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ダメージディーラー  作者: 広森千林
黎章 命
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三 雨の夜の惨劇

 僕は野球部、春夏は吹奏楽部に所属している。中学までは部活の時間が決められていたから、一緒に帰っていたけれど、高校になってからは部活毎に終わる時間が違うから、僕の所属する野球部のほうが少し終わるのが遅くて、毎日春夏を待たせてしまっている。

 家までは徒歩で十分ほど。電車や自転車で通学している奴に比べたら恵まれているから、無理に一緒に帰る必要もないし、待たなくてもいいぞと言ってはいるのだが、どういう訳か、いつも校門のところで待ってくれている。

 僕的にも春夏をひとりで下校させなくて済むから、安心でいいのだけれど。

 例に漏れず、今日も春夏が校門のそばのベンチに座って待っていた。

「おまたせ」

 僕が声をかけると、おつかれさま、と返してくれる。いつものやり取りの後、二人で帰路につく。

「今度の試合も、まだ出してもらえない感じ?」

 春夏が聞いてくる。

「んー、夏で三年は引退だから、それまではやっぱ三年主体でやるみたい。そっからが勝負だな。あと二ヵ月、しっかりアピールするよ」

「前に練習を見た時に思ったけど、お兄ちゃんよりうまい子、いなかったよ」

 それはまあ、中学時代にシニアのチームで四番を打って優勝したのは伊達じゃない。僕だけの功績ではないけれど。

 でも、三年生の体格を見ていたら、やっぱりまだまだ体を大きくしないとなぁと思った。四番サードは絶対に僕がもらう。そのために、慢心は禁物だ。

「とりあえず今は球拾いをがんばるよ。試合展開に余裕が出来れば、代打くらいには使ってくれるかもしれないし」

「野球だけは誰よりも真面目だよね。背番号もらえてるんだから球拾いは免除なんでしょ?」

「だけ、は余計だと思うんだけど」

「他にあったっけ?」

 素で聞いてくる。少し考え、

「ないな」

 と素直に答えてみた。春夏は、あははと笑う。いい笑顔だ。

「今日、授業をさぼったのも、野球の事が関係してたんじゃないの?」

 なかなかに、するどいな。

「なんでそう思うんだよ?」

「今までの過去の統計から考えるに、前日の練習で満足のいく結果が出なかった時に授業を抜け出してたよね」

「いつの間にそんな統計とってたんだよ!」

「あははっ、ないしょっ」

 またそれか。

 まあ、正解なんだけどさ。昨日の守備練習で、一回ファンブルしてしまった。イレギュラーしたボールに対して、どう動けばちゃんと取れたのか、昨日からずっと考えていて、答えが出なかったから、授業どころじゃないと思って抜け出したのだ。

 隣で本当に寝入ってしまった春夏をよそに、一時間たっぷり考えて、それなりに答えが出た。今日の部活で試していい結果が出たから、個人的には満足しているが、春夏をさぼらせる事になったのだけが悔やまれる。

「野球って基本的に外でするだろ? だからさ、外のほうが反省点や改善ヶ所がいい感じに思いつくんだよ。ま、そんなわけだから、僕の事は心配しないで、お前はこれからちゃんと授業でろよ」

「うん。やっぱり怒られるのって、嫌だって改めて思った。私は結局、怒られるのが怖かったり、嫌だからちゃんとしてるだけで、もし怒られなくなったら、すごくダメな人間になっちゃうんじゃないかなって思っちゃった」

「なんの事だ……?」

「もし、お父さんやお母さんがいなくなっちゃったら、自分の気持ちを抑えることが出来ないかもってこと」

「こらこら、不吉な事を言うんじゃない」

「あ、うん、そうだね。例えが悪かったね……ごめんなさい。たとえば、一人暮らしを始めたりとかって意味ね」

 自分の不用意な発言に、落ち込んでしまったようだ。しかし、わざわざそんな例えをだしてまで言った、抑えることができない気持ちってなんのことだ? それも例えだろうか。

「一人暮らしとかしてみたいのか?」

「うーん、もし大学に行けたら、自立するためにしてみたいなぁとは思ってるんだけど、まだまだ先の事だから具体的には考えてないよ」

「そっか」

 春夏と離ればなれになるというのを少し想像しただけで、なぜか寂しくなった。だからこれ以上、この話はしたくないと思って、強制的に話題を変える。

「そういえば、今日の晩飯なんだろうな。聞いてるか?」

「肉じゃがって言ってたような?」

 肉じゃがか。想像したら、お腹が鳴った。春夏が笑う。育ち盛りなんだから仕方がないじゃないか。春夏のほっぺたをつまんでひっぱり、笑いを無理矢理止める。

「おにいひゃん、いひゃい、いひゃい」

 おそらく痛いと言いたいのだろう。とはいえ、本当に軽くひっぱっている程度だから、それほど痛くはないはずだ。

 そうこうしているうちに家が見えてきたので、解放してやる。

「もう……妹は大事にしましょう!」

「しているぞ?」

「ほっぺが赤くなったし!」

 手鏡で頬を確認している。

「血行がよくなって、よかったじゃないか」

「よくないし!」

 口が自然と笑みをたたえる。楽しい時間だ。ずっと続いてほしいと思う幸せな時間。

 家に着くと、すぐに二階の部屋に向かい、着替えを済ませる。

 階段を上がってすぐに畳一畳分の通路のような空間があり、そこを中心として右が春夏の部屋、左が僕の部屋だ。

 それぞれ六畳ほどの部屋で、扉のような仕切りはなく、中学生になった時に、部屋を区切るためのカーテンだけ追加された。基本的に、着替える時と、お互いに友達が来た時だけカーテンで区切るだけで、基本は開けっ放しである。

