九 決別
廊下を歩く途中で、柊はMC11を連れて僕達と別の階に向かっていった。僕と七草は、来客用の個室の前で立ち止まる。
「はいるぞ」
七草は扉に向かってそう声をかけると、中からの返事も待たずにロックを外して扉を開けた。そのまま中に入るのかと思ったら、七草はいきなり僕の肩をつかんで、部屋の中に放り込まれた。
「ごゆっくり」
振り向くと、にやついた七草の顔が一瞬見えただけで、すぐに扉が閉じられてしまった。なんなんだ? まだ僕を信用できないから、監禁ということなのだろうか?
それはまあ、僕自身も、またいつヴァンピールになってしまわないか、不安が無い訳ではない。人でなくなった自分を、完全に受け入れる事が出来た訳でもない。
そんな簡単に、頭を切り替えることなんて、出来るはずがないじゃないか。
そういう意味では、少しひとりになってゆっくり頭を整理するのもありかもしれない。
いや……まて。はいるぞ、と言っていた。誰かに確認をとっていた。ということは──この部屋にいるのは僕ひとりではない?
「おかえりなさい」
突然、部屋の奥から声が聞こえた。その声に、心臓が急に激しく動き出す。改めて、部屋のほうに視線をむけると──入り口からは死角になっていた奥の部屋から顔をだしている、その声の主は、見間違えようもなく──
「ただいま……春夏……」
春夏が僕の方に歩み寄ってくる。僕も部屋の奥に進む。昔のように、喜びのあまり、抱きつくといった行動はしない。もちろん、嬉しいことには違いはないけれど、こんな場面でも冷静でいられるようになった自分に、一年という月日の流れを実感した。
お互いに体ひとつ分開けて立ち止まり、先に僕が口を開く。
「よかった……ほんとうに……よく無事で……」
「それはこっちのセリフだよ……。私のほうは、血を輸血してもらうだけですぐによくなったし。でも、お兄ちゃんは、どうなるか分からないって、七草さんが言ってて……実際、一週間、目を覚まさなかったから……不安におしつぶされそうだった」
「ごめん……」
春夏が笑顔で首を振る。
「帰ってきてくれたから、許します!」
そんなおどけた言葉に、緊張の糸でも切れたのか、僕の目から、涙が止めどなくあふれ出した。情けないな……糸川美絵のお葬式の日に、泣くのはこれが最後だと誓ったはずなのに。あの日に涙は流しきって、残っていないと思っていたのに。
人ではなくなった僕が──人の血が残っていない僕が、人並みに涙だけはちゃんと出せるなんて、変な話だ。
春夏が僕に体を預けてくる。僕の胸に顔を埋め、肩を振るわせている。
「もう……笑顔で出迎えようって思ってたのに……だいなしだよ……」
春夏がどれだけ僕を大事に想っていてくれているのかが、全身を通して伝わってくる。それは、一度は春夏の血が僕の中に入ったからだろうか。言葉はなくとも、思いが、想いが伝わってくる。痛いほどに、切ない感情が。
「コホン」
咳払い?
慌てて後ろを振り向くと、柊かすみが腕を組みながら扉にもたれかかっていた。
「お邪魔しちゃって悪いんだけど、ナナさまに頼まれている事があるの。二人とも、ちょっとついてきてくれないかしら」
「お邪魔とか言うな!」
動揺を隠すために、必死で強がってみるが、その様を見た柊の、かわいそうなものを見るような目が僕の心を傷つけた。柊の目が微かに充血しているように見えるのは気のせいだろうか。
しかし、七草といい、こいつといい、完璧に気配を消しすぎだろ。どこの忍者の末裔だ、と突っ込みたくなる。
気恥ずかしさを必死に隠して、僕と春夏は柊に案内されるままに別の部屋に移動した。案内されたのは、同じ階にあるひとけのない食堂。
いや、一つだけ人影があった。メディカルセンター回収班の作業着を着た黒縁眼鏡の子が、相変わらず帽子を深くかぶって、缶ジュースを飲んでいる。一度だけ見た事がある子だ。見慣れない子だったから、余計に覚えている。声をかけようとしたら、七草に止められたっけ。
「頼まれごとって、ここに案内することか?」
柊に質問してみる。
「ええ」
「誰かと待ち合わせか?」
「もうお待ちかねよ」
お待ちかね?
