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ダメージディーラー  作者: 広森千林
真章 血
27/31

六 混ざり合う血と記憶

 闇を感じる。深い闇を。

 太陽は沈んだようだ。寝過ぎたか。でも、そのおかげでさっきまでの体のだるさが無くなった。むしろ、昨日までよりも体が軽く感じる。太陽のせいだったのだろうか。太陽が憎くて仕方がない。

 体が軽いのはいいが、なぜか喉がやたらと渇く。わさび入りの紅茶を飲んだからだろうか。

 わさび? いつ飲んだっけ。

 とりあえず一階のキッチンに向かう。冷蔵庫を開け、お茶を飲むが、喉の渇きが取れない。

「あ、翔君、起きてたの? バイト前にご飯食べていく?」

 誰か……何かが僕に声をかけてきた。あまり美味しそうじゃないな。他を探そう。

 探す? 何を?

「……翔君?」

 うるさい。だまれ。喉だ。喉の渇きを満たすものを早く見つけないと。頭がおかしくなりそうだ。自分の部屋に戻れば、なにかあるかもしれない。早く。早く。

 二階に戻ると、右手に美味しそうな香りを感じた。この布の向こう。邪魔な布。邪魔な布をむしりとり、香りの元を探る。

「お、お兄ちゃん? どうしたの……? カーテンが……」

 お兄ちゃんてなんだ? 美味しいのか?

 お前のほうがはるかに美味しそうだ。早く飲ませてくれ。

 僕はその美味しそうな「もの」に近づいた。どこが一番美味しいだろうかと物色する。

「ちょっ……おにいちゃ……なんか目が怖いよ……」

 怖い? 僕が怖いのか。僕は僕だ。

 僕ってなんだ?

 考えるのは後だ。喉を掻きむしりたい衝動を抑えるのがもう限界なんだ。

 僕は目の前のとても美味しそうな「もの」の首に歯を立てた。口の中が濃厚な液体によって潤いに満たされていく。その液体が喉を通過する時の快感。これだ。僕が求めていたのは、これだったんだ。

 血。

 美味しい血。

「あ……お……にぃ……ちゃん…………」

 この血は僕のものだ。僕だけのものだ。誰にも渡すものか。

 ああ……こんな美味しい血は他にあるものか。取られるまえに、飲み干してやる。僕だけのものにしてやる。

 ……………………。

 ………………。

 ………。

『お兄ちゃん、宿題一緒にしよ』

『ねね、野球のルール教えて!』

『やった! 届いたよ! これで私もキャッチボールの相手できるね!』

 公式、英語、図形……いろんなものが飛び交っている。その奥に僕が見える……なぜ僕が僕を見ているんだ?

『昨日の試合、録画しといたよ、一緒に見よっ』

『あった! 合格したよ! また美絵と一緒だね! クラスも一緒だといいね!』

 ミエ……?

『美絵、これで帳消しだよ! なに食べよっか?』

『でも! ……でも……お兄ちゃんが……』

『僕にまかせろって……言ったじゃない……なんで……なんで美絵が……こんなの……ひどいよ……』

『ごめんなさい……ごめんなさい……』

 お前は悪クないンだ。悪いのハ僕ダけだ。助ケたカった。救いタかった。そンな目で見なイでくれ。ヤめロ……僕ノ中に……入ってクるナ!

『あ、お兄ちゃん、お花は買ったから、急いで!』

『一年て、あっという間だね……私の方が年上になっちゃった』

『夜の墓地って……昔は怖かったのになぁ。今は何も感じない……』

 やめテくれ……混ざっテクるな! 頭が割れル! マザルナ!

『……好き』

 どんドん……濃度ガ増していク……深く……さラに深い意識ヲ飲ミ込む……だメダ……みタくないンだ!

『えへへ。小学校の時以来だな、手を繋いだの……』

『んー……私のことどう思ってるんだろう……やっぱりただの妹だよね……はぁ』

 ヤメロ! やめロ! 出て行っテくれ! 入って……こないで……。

 春夏……春夏が……消えてしまう……。

 ……春夏……? 春夏ってなんだ?

『誕生日プレゼント、喜んでくれるといいな……』

『大好き……か。言葉で言うのは無理だよぅ、美絵……』

『野球……やっぱり私のせいだよね……私がいなくなったら、また野球始めてくれるかな』

 お願イだ……どこニも行かないで……僕の側にいてくれ……。

 お前がいなかったら……僕は……お前がいるから、前に進めるんだ!

 今までも……これからも……! だから……消えないでくれ……行かないで、春夏!

「……!」

 なんだ?

 夢?

 手に重みを感じる。何を持っているのだろうと視線を下にうつすと──やせ細り、息も絶え絶えの状態の春夏を、僕が抱きかかえていた。首筋には、赤目に血を吸われたかのような牙の跡から血がしたたり落ちている。

 春夏の部屋……いるのは僕と春夏だけ。思考がまとまらない。部屋の隅に置いてあるスタンドミラーが目に入った。そこに写っていたのは……ヴァンピールと見紛うばかりの、赤とも黒ともつかない錆びた色の肌を晒す僕が、ぐったりとしている春夏を抱きかかえていた。

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