五 疑心
週明け、月曜日の放課後。僕は333こと、柊かすみの部屋にいた。
女子寮らしく、男の僕が見つかったら大変な事になるらしい。なんとか誰にも見つからずに部屋に入る事は出来たが、帰りもあるだけに、まだまだ安心は出来ない。
そもそも、なぜ柊の部屋に居るのかという話だが、ヴァンピールブラッド関連の話を大衆のいるファミレスやカフェでするわけにもいかず、かといって僕の部屋は妹の春夏とカーテンで仕切られているだけという状態だから、消去法で柊の部屋が選ばれた。
ワンルームの部屋は綺麗に片付けられていて、女の子らしいぬいぐるみがいくつか視界に入る。似合わない……なんて言ったら、無事にこの部屋を出ることは出来ないだろう。
キッチンから戻った柊は、アイスティーを僕の前に用意してくれた。
「……ども」
「…………」
柊は何も言わず、自分用のアイスティーを口にする。気まずい沈黙。
とりあえず僕もアイスティーをいただこうと、ストローに口をつけた。冷房のおかげで涼しいとはいえ、やはり夏には冷たいものがうまい。……うま……い……?
急に鼻の奥に痛みが走った。つんとくるこの感じは……まさか。
「ふふ……あはははははっ……ふふふふっ」
「おい……この飲み物はなんだ?」
笑い転げる柊に問いただす。
「うふふっ……わさび風味の紅茶はお嫌い?」
目に涙をためながら、必死で笑いをこらえて種明かしをされた。
「んなもんあるか!」
僕のつっこみに、ツボに入ったのか、さらに笑う柊。気まずく感じていたのは僕だけかよ。必死に笑うのを我慢していたんだな、こいつ。
やはりここは、目には目を、だな。
柊が笑うのに必死になっている隙に、僕のグラスと柊のグラスを入れ替える。デザインが同じなのが幸いした。
「ほら、いつまでも笑ってないで、本題に入るぞ」
あえて不機嫌そうな声で席に戻るよう促す。
「あは……はっ……あー、面白かった」
涙を拭いながら、テーブル前に戻る柊。笑いすぎて喉が渇いたのか、入れ替えられた事に気づいていない柊は、目の前のグラスに手をやり、一気に一口、二口と飲んだ所で動きが止まった。みるみるうちに顔色が変わっていく。口をおさえ、洗面所に駆け込む。
「あはははははっ」
なるほど、これは確かに面白いな。こんな腹筋が痛くなりそうなほど笑ったのは、いつ以来だろうか。涙もでてきた。少なくとも、この一年は心の底から笑った事なんて無かった。糸川を救えなかった僕に、笑顔のある人生を送る価値なんてあるはずがない。なのに……皮肉にも、糸川の件に関わっていた柊を相手に、笑ってしまうなんてな。
改めて、時間の流れを実感した。時間というものは、確実に人の心から過去を薄めていく。だからこそ人は、失敗を糧にして前に進めるのだろうけれど。
笑い転げる僕に、ぬいぐるみが大量に投げつけられる。ようやくわさびティー地獄から戻って来られたようだ。
「やってくれたわね! このシスコン!」
ひどい言われようだ。しかも否定していいものか、微妙な気分だ。
「おあいこだろ。ほら、本題にはいるぞ」
一通り笑って気が済んだ僕は、話を元に戻す。睨みながら僕の目の前の座り直す柊。
「で……話ってなによ。報告書はもう提出済みよ」
頬杖をついてそっぽを向き、興味なさげに聞いてくる。
「見る暇無かったからまだ見てない。昨日の状況を最初から聞かせてくれ」
「最初からって?」
「僕と別れたあと、どういう経緯でヴァンピールに遭ったんだ」
「ん〜、どういう経緯と言われてもね……かいつまんで言うと、帰りにあの公園にさしかかった時に、中がなんか騒がしかったから覗いてみたの」
「ほう」
「なんか悲鳴とかも聞こえだしたから、中に入っていったら、四、五人の若い子が私の方に逃げてきて。私には目もくれず、通り過ぎてったわ。奥に人影があったから、一応目の色だけ確認して帰ろうと思ったら──ヴァンピールと、血を吸われ終わったミイラがいた。慌ててインカムで連絡しようとしたんだけど、ちょっと近づきすぎちゃってて、気づかれちゃってさ。いきなり向かってくるから、避けるのが精一杯で、その時にインカムを落としちゃって」
なるほど。それで壊れずに位置情報だけは発信し続けていたのか。しかし、ミイラは気づかなかったな。
「逃げながら、携帯であんたに電話したんだけど、ちょっと画面みた隙に攻撃くらっちゃってさ。内臓がやられて、やばかったからアンプル使ったの。回復中にあんたが出て、助けてって言ってる間にまた追いかけっこになって、通話も諦めて──インカムの電源を入れたのは覚えていたから、それを元にあんたが来そうなタイミングを見計らって公園の周りを逃げ回って、またあの公園に戻ったってわけ。我ながら完璧な時間配分」
自画自賛というふうに、腕を組んでうなずいている。自慢するとこじゃないと思うぞ。
「そこで丁度僕がやってきた、ということか。……うーん……」
「なによ?」
「いや……あのヴァンピールってやつ、どこから来たのかなって疑問だったからさ。偶然見かけただけか……」
「どこから来た?」
「そう。どこから。あんなさ……見た目も力も人間離れしたやつが、今までどうやって、誰にも見つからずに生きて来られたと思う?」
「あー……そういうことね。確かにレプリカと違って、あの外見じゃ普通に生活出来ないものね。オリジナルでさえも外見は人と同じなのに……」
僕の疑問に、柊も考え込む。
「お前ってさ、ヴァンピールブラッドに入ってどれくらいなんだ?」
「三年くらいかな。中二の時からだから」
中二とはまた、若い時からいるんだな。……て、中二から三年?