 食事や風呂を済ませ、宿題を終わらせると、春夏は僕の部屋に来て一緒にテレビをみて、眠くなったら部屋に戻るというのが平日の過ごし方だ。

 春夏の部屋にもテレビを買う話もあったのだが、春夏がいらないと断った。そのくせ、僕の部屋に見に来るのが謎ではあるが。

 今日もその例に漏れず、宿題を終わらせた春夏が僕の部屋に来て、おやつを食べながら一緒にテレビを見ている。ドラマとかはあまり興味がないから、見るのはもっぱらバラエティ番組だ。

「そろそろスポーツニュースの時間だよ」

 春夏は僕のためにスポーツニュースの時間を毎日チェックしてくれている。特にどの球団のファンというのは無いけれど、プロのプレーを見るのが好きで、なにより参考になるから試合のある日は必ず見るようにしているのだ。

 チャンネルを変えると、丁度野球のコーナーが始まった。

「春夏、ちょっと来てー」

 下からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。僕には関係ないみたいだし、気にせずにテレビを見る。

 十分ほどで野球のコーナーが終わったところで、春夏がまだ戻ってきていない事に気づき、階段のところまでいって下の階に声をかける。

「お母さん、春夏は?」

「急に雨が降ってきたみたいで、傘をお父さんに持っていってもらってるの」

 なんだよそれ……。もう二十二時も過ぎてるってのに、女の子を一人で行かせるかな……。

 うーん……こういう時に、実の親子ではないというのを実感させられる。春夏は呼び捨てで、僕にはいまだに君付けで呼ぶ。雑用も、僕には遠慮して一切頼む事がない。逆もまたしかりで、親父は僕にしか雑用を頼まないし、仕方のない事なのかもしれないけれど。

 駅までは徒歩で十五分ほど。そろそろ合流している頃だろうけど、一応自転車で追いかけるか。昼間のサイレンの音が気になって仕方がない。

「ちょっと僕も駅まで行ってくるよ」

 それだけ言い残して、急いで外に出て傘を片手に自転車で駅に向かう。昼間の晴天が嘘のような豪雨だ。とばせばギリギリ追いつけるかもしれない。一瞬、春夏も自転車で向かっただろうかと春夏の自転車の有無を確認してみたが、残っていたからやはり歩いて向かったようだ。

 街灯の少ない道をとばしてあと数分で駅という所で、カップルらしき男女が抱擁しているのが一瞬視界に入った。ほうほう……これがバカップルというやつか。人通りが少ないとはいえ、勘弁してほしいものだ。こっちがはずかしくなる。

 何事もなく駅に到着し、駅の入り口で雨宿りしている親父を見つけた。春夏は……いない。いない……?

「親父!」

 僕の声に気づき、よう、と返してくる。

「悪いな、今日に限って折りたたみも忘れてしまった。しかしお前が来るとはめずらしいな」

「いや……春夏が先に来てるはずなんだよ……」

「ん? 来てないぞ? 追い越したんじゃないのか?」

 そんなはずはない。春夏の歩いている姿なら、顔を見なくても分かる。道もいつも使っている道を通ったし、春夏もわざわざ別の道を選択するとは思えない。

 そもそも、途中に見かけたのは四人程度だし、その中で若そうな女の子はカップルらしき二人組の片割れが一人いたくらい……。

 カップル……?

 暗いうえに、強い雨のせいで視界が悪かったから、本当に人影程度でしか認識できなかったけれど……本当にカップルだったのか? 抱擁だったか?

 なんだろう、嫌な予感しかしない。

「親父、これで帰ってて。先もどる」

 自分の傘を親父に差し出し、返事も聞かずに濡れるままに猛ダッシュで逆走する。

 五分くらいの距離なのに、とても長く感じる。気ばかりがあせって、自分の足で走ったほうが早いんじゃないかと思えるほどに、気が動転してしまっているのが自覚できる。勘違いであってくれ。どこかに寄り道していてくれ。

 そう願いながら、往路で見かけたカップルのいた場所が見えてくる。人影は……まだある。すぐ横で急ブレーキをかけ、水しぶきをあげて急停止し、男が腕を掴んでいる小さな人影を無遠慮に確認する。男が首もとに顔をうずめているので、顔は確認できなかったが、着ている服は分かる。

 分かりたくなかった。分かってしまった。

 それは、さっきまで僕の隣にいた春夏が着ていた部屋着だ。

 それを見た瞬間、僕の中で血が沸騰する。

「おい、離れろよ!」

 僕は自転車を飛び降り、春夏の首に顔をうずめる男の髪を掴み、引きはがそうと力をいれると、ブチブチと掴んだ髪だけが抜けて、男の頭はまったく動かなかった。なんだ、こいつ?

