七 DD
携帯にセットした目覚ましの音が僕の意識を現実に引き戻す。
携帯を掴んで時間を確認すると、朝の八時だった。アンテナは一本も立っていない。見事に圏外である。おそらく意図的に圏外になっているんだろうなぁと、昨日のやりとりを思い出しながらぼんやりと思う。
昨日サインをした後に、時間ももう遅いいうことで、寝室に案内され、八時に起きるように言われた。しかし、その寝室がまた豪華で驚いた。相変わらず窓のない不自然さはあるが、大きなダブルベッドに浴室、トイレ、ソファ、テレビ、冷蔵庫と至れり尽くせりで、どこのリゾートホテルだよって感じだ。
着替えを済ませ、顔を洗ったあとにふと鏡を見て、自らの違和感に気づく。目が……目というか、黒目の部分が、なにか赤見を帯びているような……? 試しに、洗面所の扉を閉め、灯りを消してみた。鏡に映る自らの姿は……まさに、僕を半殺しにしたヴァンパイアの男と同じ、赤く輝く瞳をしていた。
そういえば、怪我を治すために一時的にヴァンパイア化したとか言っていたか。しかしこれ、いつまで持続するのだろう。ヴァンパイア化しているってことは、太陽の光をあびると死んでしまうのだろうか。さすがに試す気にはなれないな。
洗面所を出て、ものは試しと、テレビを持ち上げてみた。軽い。とても……軽く感じる。やはり、力もヴァンパイアのそれになっているということか。
その時、突然ピンポンと、インターホンが鳴り、扉が開いた。白衣の女性だ。名前は知らない。というか、教えてもらえなかった。ここでは本名を名乗ってはいけないそうな。ヴァンピールブラッドに属する人間同士のプライベートの付き合い、個人情報の交換も禁止らしい。
「何をしているの……?」
怪訝な顔をされる。そりゃまあ、テレビを片手で持ち上げている姿をみて、不審がらないほうがおかしいだろう。
「いや、なんか力がすごいなぁと思いまして……」
「ああ、まだヴァンパイア化が解けていないのね。ちょっときつすぎたかしら。明日くらいには元には戻ると思うわ。着替えは済んでいるみたいね。ちょっと来てくれるかしら」
迷路のような道を言われるままについて行き、案内された場所は、昨日とはまた別の部屋だった。しかし、広い建物だな……もう、さっきの寝室に戻れる気がしない。目印的なものが皆無なんだよな。普通は、現在地こみの地図とか、所々にあってもよさそうなものなのに。勝手に外に出られないようにわざと分かりにくくしているのかと、邪推してしまう。
入った部屋には、一人の男がソファで足を組んで新聞を広げ、お菓子をほおばり、すっかり寛いでいた。誰だろう。
「紹介するわ。あなたが担当する地区のDDのリードよ。DDとしての職務は、彼に聞くといいわ」
DDのリード……。この女性もそうだけど、この男もけっこう若いな。リード、つまりは隊長みたいなものだから、もっとごっついおっさんをイメージしていたが、どうみても二十歳前後にしか見えない。少しきつめだが、非常に整った顔をしている。きれいにセットされたミディアムヘアと相まって、芸能界の人間だろうかと一瞬思ってしまう。
「えっと、はじめまして、はなか──」
「こらこら、本名で自己紹介してんじゃねぇよ。教わってねぇのか?」
あっと、そうだった。というか、本名以外無いわけで、これでは自己紹介できないじゃないか。困惑する僕に、男がいかにもめんどくさそうに、新聞から僕に目を移し、続ける。
「とりあえず俺の管轄の空き番は四、四二、八五,一九七、二七四の五つだな。それ以外なら四桁になる。四桁なら選び放題だ。お前がここにいる限りずっと背負い続ける番号であり、名前だ。好きなの選べ」
空き番……? 背番号みたいなものか? うーん……野球をやっている身としては四に惹かれるな。めざすのも四番だし!
