四 白い部屋
白い天井が見える。
天井。
つまり、僕は今、横になっているのか。
何か嫌な夢を見た気がする。
夢でよかった。
そうとも。
あんな事が現実にあるわけがない。
あんな夢は二度と見たくないな。
でも、おかしいな……。見慣れない天井だ。
僕の部屋の天井は木目状だ。こんなに白く綺麗じゃない。
まだ、夢の途中だろうか。
体が動かない。金縛り?
仕方がないので目を左右に動かしてみる。
左には白い柵。右には点滴らしき物。
病院だろうか?
僕は……交通事故にでもあったのだろうか。
もしそうなら、春夏は大丈夫だろうか?
「春夏……」
口にだしてみる。くぐもった声で、ちゃんと言葉になっていない。口を何かが覆っている。そもそも、口を自分の意図通りに動かせていない違和感。
さて、どうしたものかと考えていると、何かがスライドするような音とともに、足音が聞こえてきた。その音は段々と大きくなり、僕のすぐ近くで止まった。
「一応、応急処置だけはしているわ。もっと簡単に治す方法があるから、死なない程度に、ね」
女性の声がした。僕に対して言っているのだろうか。目だけで右を見る。点滴のすぐ横に、白衣を着た女性が立っている。なにかを操作している風だ。
「麻酔を弱めたわ。とりあえず、うなずくいたり、首を振るくらいは出来るかしら? ちょっと首を動かしてみてくれる?」
言われるままに、首を動かしてみる。動く。さっきまで動けなかったのは、麻酔のせいだったのか。
「取り急ぎ確認しておきたい事があるから、うなずくか、首を振るかで答えてくれるかしら。よければ、うなずいてみて。嫌なら首を振ってくれてかまわないわ」
確認とはなんだろう。僕も聞きたい事がある状況で、でも口はまだうまく動いてくれないから、とりあえずうなずいてみる。
「そう。協力感謝するわ。いくつか質問するわね。まず、今の自分の状況は分かっているかしら?」
僕は首を横に振る。まったく分からない。
「じゃあ少しずつ思い出してもらおうかしら。あなたが意識を失ってから丸一日経過している。雨が降っていた。昼間は晴れていたのに、梅雨だから仕方ないわよね」
雨……梅雨……。
「雨の夜。あなたは、赤い目をした男を見かけた。報告では、あなたはその赤目の男に対して、強い殺意を抱いていた……と。そのへんをまずは思い出してほしいのだけど」
赤目……男……雨……夜……なんだろう。知っている気がするけど、はっきりしない。頭に霧がかかっているかのように……。
「ゆっくりでいいのよ。ゆっくり考えて、思い出して……取り乱さず、冷静にね」
冷静に? 殺意を抱いていたから? 僕がそこまで我を失っていたのか? 殺したいと思ったというのか? 誰を? それが、赤目の男に関係があるのだろうか。
「近くには、壊れた自転車があったわね」
自転車?
「あと……干からびた女の子」
干からびた……? おんな……の……こ………?
一瞬、脳裏に雨の中の光景が浮かび上がる。僕が何かを抱えている光景。何かはわからない。ただ、それは……僕の妹の……春夏の服を着ていた。
そうだ! 春夏は? 春夏はどうしているんだ? 無事なのか? あれはなんだったんだ? あの……ミイラのようにやせこけていた少女は?
「すこし思い出したかしら? 女の子は、あなたのお友達かしら? DNA検査では、共通点は見つけられなかったけれど」
あの少女が春夏なのだとして、どう返事したらいいのだろう。血は繋がっていないけれど、兄妹だと。とりあえず首をふっておこう。友達ではないのだから。
「じゃあ、恋人とか?」
それはもっと違うから、首を振る。
「うーん、そうなると片思いの子とかなのかしら。まあいいわ。知人か、見ず知らずの他人か。あの子は知人?」
うなずく。見ず知らずなものか。
「いいわ。じゃあ、先に進みましょうか。あの少女のことは大切かしら?」
これもうなずく。僕にとっては答えるまでもない事だ。
「そう。じゃあ、とりあえず焼却処分は保留にしてあげるわ。あとは、ちゃんと喋れるようになってからじゃないと、難しいし……すぐに治してあげる」
白衣の女性は、十五センチほどの長さの、細い円柱の形をした物を僕の首筋にもってきた。
「動かないでね」
その瞬間、プシュ! っと耳元で聞こえて、軽い違和感を首に感じた。体の中を一瞬にして何かが駆け巡っていくような感覚に身震いし、そして全身の感覚が正常に戻っていくのを知覚しながら、記憶も鮮明になってくる。雨の夜を思い出す。
あの赤目の男はどうなった? 別の男がもう一人来た。そこで記憶が途切れている。
「まだ動かないでね。点滴の針を抜くわ。包帯も全部取るまで、そのままでいてね」
女性の指示に従い、目を瞑って次の指示を待つ。
赤い目を思い出してしまった。妖しく輝く目……あの男は……春夏に何をしたんだ? 春夏の身に何がおきたんだ? 間違いであってくれ……春夏じゃないと、誰か言ってくれ。
「呼吸器もはずすわね」
やっと口が自由になった。とりあえず、返り討ちにあい、死んでもおかしくない状態にされた僕を助けてくれたのだから、お礼を言わないと。
「えっと、ありがとうございます」
「起きてみて」
女性は、僕の言葉がまるで聞こえなかったように、事務的に作業をすすめる。
起き上がると、上半身に巻かれた包帯もはずされていく。
確か、右手がすごいことになっていたような……自分の骨を見た気がするんだけど。おそるおそる右手を見てみると、傷一つない。どうなっているんだ……?
「あの……ここはどこですか? 僕はいったい……」
僕の問いは途中で遮られた。
「詳しい話は、あとでね。とりあえずこれを着なさい」
差し出されたのは、袋にはいった新品の下着とTシャツと、ハーフパンツ。
「着替えが終わったら、出てきて。外で待っているわ」
そう言い残し、後で束ねた大きなポニーテールを揺らして去っていく。
まだまだ情報が足りていない状況だし、ひとりで考えていても分からないままだろうから、従うしかない。着替えをさっさとすませて扉に向かう。
ふと振り向いて、僕のいた部屋を改めて見てみると、体育館ほどの大きさの中に、ベッドがひとつだけポツンとあり、窓がひとつもない殺風景極まりない部屋だった。
薄気味悪い……僕は、自分がここにいる事の違和感に身震いし、逃げ出すように部屋を後にした。