「あ……」
春夏が突然声を上げる。春夏の視線を追って、僕も声を上げそうになった。
「……や、やあ! 元気?」
気まずそうにそう声をかけてきたのは、缶ジュースを飲んでいた黒縁眼鏡の少女。その少女は、帽子をとり、眼鏡を外した。その外見は、忘れようもない──糸川美絵その人だった。何がどうなっているんだ? 夢? 僕はまだ目覚めていないのだろうか?
固まる僕をよそに、春夏が糸川に駆け寄り、抱き合っている。
「ほら、あんたにとっても、大事な友達なんでしょ? 行ってきなさいよ」
「その前に……説明がほしいんだけど……」
「ん……まあ、なんといいますか。ナナさまが、自分の妹だって言い張って、戸籍まで偽造して、管理者になったのよ。あの子の。だから、今のあの子の名前は七草美絵。糸川美絵という人間は、社会的にもう死んでいる」
あまりの事に、言葉もでない。なんだ、それ。意味が分からない。
「やっと最近、日本に帰って来られたみたいなのよね。DDと違って、それなりの専門知識がないとメディカルセンターには入れないから、一年間イタリアの本部で研修してたの。人でなくなったあの子はもう、ここでしか生きていけないからね」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「なによ?」
「なんで僕に隠す必要があるんだ? なんで教えてくれなかったんだよ! お前も知ってたんだな!」
「いやぁ、そう言われても、私も知ったのは三日前くらいよ?」
「七草か! あの男が元凶か!」
「まあまあ、怒る気持ちも分かるけど、とりあえず生きていたんだから良かったじゃない、ね?」
いいわけあるか! 僕の涙を返せ! 信じられない! 許せるレベルの事じゃない!
「あいつ、今どこにいる? 絶対しばく!」
「返り討ちにあうだけでしょうに。とはいえ、もう会えないわよ」
「……え……?」
「ついさっき、イタリアに向かって旅だったわ。今はお昼だから、あんたは追いかける事は出来ない。あきらめなさい」
「なんだよ、それ……」
なんでもかんでも、自分勝手に決めて……。
「あの子をあなたに引き合わせたって事は、あの人はもう……私たちの前には戻る気がないんじゃないかな……」
「……どういう意味だよ?」
「あの人は──お人好しなくせに、それを見せるのが大嫌いなの。だから、善意でやった事は最後まで隠し通す。墓場まで持って行く。そういう人よ。それなのに、このタイミングであんたにあの子を引き合わせるってさ……命懸けで……死ぬ覚悟をもって、本部に行ったんじゃないのかな……」
柊の目が潤んでいる。
「それを分かってて……なんで行かせたんだよ……」
言葉に出してみたものの、答えは僕にも分かっていた。あの男の考えには、全くブレがない。だから、逆に分かりやすくもある。僕や柊が引き留めたところで、あの男の意思を変える事など出来ないと、分かってしまう。悲しいほどに、理解できてしまう。だから、柊は泣いているのだ。理解してしまった悲しさに耐えきれずに。
いつのまにか、さっきまでの怒りがきれいさっぱり無くなっていた。
そりゃそうだ。あの男はそういう男だと、僕自身、嫌というほど思い知らされてきたじゃないか。そして今、誰か個人の為ではなく、ヴァンパイアに関わった全ての人の為に、行動を起こした。血を巡る負の連鎖を止めるために。たったひとりで。
それはつまり、ヴァンピールブラッドとの決別でもあるのだろう。
「泣くなよ」
「…………」
「僕が保証してやる」
柊がゆっくりと顔をあげる。
「あの男が死ぬはずがないよ。自分の命を簡単にあきらめる男じゃない。あの男に何度か殺されそうになった僕が保証してやる。ただ乗り込むだけじゃなく、それなりに考えがあると思う。どんなに偉い相手にだって、平気で脅しをかけられる男なんだから。生きていれば、たとえ生きる場所が変わっても、いつか会えるさ」
「バカじゃないの……格好つけんな。似合わないっての……」
確かに、僕が言っても様にならないな。あの男が……七草が言えば、いい感じに様になっていたのだろうけれど。だったら、僕も様になる男になるだけだ。全てにおいて、追いつき、そして追い越さないと、永遠に勝てないのだから。
「翔!」
ひとしきり再会を喜び合ったのか、糸川が春夏と一緒に歩み寄ってくる。
どんな風に喜んでいいのか分からないけれど、それでも糸川が生きていたという事実は、僕にとってはとても嬉しいことだ。それならば、お礼を言わないわけにはいかないじゃないか。探し出してやる。文句と、お礼を言うために。
とりあえず今は、七草のくれた最高のプレゼントを素直に受け取ろう。




