二 兄妹
僕、花籠翔と、旧姓が東雲の春夏が初めて会ったのは、小学校に上がってすぐの頃だった。
僕の母は、もともと体が弱かったらしく、僕を生んですぐに亡くなってしまい、父子家庭となった。
春夏は四歳の時に父親が交通事故で亡くなって、母子家庭に。
そんな僕の父と春夏の母が同じ会社で意気投合し、再婚となったものだから、いきなり今日からあなたたちは兄妹ねと言われても、僕はもちろん、春夏も最初はとまどう毎日だった。
一緒に暮らし始めた当初は、お互いにどう接すればいいのか分からず、おはよう、いただきます、おやすみの声しか聞かなかったくらいだ。
春夏は物静かというか、おとなしくて、人見知りで。僕もその頃は人見知りで、自分から声をかけるという事ができないでいた。
そんな似たもの同士だったものだから、普通にしゃべれるようになるのに二年ほどを要したものだ。
どういうものが兄なのかわからず、でもお互いに無口なままだとダメだと思って、三年生になったくらいから、僕は積極的に話しかけるようにしてみた。もちろん新しいお母さんにも。どんどん声をかけるようになって、ようやく春夏からも声をかけてくれるようになった。
はじめて声をかけてくれた時は本当にうれしくて、その時のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。
「宿題……いっしょに……しませんか?」
はずかしそうに、顔を赤らめて下を向きながら、必死に言葉を紡ぐ姿は、とても弱々しく見えて……、僕が守っていかないとって思った。
それが、いつ恋心に変わったのか、自分でもよくわからない。
おそらくは、ごく最近だろうと思ってはいたのだが──もしかしたら小学校高学年くらいから、多少は春夏を意識しはじめていたのかもしれない。他の女子がまったく眼中になかったのだから。
いや、まてよ。
これはもしかしたら、高校の制服のせいかもしれない。
高校に進学してから、異性として意識する度合いが飛躍的に上がった気がする。制服のかわいさが+αされて、僕の理性がどこかに旅立ってしまったのかもしれない。
と思いたいところだけど、残念ながらそれは言い訳にすぎないな。
制服うんぬん以前の問題として、春夏の可憐さは、本当に僕の妹なんかでいいのか? と問いただしたくなるレベルだ。元が百点クラスなのだから、今さらそれを制服でプラスしたところで、百点以上にはならない。
写真で見ただけだけど、春夏の実のお父さんは、男の僕でも一瞬目がとまるほどのハンサムさんで、お母さんも美人さんだから、その娘が可愛いのはむしろ当然か。
そんな外見と、超がつくほどの真面目な性格があいまって、中学では八人ほどの男子から告白をされたらしいのだが、なぜか全て断ったそうな。本人から聞いたわけではなく、友達からの情報だから、本当はもっと多かったのかもしれない。
念のために言っておくが、僕はその件には一切関知していない。春夏に好きな男ができて、つきあうならつきあうで、それはそれでいいと思っていたし。
もちろん、春夏を泣かすような真似をしたら、しばくくらいの心の準備はしていたけれど、全員撃沈ということでそれも杞憂に終わった。
後日、好みの奴がひとりもいなかったのかと問うと、好きでもない人とおつきあいとか出来ないという、いたってシンプルな答えが返ってきた。
じゃあ、好きな奴がいるの? と聞くと、内緒と言われた。この手の質問は毎回内緒のひとことで片付けられてしまう。
そしてさっきの屋上でのやりとりでも内緒で済まされた。まあ、僕だって答えられない事はあるけどさ。
担任からの説教中に退屈だったから、そんな事を思い出しながら時間を潰していたわけだが、ようやく解放されそうだ。授業をさぼる代償から逃げることは出来ない。
春夏は神妙な表情でまじめに担任の話を聞いている。僕は毎回の事だからすでに聞き飽きていて、まったく同じ事を鸚鵡返しできるくらいだ。
今回も例に漏れず、お前が妹を悪の道に引きずり込んでいるのだろうと、主に僕が怒られたわけだけれど。たしかに僕がサボらなければ、春夏は普通に授業を受けていたわけだから、まったくもって反論できない。
失礼しました、と職員室を後にして、教室に戻る途中で春夏が口を開く。
「ふふ……これで私も優等生じゃなくなったかな?」
だからどうしてそんなに楽しそうなんだよ。怒られ慣れてないくせに。
「優等生扱いがそんなに嫌なのか?」
「嫌というか……そういう色眼鏡で見られたくない……、て感じかなぁ」
「よくわからないな」
「私は……みんなが思っているほどまじめでもないし、優等生じゃないよってこと」
「いや……十分優等生だろ……、成績はつねに上位、無遅刻無欠席、あとなんだ……」