「離れろっつってんだろ!」

 僕はもう一度男の髪を左手で掴み、右手で思い切り側頭部を殴りつけた。

 それでも、びくともしない。

 僕は男の正面に回り込み、男の右目を殴りつける。いくら頑丈でも、眼球まで鍛えることは出来ないだろう。その思惑通り、赤く光る不気味な目からは血が飛び散り、男は苦悶の声をあげてのけぞった。

 ようやく解放された春夏を地面に落とすまいと両腕でキャッチする。

 ほっと安心できたのは、本当に一瞬だった。違和感が両腕から伝わってくる。春夏は自分の体重を四十一キロだと言っていた。

 でも、今僕が抱きかかえている少女は、片手でも支えられるほどに、とても……とても軽かった。まるでミイラにでもなったかのように、Tシャツの袖から見える二の腕は細く干からび、顔も誰なのか判別できる状態ではなかった。

 僕は思わず悲鳴をあげ、春夏の服を着た『もの』を手放し、『それ』が地面に落下するのも構わず、慌てて逃げだすように尻餅をついて後ずさる。

 違う。

 これは春夏じゃない。

 僕の知っている春夏はこれほどまでに細く、軽くない。こんなに頬が痩けていない。

 さっきまで元気だったんだ。こんな……急にミイラになるはずがないじゃないか。

 違う。

 違う……。

 違うんだ……違って……くれ……。

 ちが……ちがわ……ない……。

 髪型も、服も、靴も……全て春夏と一致している。

 なんだ……どうして……こんなことに……なんだよ、これ……。

 どうして……どう……して……。

 涙が雨と一緒に流れ落ちる。

 僕は、うち捨てたままだった自分の自転車の所に行き、自転車を持ち上げた。僕は雄叫びを上げながら、右目を押さえている男に自転車を全力で叩きつけた。

 何度も、何度も。殺すつもりで。殺したあとにどうなろうと、知ったことか。叩きつけて、叩きつけて、叩きつけて。なのに。なんでこいつは倒れないんだ?

 僕は、形が崩れまくって原型を留めていない自転車を横に放り投げ、男の首を右手でわしづかみし、締め上げる。左目の出血が止まっている事に気づいたが、今はどうでもいい。

「ふひひっ、不死身になったとはいえ、痛いし、苦しいもんだな」

 余裕たっぷりの声が、さらに僕の理性を失わせる。

「何わけのわかんねーこと言ってんだよ!」

 僕は全力で掴んだ首を締め上げた。男は左手で僕の右手を掴む。何をされようが離すもんか。高校球児の力をなめるな!

 そう思った瞬間、右腕に激しい痛みが走った。

 男が僕の右腕を下から殴りつけたようだ。あっさりと僕の腕の骨は折れてしまった。

 当然、男の首を掴んでいた手には力が入らなくなり、解放せざるを得なくなった。

 なんだ? この異様な力は……? 自分の腕を改めてよく見てみると、折れた骨が皮膚を突き破って、骨の断面が見えてしまっている。悲鳴をあげそうになるのを必死で我慢する。

 僕は右足で男の脇腹に蹴りを入れる。男は一瞬よろけながらも、僕の足を左腕で抱え込み、僕の動きを封じた。

 男の口が笑みの形にゆがむのが見えたと思った瞬間、腹あたりに激痛が走った。殴られたのだろうか。そのあまりの威力に、胃の中のものが全て吐きだされる。脱力感に襲われるが、足を解放されて自由になれたのだから、反撃のチャンスでもある。

 はいつくばった体勢から男を見上げた瞬間、次は胸のあたりに激しい衝撃がきて、僕は数メートル後ろに吹っ飛んだ。もはや痛みの感覚もなく、ただ漠然と、肋骨がぜんぶやられたかな、と他人事のように思った。口の中が血の味しかしない。喉の奥から血がどんどんあふれでてきて、呼吸ができない。体のどこにも力が入らない。

 なんだこれ……。勝ち目がないどころの問題じゃない。我ながら、まだ生きていることが不思議な位だ。もはや身動き一つ出来ない。

 ああ……もう……いいか……。春夏のいない世界で、生きていても仕方がない……。

「み〜っけ♪」

 全てを諦めた時、どこからか、そんな陽気な男の声が聞こえた。

「DD222(ディーディートリプルツー)よりOC。V発見。MCを三分以内によこせ。怪我人がいるから急げよ」

 誰だ?

 仲間?

 確認したくても、首も動かせない状態だから、何も分からない。意識に霞がかかり始める。

「なんだ、お前?」

 赤目の男の声が僕の代わりに疑問を投げかける。ということは、仲間ではないようだ。

「はっははっ。なーんか俺好みの強い殺気を感じたから来てみたら、大当たりじゃねーか。次のボーナスが楽しみだ。このボウヤに感謝しなきゃな」

 そんな陽気さを増した声を聞きながら、僕の意識は深い闇に包まれていった。

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