式を行うために作られたのが始まりとしている。