「そういうのじゃなくて……うん、やっぱりいいや」
ひとりで勝手に納得してしまった。なんなんだか。
教室に戻ると、みんな弁当片手に昼食タイムが始まっていた。
席に付くと、僕の一個前の席の西出順平が声をかけてきた。
「お前、春夏ちゃんとどこ行ってたんだよ?」
やたらと体がでかくて、威圧感たっぷりだが、気にしない。僕より大きな同級生はこいつくらいのものだろう。
「屋上でデートしていただけだよ」
「お前が言うと、冗談に聞こえないのだが」
うるさい。
さすがに昼寝していましたとか、春夏のイメージダウンにつながるから言えない。
……とはいえ授業さぼった時点で、手遅れか。
春夏は、間違った事が嫌いで、いつも正しくあろうとして……なのに、なぜ今日に限って、僕なんかと一緒に授業を抜け出したのだろう。
みんなが思っているほど優等生じゃない……か。
たしかに色眼鏡的なものもあるかもしれないけど、お前以上に真面目な奴は他にいないんだから、まぎれもなく優等生だよ。
僕の自慢の妹であり、お前の存在が僕のなかで唯一誇れる事だ。否定する必要なんて無い。
「なあ、土曜のカラオケに春夏ちゃんも誘ってくれよ」
西出が額を机にこすりつけてプチ土下座状態で懇願してくる。もちろん答えは、
「嫌だ」
お前と義理の兄弟になるとか、絶対に嫌だ。全力で阻止させてもらう。
いやまあ、別に悪い奴じゃないんだけど。仲良くなる事を他人に依存する時点で、春夏に相応しくないと判断させてもらう。自分で努力しろっての。
「自分で誘ってみたらいいだろ。僕を頼るな」
「断られたらヘコむじゃないか!」
知るか!
図体だけでかくて、神経は細い奴だな……。
とりあえずお腹の虫が悲鳴をあげだしているので、弁当箱を取り出して腹ごしらえにはいる。
「いただきます」
今日のメニューは唐揚げとスパゲティとサラダ。
さっそくひと口。
うん、前言撤回。
僕の誇れることは春夏の事だけではなかった。お母さんの料理の腕も自慢できるぞ。うまい。
毎朝、一番に起きて僕と春夏と親父の弁当を作ってくれるお母さんには、感謝してもしきれない。
まだあきらめず、食い下がってくる西出を無視して弁当をたいらげると、今度は女子の声が僕を呼ぶ。同じクラスで、僕と春夏共通の友人の糸川美絵だ。春夏とは対照的な長いストレートの髪をなびかせて、近づいてくる。
「翔! 春夏を悪の道に誘いおって!」
そう言いながら、いきなりデコピンが飛んでくる。
痛ってぇ!
「今日の花籠家はさぼりがテーマなんだよ」
「意味不明な事言うなー!」
ふたたびデコピン。いや、まじ痛いって。
「み、美絵、落ち着いて!」
春夏が仲裁にはいってくれる。
「お兄ちゃんは悪くないから! ね?」
「むぅ……」
春夏に取り押さえられ、しぶしぶといった感にデコピン攻撃が止まった。こいつはまずその凶暴な性格をなんとかするべきだ。一生彼氏できないぞ。
「ほら、冤罪だって分かったら、どっか行け」
しっしっと手を振って追い払う。糸川は舌を出しながら、春夏にひっぱられて元の席に戻っていった。どいつもこいつも僕を悪者扱いしやがって。いやまあ、僕が悪いんだけどさ。
「お前さ、こういうチャンスを生かして春夏に声かければいいだろうに、なんでおとなしくしてるんだよ」
僕は、事の成り行きを黙って見ていた西出にダメ出しを出す。
「き、緊張しちまうんだよ!」
ちっちぇえ奴……。
「いいよなぁ、あんな可愛い子と一緒に住んでるとか、うらやましいってレベルじゃねぇよ」
「兄妹なんだから一緒に住んで何が悪い」
むしろ僕的には、赤の他人のお前のほうがうらやましいっての。
僕たちは、どう転んでも兄妹であるという事実は変わらない。今までも、これからも……。
春夏に目を向けると、糸川に借りたらしきノートを黙々と書き写している。さぼった分、怒られた分の二時間分を取り戻しているのだろう。はなから借りる気さえ無い僕とはえらい違いだ。……どこまでもまじめで優等生で……そして優等生である事を望まない妹。
僕はといえば、せっかくの昼休み、寝ないでどうする。予鈴までまだ時間はあるから一眠りするかと思った時に、運動場に隣接する道路をパトカーが通り過ぎていった。そういえば、一昨日くらいからやたらとパトカーを見かけたり、サイレンの音を聞くな……。
とくにニュースでは、この近辺は話題に上がっていなかったと思うんだけど。
少し気にはなるが、帰りはいつも春夏と一緒だから、最悪、何かあっても僕が囮にでもなって春夏を逃がすくらいはする。
とりあえず今は、部活に備えて睡眠だと寝る体勢に入ったところで、紙くずが頭に飛んできた。しかたなく中身を見てみると、「なんでやねん!」というつっこみが書かれていた。しかも微妙にうまいイラストつき。
さすが我が妹。つっこみどころも完璧だ。