「四でお願いします!」
「ふふん……死の番号を選ぶとは物好きだな。まあ四十二よりはましか」
縁起でもないことを……。確かに日本ではよくない番号とされているけれど、野球では憧れの打順なんだ。縁起なんて関係ない。
「俺はDD222(ディーディートリプルツー)だ。よろしくな、DD4(ディーディーフォー)。今日からのここでのお前の名前だ。大切にしろよ」
「はい」
「で……おい、ばばあ」
唐突に白衣の女性に声をかける。その声のかけ方はどうなのだろう……。
「なにかしら、ボウヤ」
声は普通だけど、目が笑っていない……怖いんですけど。
「なんでこいつ、ヴァンパイア化してんだ?」
「治療にアンプルを使ったのよ。あなたもこの子の肉体の破損状況は見たでしょ? 第一発見者なわけだし」
「にしても、長ぇだろ。俺たちはお前等の実験動物じゃねえぞ」
「心外ね。部署の違うあなたにどうこう言われる筋合いは無いわ」
「……ふん」
DD222は僕に視線を移し、声をかけてきた。
「昨日はお前のおかげでレプリカを見つけることが出来た。お礼がてら、今度おいしいステーキでもおごってやるよ。ワインも極上のやつ飲ませてやる」
「未成年が未成年を酒に誘うな!」
白衣の女性がつっこみを入れる。
「ルールは破る為にあるんだよ」
「あと、プライベートでの付き合いは禁止というのもお忘れ無く」
「うっせぇな、んな細かい事気にしてっから小じわが増えんだよ、ばばあ」
「なっ……! あなたとは四つしか離れてません!」
「あっれ〜? 個人情報の公開は禁止じゃなかったっけ〜? 二十三ってのがバレちまったぜ?」
なんだ、この人……四つも上の人になんでこんなにけんか腰なんだろう……。年下だけど、先輩とかなのだろうか?
「DD4。こいつは問題児だから、くれぐれも注意してね。ある意味ヴァンパイアよりも危険な奴だから」
顔が険しくなった女性から、本人を目の前にした忠告を受ける。
男……222は、そしらぬ顔だ。
「あの……あなたのことは、なんとお呼びしたらいいですか?」
ずっと聞きそびれていた事を聞いてみた。
「MC11よ。MCはメディカルセンターの略。あなたのDDは、前に少し言ったけど、ダメージディーラーの略。あとあなたに関係しそうなのはOCくらいかしら。オペレーションセンター、作戦本部の略よ。町中での行動が主だから、誰かに聞かれても分からないようにという意図もあって、こう呼び合っているの。そのへんも、詳しくはこいつに聞いて。むかついたら殺してもいいわよ。ちゃんともみ消してあげるから」
怖いことを平然と言う。怖すぎる。
「222。ちゃんと指導しなさいよ。その子の命が掛かっているんですから」
「わぁってるよ、っせえな。さっさと消えろ、目障りだ」
MC11という名の白衣の女性が、怒りを必死に抑えながら部屋を出て行く。仲間という意識はないのだろうか……。
「さあて。DD4」
「は、はい!」
「そう、びびんなよ。俺は部下には優しいぜぇ。くっくっ」
その不敵な笑みを見るに、とても信じられないんですが。
「ひとつ聞きたい事があるんだが。お前、アンプル……ヴァンパイア化する血を体に入れたのはいつだ?」
怪我が治った時の事だろうか? 昨日目が覚めたのが何時だったのかが、いまいちはっきりしないけれど、寝る前に携帯で見た時間は二時過ぎだったし、十二時頃だろうか?
「はっきりとは分かりませんが、九時間くらい前だと思います」
「ほう……」
そうつぶやき、一瞬難しい顔つきになる。なんだろう。
「まあ、詮索は後でいいか。とりあえず移動する。研修室に行くぞ」
再び、金魚のフンのごとくついて行くこと五分。入った部屋は、三階分ほどの天地と、体育館ほどの広さだった。そこでひとつのアタッシュケースを手渡される。ロックされていて、開けることは出来ない。
「お前のここでの名前を入力してみな」
言われるままに、DD4といれてみるが、エラーになった。はて?
「もうちょい頭使え。六桁あるんだからよ。DD0004だろが」
たしかにその番号でケースは開いた。中には、見慣れない物がたくさん入っている。
「まずはインカムを耳につけな。勝手に情報が入ってくるし、ボタンを押している間だけ、こっちの声を発信できる。仲間や本部との連絡は基本的にそれを使う。今は作戦時間外だから誰も聞いていない。練習するぞ」
「はい」
222は、三十メートルほど移動し、耳につけたインカムという物から222の声が聞こえた。
「お前もなにかしゃべってみろ」
いきなりしゃべれと言われてもな……困る。
「えっと……えーと……よろしくお願いします」
とりあえず挨拶を改めてしてみたが、あきれたような気配を感じる。
「まあいいや。基本的に、自分の名前というか、コードを言い、そのあとに、伝えたい相手のコードを言い、用件を言う。たとえば、先日の場合だとだな。DD222よりOC。V発見。MCをよこせ。これだけで分かってくれる。ちなみに「V」はヴァンパイアのことだ。普段は赤目って呼んでるけどな。さあ、やってみな」
「えーと……DD4よりMC? えっと。V発見しました! えっと……」
「だーっ、うぜー! もっとはっきり、簡素にスマートに言え!」
耳に付けたインカムに怒鳴り声がこだまする。なかなかにスパルタな指導が始まった。ちょっとだけ帰りたくなったのは秘密だ。