「お前、もしかして今二年?」
「そうよ。なによ?」
同い年だったのか……年上だと思ってた……。
「いや、なにも。話を戻そう。三年の間に、ヴァンピールの報告例ってあったか? 少なくとも、僕の知ってるこの一年は、無かったはずだけど」
「二年前に海外で一件だけ発見報告があったくらいね」
「一件か……日本ではどのくらいの頻度で現れているんだろ」
「さあねぇ。調べてみる? 今朝送った昨夜の報告書も反映されてるだろうから、リンクを辿ればすぐ分かるんじゃない?」
そうか。組織に加入した時に配布された小型の携帯端末で本部の情報を閲覧できる機能もついている。アンプルの使用報告などもその端末で行っているが、逆に情報を引き出す事も出来るのか。
さっそく自分の携帯端末を鞄から取り出してテーブルの上に置き、疑似立体モニターモードを使って大きく表示する。普段はスマフォのように使っているが、このモードにすることでタッチパネル機能のついたノートパソコンのように使うことが出来るようになる。
本部のデータベースにアクセスし、まずは柊のヴァンピールに関する報告を探す。最新情報だけあって、検索するまでもなく簡単に見つかった。そこから関連情報を一覧表示する。
ひとつ前のヴァンピール関連の報告は、三十五年前に二件。その前は、さらに四十年さかのぼる。世界単位でみれば、二〜三年に一度のペースで報告されている。
「頻度としては、かなり低いな。誰も興味持たないはずだ」
「私たちに伝えられている対処方法も、エリアマネージャー以上からの指示に従えってだけだものね。でも、こんな少ない事例のために、エリアマネージャー以上は、昨晩みたいなスピア以外での戦闘を教え込まれている……」
「備えあれば憂いなしってやつかね」
「まあ、この程度の頻度なら、上の方の数人が知っていれば十分か」
そもそも、ヴァンピールというのはなんだろう。その疑問の答えになるような情報は載っていない。
よく考えたら、組織の名前にもヴァンピールという名前が入っている。こんな低い頻度で現れる生き物の名前を、わざわざ組織を表す記号に入れるだろうか?
「なあ」
「ん?」
「なんでヴァンピールブラッドって名前なんだろうな。名前に組み込むには、あまりにも頻度というか、選ばれる優先順位が低い気がするんだけど」
「あんた、自分の所属する組織なのに、何も調べてないの?」
「組織の歴史とか興味ないし」
「あきれた……。組織の大元はヴァンパイアハントって名前だったみたいよ。創立は一九〇三年。今の名前になったのは、確か十三年後の一九一六年かな」
「細かく覚えてるな。一九一六年……世界史でなにかあったような……」
「第一次世界大戦中ね」
冷房のおかげで快適なはずなのに、首筋に汗がしたたり落ちる。
「ヴァンピールブラッドの日本支部が出来たのが一九四二年。これは……第二次世界大戦中か。──なんだろ……今まで気にしてなかったけれど、共に大きな戦争が絡んでいる……偶然で片付けていいものかしらね」
柊が考え込む。たしかに、偶然で済ますには、出来すぎているというのが率直な感想だ。だけど、これだけの情報だと、なにをどう疑ったらいいのかさえも分からない、漠然とした違和感。
肝心のヴァンピールの事を調べようとすると、閲覧許可のパスコードを要求される。なぜ組織の根本に関わっていそうな事を非公開にする必要があるのだろうか。組織外の人間にならまだしも、組織内の、しかもリードクラスにさえも閲覧させないなんて……。
「あっ」
僕の携帯端末の画面を見た柊が突然声を上げる。
「どうした?」
「昨日、DDに犠牲者が出てる……」
画面を見ると、柊の報告内容に付随する形で、DD729死亡と書かれていた。
「お前が見たミイラ化していたのが、このDDだったとか?」
「どうだろ……勤務時間外だからかも知れないけれど、IDカードは腕についていなかったわ」
「世間への公表はどうなってる?」
続けて普通の今朝のニュースをネットで検索する。昨日の公園の騒ぎをどんな風にもみ消したのか、興味が沸いた。近隣住人は、警察の協力のもと、昨日の騒ぎに関しての記憶は消されているだろう。
「あった。たぶんこれじゃない?」
表示された画面を見ると、確かに昨日の公園と思われる写真だ。車が公園内に乗り込み、ジャングルジムや滑り台に激突。飲酒運転、器物破損、過失致死で逮捕、か……。空気でも逮捕しているのだろうか、なんて皮肉を考えながら、犠牲者の名前を見る。見覚えのない名前だ。
基本的にプライベートでの交流は禁止となっているが、実際は明確な罰則があるわけではない。それでも、組織の不透明さが恐怖心を煽るのか、理屈を抜きにして自然と守る風潮がある。
DDの数も多いし、基本は単独行動だから、交流自体持ちようもないという面もあるか。DDの番号と、本名が一致するのなんて、この柊と七草くらいのものだ。
それはつまり……もし仮に僕が死んだとして、こんな風に名前が出ても、ヴァンピールブラッドの人間であると分かる組織の人間はほんの数人しかいないということ。
これは、そういったシステムというか、偶然そうなってしまっているのか、それとも、意図的に分からないようにしているのか。
ヴァンピールが現れた日に、DDが一人死亡。これも偶然なのだろうか。
頭の中で、何かが繋がりそうで、明確な答えにはなってくれない。
「戦争と創立。ヴァンピール出現とDDの死。偶然……偶然てなんだ?」
「哲学論ね。確実論、決定論、シンクロニシティ──人それぞれの価値観上のものだから、証明することなんて出来ないんじゃないかしら」
「難しい言葉知ってるな……」
「あんたが無知なだけよ」
軽く傷つく。学校でそんな言葉聞いたことないけどな……寝ていたのだろうか。
「なんにしても、情報が少なすぎるわね。もう少し調べてみないと、なんとも言えないわ」
「そうだな……」
AM2──エリアマネージャーになった七草なら、もう少し深い情報を持っているだろうか。機密情報でも、あの男ならば聞けば普通に教えてくれそうではあるが。
しょうがない、柊に口実をあげるか。
「AM2に探りいれてくれよ。あの人なら知ってる事なら何でも教えてくれそうだろ? AMクラスがどこまで情報開示されているか興味あるし」
「んー……でも、いきなりヴァンピールの事を聞いたりしたら、変に思われないかしら……」
頬を赤らめ、ごにょごにょと小声で何か言っている。
「だったら僕が聞──」
「まった! 私が聞く! と、とりあえず今日はシフトに入ってないから、明日!」
身を乗り出し、僕の言葉を遮る。素直に最初からそう言えよ。
「じゃあ、なにか分かったら連絡くれよ」
そう言いながら僕は立ち上がった。
「もう帰るの?」
「うん。朝まで検査三昧で、輸血中に軽く寝たくらいだから、仕事前にちょっとでも寝ようと思ってね。なんか今日はやたら体が重いし、寝不足が原因かもしれないから」
「風邪じゃない? 今日シフト変わってあげようか?」
なんだ? やさしい柊なんて、不気味以外のなにものでもないぞ。
「熱でもあるのか?」
思わず聞いてしまった。またぬいぐるみが飛んでくる。
「冗談だって。ありがと。でも、シフトに関係なく、これは僕の日課だから」
「……そう。そもそも私が原因だものね」
糸川の顔が一瞬脳裏をよぎる。胸にちくりと痛みが走ったが、それもすぐに消えてくれる。もっと時間が過ぎれば、痛みさえ来なくなるのだろうか。それはそれで、さみしいと思う。
「原因とか、関係ないよ。お前はちゃんと仕事をしただけだ。何も間違っちゃいない。たくさん間違いを犯したのは僕なんだから。赤目を見つけたのに、報告しなかった。友達を家まで送るべきだった。ひとりで解決しようとせず、誰かに相談するべきだった」
「…………」
「全部、僕自身の決めた行動の結果だ。それを、職務を果たしたお前を恨むのは筋違いだ。そりゃあ、責任をお前に押し付ければ、僕は楽になるかもしれない。でも、そんな押し付けはもうしないって決めたんだ。僕自身が一生背負うべきものを、他の誰にも背負わせない」
「……意外と強いのね」
「どうだか……こんな風に思えるようになるまで半年くらいは要したけどな」
微妙に空気が重くなったのに耐えられなくなり、僕は玄関へと向かう。
「じゃあ、また、な」
僕が扉を開けようとした時、柊が声をあげた。
「あ、まった! 今は駄目!」
言葉の意味を理解するまでに、すでに扉は僕によって開かれ──丁度通りがかったらしい女子二人と目が合う。悲鳴がこだまする廊下を、僕は走って逃げ出した。この責任は、柊に背負ってもらうとしよう。
夕日がやたらと目にしみる。外にでたとたん、体も急にだるさが増した。早く帰って仮眠を取ろう。二時間くらいは眠れるはずだ。




